7.回旋異常(P.3)

初めての妊娠、出産でした。
嫁ぎ先の近くの産婦人科へ通ってましたが 妊娠3ヶ月の頃に前置胎盤だと言われ、毎回先生が違うのでその後 別の先生に胎盤の位置を聞くと正常だと言われ、ほっとしました。
そして実家が新幹線で2時間半の所なので予定日2ヶ月前に実家へ帰り里帰り出産でした。

 

臨月に入り逆子になりました。
もう治らないと諦めてましたが実母に諦めたらあかんと言われ、逆子体操とお風呂にじっくりつかり3日後病院にいくと逆子が治っていました。
先生も帝王切開の予定くもうとしてたのでびっくりしてました。
そして予定日を1週間すぎてから促進剤うとうかという話になり入院し、その日に点滴をしましたが
陣痛はくるもののなかなか子宮口が開いてくれず 破水もいっぱいさせてて
7センチまで開きましたが次に内診すると6センチになっていて緊急帝王切開となりました。
おなかの中で赤ちゃんの顔の向きが逆になっていたらしいです。

 


1人目出産時
妊娠中はつわりを始め、これといったトラブルもなく過ごせました。
ただ、運動・体力不足と体重が16キロ増がいけなかったかなと思います。
大型台風の上陸の39週目4日朝6時にバッシャっと破水に気づき、トイレでナプキンを当ててから、なぜかもう1度寝てしまいました。
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時間後または破水をしたので、病院に連絡、8時には陣痛室にいました。
やっぱり気圧とお産って関係あるのかなとか思いながら陣痛がつくのを待っていると13時くらいから生理痛のような痛みが始まりました。
陣痛はとても弱く、陣痛室で次々に他の妊婦さんに追い抜かれる中、へその緒が首に3重に巻きついているのがわかり、

また回旋異常が診られるとのことで普通分娩だと長時間かかるし破水もしていたので、赤ちゃんに危険が及ぶ可能性があることを説明され、翌日お昼までに変化がなかったら帝王切開しましょうと言われました。


手術が決まると4人がかりくらいで処置をされました。
導尿の管を刺すのがとても痛かったです。
手術室はテレビで出てくるようなのと同じで、入るとちょっと緊張しました。
その後とても狭いオペ台に丸くなって横になってました。


その時の1番陣痛が痛く、看護婦さんに赤ちゃんも頑張ってるからね、もうちょっと待っててねとか言われた覚えがありますが、
かなり待たされました。
背中に麻酔をされるとすぐに痛みがなくなりました。
開腹してすぐに先生が膀胱に尿が残っていると言ってました。うまく導尿されてなかったようです。
手術の間、目を閉じようとすると怒られました。
お産なんだから起きてるようにということだったようです。
産声が聞こえるとすぐに見せてくれました。
涙が出たけど拭えず、麻酔を追加するねといわれ、体にすぅーっと冷たいものが走る感じがしてすぐにマスクをされて、
全身麻酔に切り替わり、幻覚を見る世界に入りました。怖かったです。


縫合にはもう1人先生が来ました。

意識のない中でも先生2人が何かやりとりをしているのが聞こえました。
次に目覚めたのは回復室で夕方でした。
同意書にサインしたのが13時頃、産まれたのが1511分でした。


目覚めるとすぐに吐き気とお腹の熱い痛さに襲われました。
ひと晩で痛み止めを2回と座薬1回をしてもらいました。
翌朝早くに足に取り付けた機械が外され、9時頃には室内のトイレまで歩きました。
初めての手術だったのでこんなにも歩けないとは想像してませんでした。
トイレではいろんなものが出たような気がします。

この時は尿も出ていると思っていましたが、出ておらずその後苦しみました。

 

その後病室に車椅子で移動する際に、保育器に入ってうつ伏せで丸くなっている息子に会わせてもらいました。

この病院では帝切の場合24時間保育器に入るそうです。
食事はお昼に氷が出ただけ、夜も重湯みたいなので、3日目からいかにも病院食ってものが始まり、

排便が通常になると産婦人科らしい豪華な食事に変わりました。

 

