5.児頭骨盤不均衡(P.3)

私には、二人の子供がいますが、2回の出産とも帝王切開でした。
7年前と5年前の体験ということで、いささか古い話になってしまいますが、多くの方に読んで頂ければうれしいです。

一人目は、不妊治療を経て結婚5年目に妊娠しました。
妊娠後期になって狭骨盤と分かり、39週あたりで日を決めて帝王切開をするはずでした。
ところが、予定日より16日早い7月4日、起床時に出血しているのに気づきました。
少量の出血で痛みもなかったので、すぐに病院へ行ったものの、「診察が終わったら
家に帰れるだろう」なんて自分で勝手に考えていました。何も知らない者の怖さ…
でも言ったらいいのか、後から思うと何とノンキだったことだろうと恥ずかしくなりますね。
この時私が通院していた病院は、Iクリニックでした。「病院紹介」のコーナーにも載っている病院です。(※現在「病院紹介」掲載していません)

内診の結果、子宮口が開いているので、このまま入院して帝王切開になると院長から告げられ、入院しました。
2階の病棟へ上がって術前の処置が行われ、陣痛室へ移り、昼頃に手術室へ入りました。
手術室は分娩室とつながっており、3人の医師が私を待っていました。
この病院は廊下にストレッチャーや配膳台が置かれていたりして、どの場所も「狭いなぁ」という感じを持ちましたが、

手術室も同様に狭く感じましたね。

麻酔を打たれる時に背中を丸めるのは、大きなお腹がつかえて苦しかったですが、
麻酔の針はスムースに入り、すぐに効いてきました。
ところが、先ほど書いたようにノンキに構えていたせいで、受診前に少量とは言え
朝食を取ってしまったため、術中に気分が悪くなって吐いてしましました。

午後1時48分、2546gの男の子が誕生しました。
37週5日での出産でした。
この病院では、帝王切開は横切りだそうで(出産後もビキニが着れるようにね、と院長は言っていましたが)、私も横切りでした。

手術室に入ってから出るまで2時間ほどだったと思いますが、私にはとても長く感じられました。

手術の途中で隣の分娩室に産婦さんが入ってこられ、「あー」と3回叫んだ後に、赤ちゃんが誕生しました。
産後の処置を受けた後に分娩室を出ていかれ、「こっちはまだ終わらないのになぁ…」とうらやましく思ったことを覚えています。

術後は痛みがひどくてつらかったです。
院長先生や看護師さんが巡回に来られるたびに「痛い」と言っていました。
院長は「切腹したんだから痛いのはしょうがないね。アメリカなら2日で退院だ。
日本でよかったね~」と言われてしまいました。

これは、反省点なのですが、7月に入ってから風邪気味で、せき込むたびに傷が痛みました。
風邪をひいたりするものではない、と反省しました。
ひいたことで後にトンデモないことになってしまうのです。

10日後に、息子と共に退院しました。
ところが、退院して10日後の7月23日、私が水ぼうそうを発症。
あっという間に発疹は全身に広がり、40度の熱が出てしまいました。
熱は1週間続き、ようやく治りかけてきた頃、息子が水ぼうそうを発症。
まだ生まれて1ヶ月経っていない時でしたので、自分の体調が悪いのも忘れて小児科へ駆け込みました。

さらに、1週間後には、夫が水ぼうそうを発症。
どうやら私を見舞いに来た時(私は実家に帰っていましたので)にうつしてしまったのでしょう。
夫が私と会っていたのはわずか2、3分。
たったそれだけなのに、しっかり水ぼうそうはうつってしまいました。
恐るべき伝染力ですね。
夫は症状が重く、病院の内科に入院。水ぼうそうで一家全滅となった我が家でした。

息子の水ぼうそうはごく軽く済みましたが、私の体は快復するまでにとても時間がかかりました。
発疹もなかなか消えず、1ヶ月健診の時にははっきりと残っていました。
悪露も2ヶ月続き、9月始めに病院に行ってやっと止まったのでした。

