43.双胎間輸血症候群

2000年1月に緊急帝王切開で双子の男の子を出産しました。

予定日は3月29日でした。
前年1999年12月末より医師の勧めで25Wの時から管理入院していました。
少しおなかが張りやすかったですが、いたって元気…なはずでした。


年が明けた2000年1月に双子のうちの一人の心拍が確認出来なくなりました。
実はその少し前から胎動が少なくなったような感じは受けていました。

が、初めての妊娠だったのでこんなものかな?と思っていました。
今思うとその頃には一人の息子はもう亡くなっていたのかもしれません。


心拍が確認できなくなった時点でまだ28W6dだったので、すぐにNICUのある周産期医療センターへ運ばれ緊急帝王切開でした。
双子の妊娠を知った時点でなんとなく帝王切開を意識はしていたものの、予定日より3ヶ月近くも早い出産、そして何よりも私のお腹の中で子どもたちはどうなっているのか不安で不安で一言も言葉を発することができませんでした。

 

運ばれたときに「まだ二人とも動いてますよ、でもすぐ取り出してあげないと危険です」と確かに言われたはずなのに、やはり一人は死産でした。
もう一人はすぐにNICUに運ばれたので見ることも出来ませんでした。
死産だった子は翌日部屋に連れてきてもらい対面することが出来ました。
小さかったですが、もう立派に赤ちゃんでした。
冷たくなった体を抱きしめてさらにその翌日お別れをしました。

 

そしてお別れをした日、NICUで頑張っているもう一人の子どもと会うことが出来ました。
とにかく出産してからずっと泣きどうしでしたが、頑張ってる子どもを見ると胸は痛みましたが『私もしっかりしなくては…』と思いました。
そのあと私は子どもを残して術後8日目で退院しました。


母乳を搾乳して病院に届けに行く日々が始まりました。
子どもの状態はよくありませんでしたが、目をあけてくれた手を握り返してくれた…と言っては一喜一憂していました。

でも生後42日目に天使になってしまいました。

わたしの場合双胎の中でも一卵性の一絨羊膜一毛膜という膜性で、お腹の中で赤ちゃんが同じ胎盤を共有していて、

しかも赤ちゃんを隔てる膜もないという双胎のなかでも1%の確率の珍しいタイプでした。
もちろん二卵性と比べるとリスクも高くなります。
手術中お医者さんが胎盤を取り出して驚いていました。
なぜかというと胎盤についてる二本のへその緒が、とにかくぐるぐる巻きだったのです。
医師の所見では一卵性の双胎は胎盤からへその緒を通じて交互に血液が送られるのに、
へその緒がぐるぐる巻きだったために一人が多血症となり、もう一人が敗血症となったのではないか…というものでした。
でもどれだけ医学が進歩してもお腹の中でおこったことはどうしようもないんですね。
つくづく感じました。

二回目の妊娠は息子たちの誕生日を迎える頃判明しました。
妊娠中とにかく元気に産まれてくれるのか、自分で呼吸をしておっぱいを飲んでくれるのか不安で不安で仕方ありませんでした。
特に28Wを過ぎる頃には訳もなくドキドキとしていました。
病院は息子たちを産んだ病院にはどうしてもつらくて行けずに、別の『帝切のあとは必ず帝切』の病院で産みました。
VBACに挑戦したい気持ちもなかったではないですが、それより何かトラブルがあったときの方が怖くてどうしても挑戦できなかったです。
でもいま元気に産まれた娘の笑顔を見ているとこれでよかったと心から思えます。

今3回目の妊娠中です。もうすぐ3回目の帝王切開です。ベテラン?です() 
きっとこれで最後の出産になると思います。