シャワーは5日目くらいからでした。
お腹の傷は縦切りで針が刺さってて衝撃でしたが、針を取るのは痛くなかったです。
腹帯はコルセットのようなマジックテープ式だったので自分でも装着可能でした。
退院時に傷跡をキレイにするというテープを貼ってもらいましたが合わず、傷周りがかゆくなってしばらく困りました。
退院後「紫雲膏」も使ってみましたが、私には特に効き目はなかったです。
このときのお産でもっともつらかったのは、術後の排尿です。
ずっと出ていなかったみたいで、3日目の夜には限界でした。
ナースコールをして訴えても、私が歩くのが嫌でトイレに行けないんだろうと思われて「頑張って歩かないとだめですよ」とか言われてしました。
何とか1人の看護師さんにわかってもらえて車椅子で内診台まで運んでもらって、針をさして導尿してもらうとビーカ-1杯分くらい

尿が出て、「これは痛いわっ」とびっくりされました。
そのあともう1回導尿後からは通常に排尿できるようになりました。


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人目の出産時に担当医に前回は排尿が辛かったことを伝えると、下半身麻酔のせいだろうと言われ、納得しました。
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人目出産時は、34週から実家に里帰りをしました。
こちらの病院紹介にも掲載されているところです。

実家からとても近く、私自身も兄弟もそちらの病院で産まれているので、何の考えもなくその病院で出産をと思っていました。
でもももしかして帝王切開に踏み切るのは早かったのでは・・・。もうちょっと頑張れたのでは・・・。
などと思ってしまいます。

もちろん母子共に無事でいられたことが第1だとわかっているのですが・・・。

産後、いろいろな方からあの病院は帝王切開が多いねと言われることが多く、結局自分も帝王切開での出産になったので

事前の情報収集をしなかったことを少し後悔しました。
もちろん病院だけの問題ではないですけど。


でも他のこのお部屋にたどり着いた方々と同じように、やすべーさんの『産み方より育て方』という言葉と

このお部屋に『力』をいただき、自分の中で「帝王切開でのお産」を消化できるようになりました。
このときの費用は10日の入院で総額60万円くらい払いました。
保険で7万円くらい、高額療養費で12万円くらい、確定申告で4000円くらい戻りました。

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人目出産時
同じ月に産みたかったので、3年空けました。自分で本を読み漁って産み分けもしてみました。
体力をつけるためマタニティスイミングも通いました。
今回は上の子が保育園にも通ってるし、自分も仕事があったので里帰りはせずに出産するため、家から通える病院を3件回りました。
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番人気の病院では前回もその病院で帝切をうけてないとだめということでした。
そんな制限もあるんだとちょっとへこみましたが、最終的にはとても信頼できる先生と病院に出会えました。

 

妊娠中はまったくトラブルもなく、常勤の先生の1人が産休中ということで、帝切の日程が火・木曜の午後のみということが予めわかっていたので、7ヶ月の健診時に早めに予約を入れてしまいました。
先生は37週にこだわってました。

38週でもいいけど、37週入ったらしましょうとのことで375日での出産でした。
今回は仕事もしていたので母親教室には1度も参加しませんでした。
また、バースプランはありませんでしたが、手術時のカメラやビデオでの撮影やへその緒を主人が切るかとかできる範囲のことは
希望を予め聞いてくれました。
手術前2週間から鉄剤を出されました。

 

手術当日の入院で、お腹の張りをみてから剃毛をしました。
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時からの予定でしたが145分から始まりました。

今回は分娩台の様な手術台でした。
台に乗って大の字で寝ると導尿され、両腕に注射をしてマスクをするとすぐにパズルの中にいるような幻覚の世界に入りました。

でも怖くなかったです。28分には娘が誕生です。


主人はへその緒を切ってちょっと抱いて、3時には帰ったそうです。
前回、付き添いはいらないなとわかったのですぐに帰ってもらいました。
あっという間でした。
今回は全身麻酔でした。