潜伏期間から考えると、私は産んだ病院で水ぼうそうに感染したのでしょう。
先に、帝王切開を受けた時、風邪気味だったと書きました。
風邪を引いていた時に手術を受け、体力が落ちていたのだと思います。
あらかじめ帝王切開をすると分かっていたのですから、風邪を引かないように重々気を付けるべきでした。
 
これから帝王切開を受ける方、風邪を引かないように気を付けて下さい。
私のようになってはいけませんから。

 

~2人目~

2人目は、’97年6月に産みました。
2人目の妊娠が分かった時、息子は1歳3ヶ月、歩き始めたばかりでした。
不妊症を患っていたので、もう妊娠できないだろうと思いこんでいて、「えっ」まさかの妊娠でした。
初診時にはっきりと2人目も帝王切開になると告げられました。
I
クリニックでの帝王切開の跡は、「目立たない」とされている横切りでしたが、二重に盛り上がり、とても汚い手術跡でした。
2回目は前の手術跡のすぐ横を切るから傷跡が変わると知り、「じゃ、きれいな跡になるかも♪」とちょっと期待をしたりしました。
ところが、これが後にトンデモナイことになるのです。

妊娠の経過は1人目とほぼ同じでした。
初期には妊娠悪阻で入院、後期になってくると軽いむくみが現れました。
妊娠9ヶ月で夫の実家に帰省し、K綜合病院産婦人科へ通いました。
出産予定日は6月27日でしたが、2回目の定期検診である6月3日、朝食中に破水。
ただちにK綜合病院へ急行。
診察の結果、前期破水のため、すぐに帝王切開となりました。

予定日より24日も早いお産でしたが、悪阻がひどかったことやむくみが出ていたことから、
私の腎臓が弱いため、妊娠に耐えきれなくなっていたのだと思います。

病棟での術前処置の後、手術室へ移動。
手術台に上がり、麻酔を打たれることになったのですが、針がうまく入りませんでした。
背中を丸めたかっこうもつらかったけど、針を刺したり抜いたりを繰り返されるのは痛かったですね。
とうとう麻酔医が呼ばれ、やっと麻酔が打たれました。
麻酔の効きはよかったのですが、破水するとは思わなかったので、今回も朝食を食べてしまったので、気分が悪くなってしまいました。
一度目の手術に比べ、かかる時間が異様に長いようにも感じました。
一度切って縫っているからかもしれませんが。

午前11時41分、2824gで娘が誕生。
2回目のせいか、子供の顔をしっかりと見る気持ちの余裕がありました。
オギャーという産声もちゃんと聞きました。息子の時は動転してしまって産声を聞いた記憶がないのです。
傷口にはステープラーが使われていました。ガチン、ガチンとホッチキスを止めるような音を今も覚えています。

病室に戻ったのは午後12時30分頃だったと思います。
麻酔が効いていて、下半身を動かすことはできませんでした。
夕方6時くらいまでこの状態で、夜になってから痛みがぐんと増してきました。
痛み止めの注射は短時間しか効果がなく、私は髪の毛を引っ張って痛みに耐えました。
子宮収縮剤の点滴がつらかったですね。
点滴が始まるとじきにキューとお腹が引っ張られるような痛みがやってくるのです。
ギュ、ギュ、ギューと強烈に痛んで、ちょっと痛みが治まって、またギュ、ギュ…の繰り返しで、
看護師さんが娘を病室に連れてきてくれましたが、「痛いよ~」としか言えませんでした。

術後8日目に抜糸。
すごく痛いんだろうな、と思っていましたが、全然。痛がりの私が言うのですから、

これから帝王切開を受ける方、安心して下さい。痛くないですよ、抜糸。

10日目、娘といっしょに退院。
今度は、手術前に風邪を引いたりしなかったので、よかったと思っていたのですが、1ヶ月後、傷跡の一部から出血。
朝起きて傷跡から血がにじんで下着についているのを見た時は、怖かったです。
どうなっちゃったんだろう…って…。
すぐにK総合病院の救急外来へ。
診察したのは、主治医とは別の産婦人科医でしたが、抗生物質のゲンタシン軟膏を塗って処置はおしまい。

