6.微弱陣痛(P.1)

1人目を微弱陣痛ののち緊急帝王切開で出産した私は「今回こそ頑張って下から産むぞ」と張り切っていました。

悪阻の時期から体調が悪く体重が減るばかり。もともと巨体な私。
医師や看護師さん達からは褒められてましたが、お腹の中でちゃんと育っているか不安でした。
上の子との毎日の"バトル"にも付き合うのがしんどくて、「五月蝿~い!」と怒鳴ってばかり。
下の子の胎教は私の怒鳴り声と上の子の叫び声でした。

妊娠6ヶ月あたりの頃、確認のためにVBACする気満々な私は医師に聞いてみました。
私 :「経膣分娩出来ますか?」  
医師:「絶対ではないけど帝切をお薦めします。」(私、落胆の顔色)
医師:「確率は低いけど子宮破裂の危険性があるから。破裂してしまうと出血がひどく母子共に危ないので。どうしてもと言うならご主人とも相談してよく話し合いましょう。」
私 :「はぁ、考えてみます。」(えっ、死んじゃうの?)
医師:「前回もかなりお産の進みが悪かったし、陣痛で余計に破裂の可能性が高くなるから、帝切なら37週に入ったあたりで出産という事になりますね。」


前回出産の後、3~4ケ月ほど帝切での出産に対して悩み、泣いて暮らしていたので、
私自身が経膣分娩にこだわっていたんだと思います。
がっかりした気分で検診での事を主人に話しました。

そしたら主人は「危ないなら帝切でいいじゃん!」とあっさり言うので私も決心がつきました。

出産日当日、前夜9時からの絶食と、当日6時以降からの絶飲でイライラ気味の私。
有給をとってくれた主人の運転で病院へ。

午前中はOPEの説明・同意書へのサイン・OPEの準備で結構忙しかったです。
剃毛は何回やっても気持ち悪い。浣腸は何回やっても痛い。
点滴は血管の出ない私には苦痛。
準備だけでヘロヘロになった私はOPE時間まで病室のベッドでうたた寝をしてました。

午後1時過ぎ、看護師さんが「そろそろ行きましょう」と病室へ迎えにきました。
主人と実母の見送られ、歩いてOPE室へ行きました。
迎えてくれたのは麻酔の先生です。
持病の喘息の事を告げるとちょっと動揺した様子。(えっ、申し送りとかしてないの?) 私もちょっと動揺!
前回聞けなかった"産声"を今回は聞きたくて硬膜外麻酔を選択し、必死に前屈みをして針を刺され、
しばらくすると下半身がボヤ~ンと温かい感じになってきました。
「ここ痛い?冷たい?」と何度か効き具合のテストをしていると医師が2人やってきました。
1人目のときに妊婦検診からお世話になった先生と今回お世話になった先生で、どちらも信頼している先生です。

午後1時55分、「お願いしま~す」の一声で出産ショーの始まりです。
切っている感覚はないので痛くありません。
頭の上にいる麻酔の先生が実況中継をしてくれます。
「痛くない?今、切ってるよ~」「寝ててもいいよ、出てきたら起こしてあげる」
なかなか親切です。
数分すると体がワッサワッサと揺れ始めました。どうやら子供を引っ張り出している様子。

 

その時は気分が悪かったです。痛かったです。

あまりに耐えれず(全麻に切り替えて~)っと言いそうなくらいでした。
間もなく胃の辺りにタックルしてくるではありませんか!正に"押し出す"行為です。
同時に羊水がお腹や腰・足に流れる感触がありました。
(ドシッ、ドシッ、ドシッ)とタックルのリズムに合わせ「グエッ!グエッ!グエッ!」っと声を出す私。
OPE
室中の医師・看護師さんが大笑いしてました。(こんな時にウケ狙わなくてもいいのに)っと自分のサービス精神の凄さに驚きました。

午後2時8分、痛みと気持ち悪さで気が遠のきそうな私の耳に「ホゲ~、ホゲ~」と産声が聞こえました。
カンガルーケアは出来ませんでしたが、先生が産みたてホヤホヤの我が子をカーテン越しに見せてくれました。
やっぱり感動しました。ちょっとだけ涙ぐみました。
そこには産んだ実感がありました。

胎盤の処置や縫合に移る時「喘息があるからこのまま起きててほしいんだけど」と麻酔の先生が言いました。
「(冗談じゃない!)寝たい!!」と言って全麻に切り替えてもらいました。
うっすら聞こえる医師や看護師さんの声を夢の中の様な気分で聞いてました。
時折麻酔の先生が声を掛けてきます。
「大きく息を吸って~」と起こすのです。多分、血中酸素濃度の値が下がってたんだと思います。
でも私は夢うつつで気分良く寝ているので(も~、折角気持ちがいいのに起こさないでよ~)と思いながら深呼吸してました。

どれくらいの時間が経ったかは分かりませんが、どうやら全ての処置も済み病室へ運ぶ準備をしている様子。
巨体な私を数人がかりでストレッチャーに乗せ替え、病室へ。 

病室では子供と対面し終えた主人と実母が迎えてくれました。
そして医師が「あっ、ご主人!いいところにいた。手伝って~」っと主人に声を掛けています。
何と!ストレッチャーから病室のベッドへの移動に主人が借り出されているではありませんか!!
そして「すみませんねぇ~」っと夢うつつながら総動員で私を運んできた皆さんに私は挨拶してました。
また皆さん大笑い!!(またウケ狙っちゃったよ~)っと思ってました。