最初は抵抗はありましたが、先生が慣れている方法が1番だと思いお願いしました。

もちろんすぐに子供には会えませんが、それ以外は問題なかったです。

 

初めて目が覚めたのは4時過ぎだったと思います。それから眠ったり起きたりの繰り返しで、
看護師さんがいろいろ話しかけてくれるのが聞こえました。
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時過ぎには時計も見えるようになってきて少し子宮の戻りの痛みがあったけど、声を出して逃すと楽になる程度のものでした。

自分でも状態は悪くないと思ったので娘を連れてきてもらい1時間くらい抱っこできました。

今回は保育器に入ることはなかったです。

 

その晩は同じ体制で寝ているので腰が痛いのと、導尿されているままなのでお股がムズムズするくらいで、2030分起きに起きてしまいますが、痛みらしい痛みもなく過ごせました。
同じ日に私の後にもう1人帝切された方がいたのですが、2人共その晩ナースコールすることなく、痛み止めなどを追加することもなったので看護師さんがびっくりされてました。


翌朝、管を抜いて念の為座薬を入れてもらい、病室に徒歩で移動しました。
その後傷口を消毒後、覆うように透明のテープを張ったのですぐにシャワーに入れました。
今回はさらしのような腹帯だったので、ずれたりシャワーの度に看護師さんにお願いしなくてはならなかったです。
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回目は前回とは比べものにならないくらい体も楽で、快適な入院生活でした。
辛かった排尿のトラブルも一切ありませんでした。やはり麻酔の影響だったのでしょうか。
おかげで、おっぱいのケアに集中でき、入院時から完母でした。
現在でも、傷の痛みやかゆみもなく、母子ともに順調で、今まで考えもしなかった『3人目!!』なんて思ってしまうほど快調です。
このときの費用は8日間の入院で41万円、保険で5万円くらい戻りました。
高額療養費と確定申告はまだです。

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人目の帝切から1年半くらいは悩みました。次の出産が怖い・・・。
でももちろん兄弟はつくってあげたいし、私も欲しい。
自然分娩にこだわりたいとも思ったけど、上の子のことを考えるとリスクを背負うのはどうかとか・・。
何とか自分の中で消化して、2人目の時は妊娠(病院選び等)~手術~現在(育児)を自分の思うとおりにできる範囲でやってきて、

とても満足していました。


でも、私の出産から3ヵ月後に義妹が出産しました。

それはとても安産で、私もとてもうれしいのですが、同時にとってもうらやましかった。

 

涙が出ました。こんな気持ちになるとは思わなかった。
こういう気持ちって誰かが出産するたびにまた湧き出てきちゃうんだろうか。
母子共に無事にが第1ってのは本当だしわかっている、幸運にも私のまわりには差別する声もなく
でもあとは自分の中の問題なのかなやっぱり自然分娩してみたかったです。


7月28日に第一子を緊急帝王切開で出産しました。
最初はおしるしから始まって5分間隔の陣痛までいったのですが、先生の内診とエコーで診たところ回旋異常が診られるとのことで帝王切開をすすめられました。


普通分娩だと長時間かかるし破水もしていたので、長時間かかると赤ちゃんに危険が及ぶ可能性があることを説明されました。
ちなみに私の場合、骨盤がおっきすぎて赤ちゃんの動くスペースがありずぎて、赤ちゃんの頭が産道にはまらなければいけないのに顎からきてしまったそうです。
よく骨盤が小さくて・・・とは聞いてたんですが大きすぎてっと言われて、
その時はパニックでしたが無事娘が生まれてきた今は少し笑えてしまいます。


帝王切開に抵抗がないといったら嘘になるけど、そのときばかりは「とにかく!!無事に娘に逢いたい!!」それだけでした。
手術は麻酔が効いてるから平気かな?っと安易な気持ちでした。
でも全然麻酔が効きませんでした。
苦しくて痛くて気がついたら病室のベットでした。
体質的に麻酔が効きづらいと先生には言われましたが詳しく検査してないのでわかりません。