8月2日、自宅に戻りました。
傷も痛まず、悪露も引いて普通の生活に戻っていたのですが…。
8月下旬、下腹部に違和感を感じました。
流しに立って家事をしていると流しのヘリに当たるお腹の部分が痛むのです。
へその真下10㎝のところ、傷跡の真ん中あたりでした。

9月中旬、先月からの痛みはずっと続き、痛む部分に大人の親指の先くらいの大きさのおできができていました。
指でそっと押さえただけでも強烈な痛み。
たまりかねて自宅近くのH産婦人科へ。
女性の院長がお産用のはさみでおできをつぶしました。
以後、2~3日に一度通院するように言われ、1ヶ月通いました。
1ヶ月経ってもおできは良くなりませんでした。
つぶされた跡はへこんで、中から膿が出て止まらなくなりました。

10月下旬、H産婦人科で「これ以上診察できない」と言われました。
「転落を起こしているかもしれないから、産んだ病院へ行ってほしい」と。
先生の目の前で、総合病院へ電話をかけて主治医に縫い方を問い合わせてみます、と粘っても

素人に何が分かるか、と言われ、「ウチで産んだらこんなことにはならなかったのに」と捨てぜりふ。

11月3日、夫の実家に帰省。
ただちにK綜合病院の救急外来で主治医の診察。
傷跡の穴の深さを測ったら1㎝でした。
薬を塗って自然に穴がふさがるのを待つことになり、それまで通院することになりました。
主治医が外来担当の日は外来で診てもらいましたが、それ以外の日は、病棟内の診察室へ呼ばれました。
その診察室では、看護師が立ち会わず、男性の主治医が自分でガーゼを切り、患部に薬を塗り、ガーゼを当てていました。
私の傷跡は横切りですから、診察時にはとても抵抗がありました。
婦人科の治療なのに、なぜ看護師が立ち会わないのか不思議でした。
恐らく、傷跡を化膿させて舞い戻ってきた「失敗作」の私をなるべく看護師の目に触れさせたくなかったのでしょう。

自宅に戻ったのは12月中旬。
K綜合病院には6週間通いました。
異変を感じてから完治まで何と4ヶ月。
5年経った今では、化膿した部分はくぼみになってそこだけ黒くなっています。
ほかの傷跡は薄い一本の横線になっています。

長い体験談となりました。
私の体験談を多くの方々に読んでほしい。
そして、読み終わったら、帝王切開は決してラクな方法ではないことを知って下さい。
ラクをするために、帝王切開をするのではないのです。
術後に感染症にかかったり、傷が化膿したりするリスクがあるのです。
だけど、そういうリスクがあっても、帝王切開で産むしかない場合もあるのです。
帝王切開によって、多くの母と子の命が救われています。
 
これから帝王切開を受ける方へ。
私の体験談を読んだからと言って、帝王切開を怖がる必要はありません。
妊娠中に風邪を引かないよう、体力を消耗するようなことはしないようにすれば、
術後に感染症にかかったりはしないでしょう。

傷の化膿はめったに起こることではありません。
でも、もし化膿してしまったら、近くの病院で済ませずに、手術をした主治医に診察をしてもらい、

 

傷がどういう状態なのか、納得いくまで説明を受けましょう。
それが心の傷を広げない方法です。

帝王切開への理解が深まることを心より願っています。


私の母も私を産むとき、骨盤が小さい(身長147cm)ので難産になると言われて、実際難産でした。
なのでなんとなく生む前から私もそうなるんじゃないかな?って思ってました。

妊娠して検診に行ってもそれらしい事は何も言われなかったので、”陣痛怖いなぁ”
とか〝会陰切開やだな”とか自然分娩を想像してこわがってました。
予定日が近づいてもお腹が張ったり、トイレが近くなったりしなかたので少し変だなって思い始めました。
予定日の日、検診で「一応レントゲンとりましょ」と言われ、とったレントゲンを見て医者は
「全然下りてきてませんね。」と定規を手に骨盤と赤ちゃんの頭を測りました。
「赤ちゃんの頭とあなたの骨盤の差は1cm未満です。これは骨だけの数値なので実際はもっと狭いでしょうね。

自然分娩できる可能性はゼロとは言いませんが、難しいでしょうね。どうします?」と。
どうします?って手術のカレンダー見てるって事は今決めなきゃいけないって事なの?って
ちょっとパニックになりかかりましたが、診察室の外で待ってる旦那を呼んで説明。
すると旦那は「明日でお願いします」なんていってるじゃないですか!!
私が怖がりなのを知っているので、時間があればあるほど辛いだろうと、そう言ったらしいんです。

(実際は早く赤ちゃんに会いたかった為だと思いますが・・・)
その時から2時間後に入院し、夜10時から絶食。
次の日、昼2時から手術でした。

痛いと聞いていた麻酔は全然痛くなく、ほっとした矢先、お腹を切り始めるとなんだか
苦しくて苦しくてたまらなくなりました。
赤ちゃんの顔を見る前か後か忘れましたが、吐き気がして「少し気持ちが悪いです」と言い終わると何度か吐きました。
と言っても何も食べてないので何も出ず、息ができなくなって”私死んじゃうかも?”って本気で思いました。
手術中は苦しくて長くてたまらなかった。

 

あと医者同士の会話が最低でした。
「どちらの方向から縫うんですか?」とか、「お前がそこ引っ張るから吐き気がするんだ」と。
どうやら勉強中の医者がベテランの医者に質問していたり、ベテランの医者が注意したりしてたみたいなんです。
私的には”わたしの体は練習用じゃないぞ”って感じでした。
特に思ったのは”この吐き気はお前のせいか”って事ですね。

大体、下半身麻酔ってわかってるんだから質問とかは手術後に患者のわからないときにしてほしかったです。

 

病室に戻り、麻酔が切れかかっているとき、1人の看護婦さんにお腹をグリングリンマッサージされたのは言葉にできないほど痛かった。(まだ自分で動かせなかったはずの足が痛みで上に上がっちゃいました)
はっきり言って帝王切開は2度と嫌です。
2
人目はなんとか自然に生みたいです。


37週の検診の時胎児の頭が大きそうという事で念の為骨盤のレントゲンを取りました。
写真を見た医師の判断は大丈夫だろうとの事でした。
頭が大きいと帝王切開とも言われこの時初めて意識しました。
この時点でまだ赤ちゃんは降りてませんでした。

陣痛が来たのは予定日の4日程前でしたが弱いものでした。
1
日後の夜、陣痛が10分おきになり病院へ電話をしてから主人と車で向かいました。
診察を受け、弱いけど陣痛がきていますからこのまま入院しましょうと言われました。
しかし翌日も陣痛は治まったり始まったりと不安定なままでした。
その陣痛が強まったのは深夜。ナースコールで知らせるとお産セットを持って来てください
との事。セットを持ちトイレを済ませ分娩室へ歩いていきました。
しかし強くなってもこの時点で子宮口は開いてませんでした。
朝子宮口が開き始めましたが赤ちゃんはまだお腹から降りる気配はなかったです。
医師からこのままでは丸1日かけても生まれないので促進剤を使いましょうと言われました。

8時過ぎ、点滴にて促進剤投与。9時には主人と母が来てくれました。
それからは順調に子宮口は開き陣痛も強くなっていきました。が、赤ちゃんは全く降りてきませんでした。
昼過ぎ破水。感染予防の薬を飲みました。更に痛みが強まり、痛がる私に赤ちゃんも出たがってるのよ!と助産婦さんが言いました。
子宮口は8cmになりましたが赤ちゃんは降りてきません。
この時は睡眠不足からか意識朦朧としてました。
破水から1時間後胎児の心音低下が始まり主人が呼ばれました。
医師は装置を見ながら胎児が危険な事、私が限界の事を説明してました。