 

産後はマタニティブルーだったのか「なぜ、あんなに痛いと言ってたのに先生は手術を続行したのだろう・・・

 

産声も聞けなかった・・・次も痛いのだろうか」
かなり病院に不信感を抱いてしまい夜も眠れずストレスがたまりました。
悩みに悩んでるときに、このサイトをしりました。
沢山の体験談をみて元気になりました。
私はなんて無知だったんだろうと思います。
普通分娩の情報は沢山溢れているのに帝王切開の情報はなかなかない現状によくない!!と思いました。
私も主人も2年後ぐらいにはもう一人と思っているのでこちらで勉強させていただきます。


どうも私はケロイド体質のようでして一度目の帝王切開の跡がそっくりそのまま長さ14センチ、
1センチほど赤く盛り上がり醜くてとてもいやだったのですが「勲章」だと自分に言い聞かせあきらめていました。


ところが、二人目妊娠がわかりVBACについて調べていた途中で 傷になりにくい縫合の仕方がある(真皮縫合)ことを知りました。
事情からVBACはかないませんでしたが ぜひ今度は傷が残りにくい方法で縫合して欲しい思い、それに対応してもらえる病院を探すことにしました。

「ケロイド体質なので前回の切開跡が赤く盛り上がり不快だし、醜くて困っているのだけどそのような場合、貴病院ではどのように縫合してもらえますか」と言うお尋ねのメールを産科と形成外科のある総合病院10箇所以上に送りました。
まめ知識の『ケロイド』のページで、ケロイド体質の場合帝王切開の縫合は形成外科医に依頼しているとお答えになった産科医さんがいらっしいましたが、私の尋ねた病院は、そのほとんどが「特にケロイド体質だからと言って手術方法は変えません」と言う回答だったのには驚きました。

そんな中で対応してくれそうな病院は2つだけでした。
実際に真っ赤なミミズのような傷を見れば、なぜ真皮縫合して欲しいかはわかりそうなものなのに「どうして真皮縫合して欲しいの?」などを聞かれました。
「傷が醜いから」と言う理由では、産科医の先生はその気にはなってくれないようでした。
女心は理解されませんね。
なので「すぐにかゆくなるし、季節の変わり目にはチクチクしてとにかく不快なんです!」と大げさに説明すると

ようやく「それなら、縫合方法を変えてみましょう」という雰囲気になりました。
結局2つの病院で実際に先生とお話して縫合方法について尋ねてみて、他の条件も考慮して今回の病院を決めました。

縫合は産科医の先生がしてくれ、通常より30分ほど余計に時間がかかったようでした。
傷は3Mテープ療法でケアしました。

テープ療法はまめ知識にある通りです。
でも、体質なのかやはり3ヶ月目に入って傷のした部分(縦切開なので)が徐々に赤く盛り上がってきてしまいました。
テープは半年ほどと指示されたのですが拡がるのが怖くて8ヶ月くらいまではっていました。
結局、14センチの傷跡の下から3センチほどが赤くはれている状態で固定しています。(現在産後1年と4ヶ月)

 

それでも、一回目の後に比べれば段違いにきれいですし、できることはすべてした、との思いもあるので大満足です。
「ケロイド体質の場合は、どんな縫い方でもケロイドになる可能性があります。

 

ケロイドになる原因は体質50%縫合方法25%術後のケア25%です」と担当医から言われましたが、上部11センチは
ケロイドにはなりませんでしたのでどんな方法で縫合してもらうかはとても大事だと感じています。


予定日の3日前に検診に行っている個人病院で「子宮口が2センチ開いてるね」と言われました。
全然下がってないから歩きなさいと注意を受けました。

年末年始にかかっているので、予定日の午後に出産する病院で検診をしました。
そこで、年が開けても陣痛が来なかったら入院して誘発しますと説明を夫婦で受け、子宮を刺激(卵膜はがし?)してもらい帰宅しました。

鈍い痛みがあり「もしかして・・・」と思いながら、夕飯や新年のおせち料理の準備をして、なるべく動いていました.
夜の5時から、1510分の感覚で張りが来て「いよいよだ~」っと興奮と痛みで眠れず。

夜が明け、10~7分おきになったので朝の6時にタクシーで病院へ。

まず助産師さんが子宮口と心拍モニターで確認。

3センチで帰宅してよいですよと言われたのに、研修医が「5センチだから帰らないで!」と、入院。
午後には部長先生がやってきて「5センチじゃない」って。。。陣痛も5分から進まず。
年末でのんびりムード。

 

2時頃から助産師さんにおっぱいマッサージを受け、一気に2分置きに。

6時頃からは、ただ者じゃない痛さにギャアギャアと喚いて何度も助産師さんになだめてもらい。。。

旦那も腰をさすったり、押したりと大忙し。
そのうち、入院してきた人がどんどん出産。産声を聞くたび、早く出てきて~と思いました。


先生に頭が下がってないと言われ「あと何時間こんなに痛いのかなあ」と考えました。
そのとき、ちょうど日付が変わり。2分置きになってから、10時間。不安になってきました。
でも前日も寝ていないので体力の限界で陣痛の間は寝てました。

助産師さんが子宮の開きを見るために触ったら、破水。

やった~と思って「これで進みます??」って聞きました。
「今の分娩がおわったら、先生に見てもらいましょうね」と少し待つことに。

分娩が終わって、診察した先生に「ダメだ、分娩停止。廊下の旦那さん呼んできて」っといきなりあわただしくなりました。

「ダメって何?停止ってどういう事?」と頭がグルグルしてました。
旦那と説明を受ける間にも、レントゲンや心電図・血液検査・点滴のための血管確保・血栓予防のタイツ着用など、
痛の間を縫ってドンドン進みます。
エコーを取ってる先生に「このまま産めそうです」って言ったら「気持ちはわかるけど、ほら顔が上向いてるから無理だよ。

赤ちゃんが元気なウチに出してあげましょうね」と説得されました。
陣痛は1分置き、子宮口は8センチ、もう痛くて痛くて。

旦那は不安そうな私をずっと励まし「もう痛くなくなるよ。後少しだからね」と。
横では、赤ちゃんと対面してるパパとママ。私はドンドン惨めな気分。
この場にいたくなくて「早く手術してください」と言いました。
ストチレッチャーが来たときは「この場に居なくて済む」とほっとしました。

それからは早かった。手術室で、服が切られて裸に。

手足はくくりつけられ、その状態で麻酔医が登場。全身麻酔で、すぐに意識はなくなりました。
目覚めたとき、旦那が抱っこする赤ちゃんが!!
私は「可愛いねえ」と言ったそうです(覚えてない)。
術後、熱と血圧が下がらずかなり辛かった。。。
なにより赤ちゃんに会えないので、産んだ気がしなくて「私は産んでない」と言って、旦那や母を驚かせました。

同室になってからは、可愛くて可愛くて仕方なかったですけど。

縦に切り、子宮は横に切ったそうです。9ヶ月経ちましたが、ケロイドは酷いですね。
私は、たまたま当直が部長先生だったから気が付くのが早くてラッキーだったようです。
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分置きでドコがラッキーだ?と思うのですが。あと、陣痛が30時間くらいだったのに母子手帳の分娩時間が〆になってるのは嫌です。。。