それを聞いて私は帝切に踏み切りました。心音低下に恐くなったからです。
それからバタバタと手術の準備が始まりました。
血液検査などを行い剃毛をされました。他にもされたように思いますが記憶がありません。

ストレッチャーで手術室へ運ばれ裸にされ腰椎麻酔をされました。
その瞬間激痛がひいたのを覚えてます。
切られている感覚のある中手術が進んでいきました。何かを引っ張り出すような感覚の後
医師の生まれましたとの声。3584gの女の子でした。


泣き声が聞こえない数秒間が凄く恐かったです。泣き声を聞いて漸く安心しました。
視力が悪い中、側に連れてこられた赤ちゃんを必死で見つめました。
医師が臍の緒が2重に巻いていたよと言われました。
ぐったりしたまま病室へと移されました。大部屋で私以外は皆自然分娩だったので

ストレッチャーで返ってきた私を皆好奇の目で見てました。
翌日まだぐったりしている私に何があったのか聞きたがるのには参りました。
朝から看護師さんに身体を動かすように言われました。
午後には管が抜かれトイレは一人で行きました。

あまりの回復の速さに母は驚いていました。
しかし早く元に戻り母乳をあげたいと身体を動かした為か高熱を出しました。
幸い熱は一晩で下がりましたが主人に無理するなと叱られました。
2
週間の入院後退院しました。
母子手帳には胎児切迫仮死、児頭骨盤不整合と書いてありました

 
2人目

2子は9ケ月後妊娠しました。
元々産後検診で次も帝切と言われていたので気は楽でした。
普通分娩ができればいいとは思ってましたが他の病院で産む気にはなれなかったので
気持ちは決まってました。それに1年に満たない妊娠でしたし。
妊娠中、何度か胎児が小さいと言われました。
妊娠34週最後の超音波でも胎児は1700gと小さかったです。
が手術は37週と決まりました。3週間あるから子供も育っているだろうと言われました。
この時もっと強く予定日まで待って下さいと言えば良かったと思います。
手術の前日入院しました。

手術当日朝浣腸をしてシャワーを浴びました。

手術後のパジャマとバスタオルを看護師に手渡した後手術着に着替えました。手術室へはやはりストレッチャーでした。
手術室へはいり手術台に乗せられ裸になり腰椎麻酔をされました。
布のような物をかけられ ました。
やはり切られる感覚を感じながら赤ちゃんを待ちました。
引き出される感覚の後大きな泣き声が聞こえました。でも体重は1902gの小さな女の子でした。

 

側で見た子供の小さな姿にびっくり!大きな声が救いでした。
慰める為でしょう助産婦さんが長い指よと言ってくれました。赤ちゃんはすぐ診察の為
小児科へ連れていかれました。
手術が終わりストレッチゃーに乗せられ病室へ戻りました。
運ばれている間主治医が赤ちゃんは肺とかの内蔵はできているから小さくても大丈夫だよと言ってくれました。
その夜は手術の痛みと後陣痛が重なりきつかったです。
赤ちゃんは結局保育器に入りました。

一週間後抜糸をしました。早い人は翌日には退院です。
子供は保育器を出たばかりで医師からは退院まで一ケ月はかかるでしょうと言われて
ましたので、私はどうしたら入院が長引くだろうと考えてました。
夕方抜糸した所から血がにじんでました。たいした事はないと思いながら汚れたガーゼを
替えてもらおうと何気無く看護師さんに言いました。それから数分後主治医が慌てたように病室に来ました。
おかしいなといいながら傷口を消毒してテープを貼ってました。
傷がつかないと退院長引くよて言われました。
翌日退院診察でしたが傷は塞がっておらず退院許可がでませんでした。
数日間傷口の中にガーゼを入れて肉が盛り上がるのを待ちました。
しかし結局塞がらす縫い直しとなりました。
縫い直しの為傷口に麻酔注射をされました。しかしその麻酔は手術の麻酔にくらべて弱いらしく激痛が鈍痛になる位で痛かったです。
赤ちゃんが小さかったので入院が長引くのは構わなかったのですが、抗生物質投与で母乳を止められたのは辛かったです。

縫い直しは溶ける糸だったので抜糸はありませんでした。
結局入院は3週間になり、その間婦長さんがミルクを沢山飲ませてくれたおかげで赤ちゃんと一緒に退院ができました。


1回目:元々、骨盤の形が奇形という事を言われてはいました。
子供が骨盤を通るかどうかは微妙だと言われていました。  
しかし、一応普通分娩でという事で、41週で陣痛がきました。
陣痛は微弱で、なかなか子宮口も開かないので、促進剤やバルーン(?)を入れ
陣痛に耐えること12時間。医師の内診で破水はしたものの、
私の体力は限界にきていました。夕方、翌日の朝まで産まれなかったら
骨盤から出ないものとして、帝切しましょうと医師に言われました。
私は何故か「最後に切るのなら、もう、今切って下さい」
と医師に頼んでいました。普通は「もう少し頑張りましょう」と
医師が言うものなのでしょうが、医師が黙って分娩室から出て行きました。

 

主人と姑、母を控え室に呼んだ医師から説明が始まったそうです。
このままでいけそうでもあるけど、私が帝切を希望している事。
確かに、羊水が濁っていたり、胎児の心音が弱くなりつつある事。
それを話したうえで、どうされますか?と聞かれたところ、主人が
「本人も希望しているのなら、切ってあげて下さい」と頼んだらしいです。
夕方の6時過ぎに緊急帝王切開をしました。
生まれた長女は、少し危ない状態だったそうです。
もしも、あのまま朝まで待っていたとしても、深夜の緊急手術になったか最悪の事態も・・・。という事でした。
医師が言いました「きっと、赤ちゃんの苦しみがお母さんに伝わったんですね。
母子の絆は医学は越える事もあると、私は信じています。
お母さんの希望にそっていて正解でした」と。

 

回目:一人目は帝切でしたが、2人目も一応、自然分娩でいきましょうという医師(1度目と同じ)との話で、とりあえず陣痛を待ちました。
予定日の2日前、陣痛はきました。
しかし、実は数週間前のレントゲンで、胎児の頭が少し斜めに骨盤にはまっていて
このままでは出ないおそれがあると言われていました。
陣痛がきてものの、やはり微弱。
促進剤はもちろん使えませんし、とにかく待ちました。
でも、遠のくばかりで・・・。その日、上に子供がいる事もあり仕事を休んでいた主人は、年に2回の仕事が多忙な時期で
今日、陣痛が遠のいて、また陣痛がきても、もう休めない状態でした。
夫婦の話し合いの中で、結論は出ました。
医師の診察の際「下がってくる様子ないですか?」と聞いたところ
「やっぱり、斜めにハマってしまって出ないのかも・・・」という医師の言葉に
「もう、切って頂いた方が、こちらも都合がいいです」と
お願いする形で、一応緊急手術という形で、無事、次女出産。

 

3回目:この時は、妊娠が判明したその日に、
「今回は3回目なので、リスクが大きいので切腹させて下さい」
と医師からのお願いという形で、予定帝切決定でした。
しかし、予定通りに手術は始まったものの、
何故か頚椎麻酔の麻酔が入らず、麻酔だけで1時間ほどかかりました。
次女の時に、一緒に入院してた患者さんが麻酔の後遺症で、辛い思いをされてるのを目の当たりにしていて、
その麻酔の1時間で、急に不安になりました。
少し、パニックになりつつありました。
「もう、イヤだ!やめて!!」と叫びたくなっていました。
でも、やめたところで、出産する手段はないんだと自分に言い聞かせ大きく深呼吸をして、どうにか落ち着けました。
なんだか、お臍の下あたりに、前の2回とは違うちょっとした違和感を持ちつつも、手術は進み
無事、3女誕生。