こんなところでしょうか?
とにかく、産前も産後も痛かったです。

なのに「楽で良いよね」とか「医者のもうけのために切られた」とたくさんの人から言われました。

赤ちゃんとママが無事なら、どんな方法でもいいじゃないかと最近は言い返せるようになりました。

それは、ここのみなさんから励まされたからです。
だから、私の事を話したいと思いました。
 


予定日より一週間過ぎた時点で先生から「あまり予定日より過ぎると胎内の状態が突然悪くなったりする危険があるので

誘発してみますか」と言われ、その三日後に入院することになりました。


それまでの検診でも10ヶ月にはいってもまったく頭が下がってこなくて先生も首をかしげたり、助産婦さんのアドバイスでウォーキング(毎日30分から3時間ぐらい歩いた日もあった)したりしました。
予定日からどんどん日にちがたっても、ちっともおなかのはりや陣痛がこないので、だんだん欝のようになってきて、

同じ月に産んだ二人が超安産でほぼ予定日どおりに産んでいたこともあり、精神的に不安定でした。

 

そしてその友人のだんな様がうちのだんなに(悪気はないのでしょうが)
「帝王切開はよくないらしい」と言ったりして、もう、帝王切開になったらどうしよう、と悩んでいた最中だったので、
ほとんど殺意を抱くぐらいの気持ちになりました。
いよいよ誘発という方針になり、まず他の病院でレントゲン(骨盤を頭が通るか)をとり、すぐに引き返し先生にレントゲンを見てもらい、

誘発しても大丈夫そうだ、ということになり、また、その時点で帝王切開に切り替わるかもしれない、という説明を受け同意書を入院までにもってきてください、といわれました。


いよいよ入院の日の朝、おしるしがあり、弱い陣痛もきました。急いで病院にいくと、子宮口が1.5センチあいた、とのこと。

先生に「待ちますか」といわれましたが、もう充分待ったので「いえ、今日お願いします」とのことで子宮口を開く措置をし、一度家に帰り、15時ごろもう一度本数を増やし、また家に帰され、夜にシャワーをあびて、食事を済ませてから入院しました。

その間にも陣痛はありましたが、病院にいき、分娩監視装置をつけたら「あまり張ってないね」と言われ、痛みはこんなもんではないのだな。と思ったのをよく覚えています。


夜、膣にバルーンを入れ、夜中ずーっと10分から7分おきの陣痛がありました。
翌朝、内診すると6センチあいていたので、いよいよ促進剤を使うことになりました。
かなりの痛みがあり、2から3分おきの陣痛になるともう、おなかが破裂しそうなくらい。
助産婦さんに聞くと、「人にもよるけれども一時間に1センチぐらい子宮口が開く」とのことだったので、その日の午前中には
なんとか対面できるかしら、と思っていたら、その後3度の内診でも6センチのまま。

子宮口を広げるために陣痛がきたタイミングで先生がぐーっと広げたりするのがもう悶絶するくらいの痛みでした。

 

そして3度目の内診(14時ごろ)になっても6センチのままで子供の頭もおりてきていない、あと一時間がんばってください、と言われ、

部屋に戻ると助産婦さんに「お産を進めるためにスクワットしてください」といわれました。

意識朦朧としつつもでも産まなければこの痛みから解放されない、と思い苦しみながらもスクワットしていると、先生が来て、

このまま明日までねばるか、破水させてみるか、帝王切開するか、という選択肢を提示してくれました。

 

私はすぐにでも(痛みから解放されたくて)「帝王切開してください」と言いたかったのですが、「リスクのない方法で」とお願いしました。

そして先生は「では破水させてみましょう」ということになり、分娩台へのぼり、破水させて、陣痛にあわせて吸引??(したような感覚)したのですが、

陣痛がくると子供の心拍が下がる(すぐに戻るのですが)ので、先生に「異常なかんじする?」と聞かれたので「よくわからないけど心拍が落ちてしまうのが非常に怖い」と伝えると「では帝王切開に切り替えましょう」ということになり、ばたばたと準備がはじまり、

よその病院から見たことのないドクターがかけつけ、先生が主人に電話して経緯を話し、「奥様と話されますか?」と言っていて、私は陣痛がいたくてそれどころではなく、真っ裸で管だらけにされ、でもその先生の言葉って「私死んじゃうの??」と思ったりしてました。

 