しかし、産後5日くらいに、子宮収縮剤の点滴のせいか
すごい後陣痛に襲われトイレで10分ほど動けなくなったりしました。
手術中のパニックと、この後陣痛のおかげで、男の子が生まれるまで・・・と願う旦那を
尻目に「これで打ち止め!!」と宣言している私でありました。
 


大体妊娠中は「順調です、でも大きいみたいだねえ」以外聞いたことなくて、もう何事もなく出産できると思いこんでいました。
ところが予定日2日前の検診で「なんでおりてこないんだ?
ちょっとX線とってみるか。」ということでわけもわからずX線をとって帰宅。
翌日看護婦さんからTEL。「あなたの場合、骨盤より赤ちゃんの頭が大きいかもしれない。

場合によっては帝王切開の緊急手術になるかもしれないので3連休中も家族の人にいてもらって下さい」
私にしてみると「は?!」ってかんじで、「それでも陣痛がきたりするんですか」と聞いたのがやっとでした。

(「もちろん陣痛や破水もありえる」という返事でした)
そして驚いたことに予定日の深夜、突然の破水。
自分の体の中で「ブチッ!」って音が聞こえました。そのまま病院へ。
その晩の当直が私にしてみるとよりによって2日前の先生。
そのまま朝まで様子を見ましたが(4時間ほどかな)、陣痛の気配は全くありませんでした。
内診のあと、先生から「あなたの場合は陣痛促進剤を使っても赤ちゃんを苦しめて
それから切ることになるかもしれませんよ・・」と言われ内診台の上の私は「帝王切開でお願いします」と決めました。
陣痛促進剤というものへの不安感があったのも事実です。
でもその時には帝王切開のリスクというものは何も聞かなかったし、知りませんでした。
そのことは後悔してます。でもその時はそんなことまでとても頭がまわりませんでした。

私の場合帝王切開だったことについて誰も否定的にとらえずにいてくれたのが幸いでした。

一言も聞いたことがありません。
ただ私自身に「あの時はあの手段しかなかったのかなあ」という思いがずっと残っています。
特に先生に対しては!(あとから「あの先生は切るのが好き」と別の患者さん達から聞いたりして) 
あと「2回切ったら3回目も切る。出産はそこまで」と聞いて、別に4人出産しようと考えてはいませんが自分の人生に
外側から制限されるのはイヤだなあという思いから2人目の出産はできるだけ切らずにいきたいと考えました。

2人目の時は最初から病院を代え、助産院にお世話になれないかとも思ったのですが「一度切っている人はやはりお受けできない」と説明をうけ、近くでVBACできる大学病院を紹介してもらい、無事そこで自然分娩できました。


身長148cmの私。診察に行くたびに「身長小さいねぇ、普通分娩出来るかな!?」と言われていました。

予定日を過ぎて一日目。
診察に行くと蛋白尿プラス血圧が高くなっていて「妊娠中毒症」と判断されました。
早速その日の夕方に入院。「明日出産しましょう」と先生に言われました。

入院した日はまず風船のような物を子宮に付けられ(はっきり説明できなくてすみません)、
それから骨盤のレントゲン撮影をしました。
レントゲンの結果は「まぁ大丈夫そうでしょう、普通分娩で」とのこと、
でも私の場合帝王切開になる可能性も大きいので21時以降は絶食となりました。

出産当日。
朝8時から強力な下剤を飲んだり、背中に針を通して無痛分娩の準備が
施されました。(無痛分娩にしたほうが産道が広がりやすいそうです)
陣痛促進剤の点滴がはじまると、外で待っていた旦那も部屋に入ってきて
微弱陣痛は少々あったものの、家族と話もできたので私の心も少しは和みました。
何時間かごとに先生が子宮口の開きを見に来ましたが、なかなか開く気配がなく途中破水もさせたりしていろいろな処置がされました。
しかし5cmまでしか結局開かず、夕方6時前に赤ちゃんもきついだろう 児頭骨盤不均衡ということで帝王切開へ。
それからは本当バタバタと事が運んでいきました。