子供と私が死んだり、搬送されたりしたら、だんなはどうなるんだろう、と考えたりしてました。

助産婦さんが「もうすぐアカチャンに会えますよー」と声をかけてくれてましたが「本当かな。大丈夫なのかな」って心配で素直に返事することができませんでした。
麻酔の注射するために「丸くなって!!」とか「ひざをかかえて」とか言われましたが、こんな大きなおなかの上、
陣痛がかなりひんぱんにきてるので「ちょっと待ってーー」といいながら注射してもらうとすこしは楽になった気がしました。

しかし手術が始まるとやっぱり痛い感覚があり、子供が出てくるときもおなかを押してぶるんぶるんっていう感覚があって

帝王切開って痛い、、、って思いました。

そしておぎゃーって子供が出てきました。思っていたより弱弱しい声でした。
先生が「回旋異常だね。上むいてたよ」と言ってました。

そのあとだんだん麻酔がききはじめたようで、気分が悪くなってきました。(そうしたら「吐く時は横向いて吐いてね」とか先生に言われました。

 

でも助産師さんが「ほらーアカチャンですよーー」って顔にくっつけてくれて、子供の体温を感じて「あーあったかい」って思って、爪も白い部分が見えるくらいのびていたりして、気分が悪いのが吹きとびました。

手術中に主人もかけつけ、手術中の部屋に入れられ、「ほらーアカチャンですよ」ってだっこさせられ、先生も縫い終わるとすぐにカメラを持ってきて親子3人の写真をとってくれました。


術後の夜はヨーグルトぐらいだったら食べてもいいです、と言われ、だんなにふたさじぐらい食べさせてもらいました。

血栓が怖かったのですが、すぐに助産師さんが足にタイツをはかせてくれました。

陣痛の最中ずーっと一緒についていて、フットバスをしてくれたり腰をさすってくれたり、はげまし続けてくれた助産師さんは「あなたのがんばりは私が保証します。ほんとうによくがんばったわねー。この後は家族の方にいたわってねぎらってもらってね」と言ってくれました。

翌朝から普通の食事が出てきてびっくりしました。

そして二日目は立ち上がることを練習し、3日目は歩いてトイレに行き、シャワーもあびました。

鎮痛剤はどんどん飲んでいいですから、とにかく動いてください、といわれました。

でも痛み止め飲んでもおなかの傷は痛くて、授乳はフットボール抱きでやりました。

 

4日目にマタニティーブルーになり、朝から頭痛と血圧の上昇、そして涙が止まらなくなりました。

あまりのショッキングなできごとが続いたのと、母子同室で夜中もほとんど眠れなかったので。

でも助産師さんが手をさすって「本当に大変だったわねえ。よくがんばった。心配ごとがあったらなんでも言っていいよ。」って言ってくれて。

他の助産師さんもみんなはげましてくれて、先生も外来が休みだったので住んでいる3階から2階の入院のフロアに来てくださって

「何か心配ごとある??」とか「授乳はうまくいっている?」とかいろいろ聞いてくださいました。

 

「こんなに痛みがあるのに退院して子供の世話とかできるか心配です」と言ったら「大丈夫。現に今こうして立ち上がって子供をだっこしているじゃないですか」ってはげまされました。
実際退院は5泊6日(普通分娩の人は4泊5日)で、痛み止めもこちらから言ってやっと3錠ぐらいくれたのですが、
結局家に戻ったら子供の世話や家事が大変で、痛みなんて感じているヒマがなかったです。

 

退院のとき、先生に、「ああしたらよかった、こうしたらよかった、とくよくよ悩んで自分を責めてはいけない。

今回のこと(回旋異常)は彼(子供)の人生最大のミステイクだから、これからはあなたは胸に抱いたわが子を見つめて生きていけばいいよ」と言ってくれました。

また、お産をふりかえり「(あの時点での帝王切開は)いい判断でした」って言ってました。

先生のこの言葉はとってもありがたく、今もときおり思い出しています。

 

産後は私も子供も特にトラブルはなく、3ヶ月たった今とても元気に生活しております。
最初のころは子供を見つめて「苦しかったんだよね」とか「よく無事で生まれてきたね」とか思ってよく泣いていました。

しかしすくすくと育っていく子供に癒されています。

傷はだんだんきれいになってきました。横に切って中は縦に切ったと言っていました。

 

緊急だったのに横に切ってくれてよかった、と思ってます。
ただ、今の心配ごとは次の子供はいつ妊娠してよいのか、と次も帝王切開になるのかな、と
いうことです。


 

私は出産に対しての考えがありました。

それは、私達は動物なのだから、動物的に産みたい。
産めるような環境を整えたい。と思いました。

それは、バーストラウマ等のことや体内記憶の本など、にめぐりあってしまっていたので、医療行為をうけての出産にすごく不自然さを感じていたのです。
しかし、実際は、母子共にまったく正反対の形での出産となりました。
そんなこともあり自分の心の整理をつけるきっかけとして、この体験談を書かせていただきたいと思いました。
経過としてはまず、予定日1週間すぎの水曜の夜陣痛が始まり、夜中に破水してしまったので助産院にいきました。

しかしまだ子宮口は3,5センチなので家に帰され待機。


木、金 土曜日を微弱陣痛で過ごしました。

でもたまに強い陣痛がくるので、この4日間は精神力との戦いでした。

月曜の朝、陣痛も子宮口も開かなければ病院へ行こう。と助産師さんに言われ、救急車で大学病院に搬送されました。

私的には土曜の時点でもう自然分娩はしなくていい。

破水もしてるし子どもも心配だから病院に行きたかった。
けれど、きっと日曜日は避けたのかな?とふと考えることがあります。


さて病院ではすぐに陣痛促進剤を打たれ、ドクターに「1時間たっても子宮が開かなければ切ろうね」と言われました。

もうこの頃にはなぜか陣痛がほとんどこなくて、促進剤の効果もなく、私の体は穏やかになってました。

(疲れちゃうと陣痛もかなくなると友達があとから教えてくれた)子宮口は3,5センチのままでした。

1時間30分経過しても変化がなかったので、帝王切開になりました。

 

ここで今考えると恐ろしかったことがあります。

それは、麻酔をしたとき、麻酔がききすぎて、胸まできいてしまい、急に息ができにくくなり、苦しいことを、酸素をつけてくれている麻酔科の先生に伝いたいのだけれど、麻酔が効いているので手足が動かす声もでず首と目で苦しさを訴えました。

あの恐怖は忘れません。

酸素を強く口に押してもらうことで、大丈夫になったのですが、麻酔が取れてきたとき、「苦しかったよ」と伝えると麻酔科の先生は気軽に「ごめんごめん、」でさっぱりと謝られてしまいました。


子どものほうはといいますと、生まれましたが、普通、羊水の中で、うんちはしないらしいのですが、回旋異常で苦しくなり、ウンチをしてしまい、それを飲み込んでしまったので、感染してしまい、生まれて、即未熟児室に入り、点滴で、抗生剤を打ち続ける結果となりました。
処置によっては感染症にかかると障害が残る。とまで言われました。

 

私は陣痛促進剤を打つ予定も考えていなかったし、子どもが生まれたらすぐ、おっぱいを吸わせたかったし、その後も母子同室で母乳だけ与えて、過ごすつもりでした。
しかし、これらすべて正反対の環境におかれました。こどもは3960グラムの巨大児でした。
しかし、保育器にはいりました。

これはちょっと笑えました・・。と言えるのも、今、なにも問題なく母子共に元気に過ごしているからだと思います。


子どもは4ヶ月の今8600くらいあります。私のお腹はややケロイドがありますが、知り合いの針の先生曰く、「針で直るよ」といわれただ今治療中です。
「結果オーライ」私が学んだ出来事でした。

バーストラウマはベビーマッサージで、癒されればいいなと毎日ベビーにやってあげています。