無痛分娩も施されていたので、腰から下は感覚がない状態。
LDR室から手術室までストレッチャーで移動、初めて見る手術室のライトの明かり。
(ストレッチャーの冷たさ&オペ室の雰囲気がなんだか恐怖でした)
先生が「赤ちゃん見てから眠る?どっちでもいいよ」とおっしゃったので赤ちゃんを見てからを選び、手術開始。
なんだか下の方でカシャカシャされてるのがドキドキだったけど、
生まれたての赤ちゃんを見れたし、産声も聞けたので良かったです。
後処置が始まるとなんだかイタイような気がしてきて、即先生に眠らされる注射をしてもらいました。

眠気からきちんと覚めるまでは、うつろうつろで旦那の名前を呼んだり

「赤ちゃんは?赤ちゃんは?」って叫んだりして眠気との戦いだったけど、
21時頃にはすっかり元に戻り、「赤ちゃん産まれたよ」メールを友達に送っていました。

手術の経過は順調で次の日には腰を伸ばし部屋移動もしたぐらいで看護婦さんも驚いていました。
母子同室は普通分娩の人は次の日からなのが、帝王切開は一日遅れてだったので
少し寂しかったけど、その日まではぐっすり眠らせて頂きました。
(看護婦さんが短時間は部屋に連れてきてくれたのでうれしかったよ)
後はオナラが出るまではご馳走が食べれなかったという点が辛かったです。
入院期間が帝王切開の場合13日っていうのも早く家に赤ちゃんと帰りたい私としては辛かったです。
傷はケロイド体質だったようで、立派なミミズがお腹にへばりついています。

普通分娩でも帝王切開でもいえることだとは思いますが、子供の出産日というのは想い出深い忘れられない日です。
子供が元気に産まれてきてくれることが第一の幸せです★
 


はじめは普通分娩の予定でした。

予定日を過ぎて二日目の夜中、陣痛の為入院。
朝7時までは何とか余裕もありました。そこからが地獄でした。
陣痛がすごくなってきているのに子宮口がなかなか開かなくて、赤ちゃんも降りて来ないのです。
真ん中が開いたイスに股を広げて座らされたりも(是はかなりきつい!!)したけど、子宮口も開かないし赤ちゃんもやっぱり降りてきません。
私は病院中響きわたるくらい泣き叫んでいたので、急遽、無痛分娩に。

分娩台に乗って無痛分娩の麻酔をしましたが、片方の足しか効かない。
(これは助産婦さんも右足しか冷たくならないねぇと言っていたので、勘違いじゃないはず!)
で、分娩台に座って5時間後いきんだりしたり吸引も2回したりしても、赤ちゃんが降りてこないので、急遽、帝王切開で手術室へ。
手術室に行ってからもお腹に看護婦さんが乗って押さえながら吸引。(私は吐きまくりました。)
でも、赤ちゃんが降りてこないので、はじめは下半身麻酔をし、効かないと訴えた所、いつの間にか全身麻酔に。
気が付いたら手術後の2時間後でした。

後から聞いた話では、帝王切開になるとき主治医のせんせいがだんなに
「お母さんが協力しないから」と言ったそうです。とても、がんばったのに。
結局、原因ははじめから骨盤が狭かったので無理だったそうです。
レントゲンを撮らない病院だったので。
なのに吸引3回もされた赤ちゃんは産まれてから1週間くらい頭に湿布をしてました。
かなり腫れあがっていたのです。
黄疸で、光線治療もしました。
私の傷はお腹の傷より、いきみすぎて痔がすごかったのと、会陰切開が重なって、そっちの方がつらかったです。
あの先生が旦那に言った言葉は一生忘れられません。

私が通っていた病院は混んでます。
産んだ方は良い悪いの評価が半々です。
私は二度と行きたくない病院です。