出産翌日、早速導尿の管が外され自力でトイレへ歩行開始!
部屋にトイレはあるんですが往復30分の道のりです。
イヤ~な汗を流しながら前屈みで歩きました。
5日目まで続いた点滴は血管に刺さらず、漏れたり針を刺し直したりで両腕は""だらけ。
日にち薬とはよく言ったもので、日が経つに連れて歩く速さが増してきました。
幸い電動ベッドだったので寝起きは普通より楽に(でも痛いけど)出来ました。
母子同室だったのですが、出産後3日目くらいまでは点滴で何も出来なかった為、子供は預けたまま病室で1人のんびりと過ごしてました。
4日目以降は沐浴指導・栄養指導・退院指導などをこなし、6日目に抜糸をして
9日目に退院してきました。

振り返ってみると、陣痛は経験したものの経膣分娩の経験が無い私でも"生みの苦しみ"を味わった出産でした。
どんな出産方法でもそれぞれの痛み・苦しみがあり、そして何より母子共に無事に退院出来た事が嬉しかったです。
入院中は毎晩、仕事帰りに主人が来てくれて私の労をねぎらってくれました。
ほんの一瞬ブルーになりかけて出産後4~5日は泣いてましたが(帝切の事で泣いてたんじゃないです)、退院する頃には笑ってました。
子供が2人もいて主人もいてくれて、これからまた新しい生活が始まるのに泣いていられないわって感じです。
まだまだこれからのほうが大変ですもんね。
どう育っていってくれるか分からない2人の娘。
自分自身の人生が自分の納得のいくものでありたいと思います。


長女の出産の時は、4日間、前駆陣痛なのか、微弱陣痛なのか分からない痛みと張りに、夜もおちおち眠れず、

甥っ子の面倒を見てへろへろになりながら、強くならない陣痛と3㎝からなかなか開かない子宮口と、赤ちゃんも下りてこない状態に肉体的にも精神的にもまいってしまい、結局促進剤も使わないうちに帝王切開を希望して、出産しました。


そのため、赤ちゃんに何の異常もないのに、陣痛に耐えきれず帝王切開での出産を選んでしまった自分が情けなく、

出産後、「なんであの時もうちょっと頑張らなかったんだろう」という思いがずっと心に残っていました。

~2人目体験談はVBACのページに記載~
 


オランダでの帝王切開で一番良かったことは夫の立会いが出来ることです。
私の場合、旦那は私の頭の横でイスに座っていてくれました。
それから手術中に個人カメラも持ち込むことが出来たので2機持込、写真を撮ったりしていました。
局部麻酔だったので生まれて直ぐの赤ちゃんをカーテン越しに見せてもらえました。

その後、看護婦さんが私の頭の横に赤ちゃんを寝かせてくれましたが、体重を計ったり簡単なケアをするためにまた直ぐに連れて行ってしまいました。

私の体は手術途中から寒くもないのに震えが止まらなくなってしまったので、私は怖くなり見学していた研修生に「何でなの?」などと質問したりしていました。
するとこれは普通のことでそういう方々も居るようです。
手術終了後、執刀医などの先生はさっさと出て行ってしまい、私は回復室に運ばれて毛布でグルグル巻きにされました。
そこでも震えは止まりませんでしたのでまた質問してみました。同じ答えが返ってきました。

しばらくそこに居ると看護婦さんと旦那が迎えに来てくれて、ベットごと手術前に居た分娩室に連れて行ってくれました。

そこに私の赤ちゃんもいました。綺麗に洗ってもらっていました。
その後、再び頭の横に寝かせてくれてこの時は長い時間が取れました。
電話も有料で借りれたので分娩室から寝たまま日本へ電話をかけました。
泣き声が聞かせられてとても良かったです。

しばらくして看護婦さんと旦那に連れられて小さいベットに入れられた赤ちゃんと一緒に入院室に移りました。
この日の夜中、私は体調がとても悪くナースコールを何度もしてしまい検査の結果、血液中のヘモグロビンが減ってしまっていたり

熱が出ていたりしたので何度も様々な手当てをしてもらいました。
翌日、看護婦さんが私の体を拭いて綺麗にしてくれました。
その時「使いたい石鹸とか持っていますか?」と尋ねられました。
そして「午後にはベットから降り1,2歩、歩いてみましょうね」と言われました。
母乳もこの日から寝たままでトライ出来ました。
夜になって看護婦さんが「おならが出ましたか?出たなら点滴と尿の管が外せますよ」と言ってきました。

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日目の朝、管を外せることになりました。

同室にあるシャワーの許可もでましたがシャワー室まで歩いている途中にゴボッと血塊が出てきたので、その時は中止になり助産婦さんが来てお腹を押して検査をしてくれました。
特に問題は無かったので夜にはシャワーを浴びました。
傷口に貼ってある大きなテープはそのままです。とても頑丈なもののようでした。
お尻から入れる痛み止めも自分で出来るのならやってもいいですと言われました。

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日目に新生児室に行って赤ちゃんの体重を計ったりお風呂の入れ方を教わったりしました。

車椅子を使っても大丈夫でしたけど私は自分で少しづつ歩いてみました。
お昼に看護婦さんが「明後日に退院しましょうか?後で執刀医と来ますね」と言ってきました。
*オランダでは産後に子宮の戻りを見たり体温を計ったりの看護から炊事や洗濯、掃除などのケアをする方が
自宅に来てくれて、しかも無料なので普通分娩なら1日で退院してしまうのです。帝王切開でも1週間位のようです。
しかし体調に自信がなくもっと入院していたいのならお願いすれば大丈夫のようです。
夕方になって執刀医と看護婦さんが来てくれて「うん、これなら明日でOKだね」と言われ、手術後4晩で退院することになりました。

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日目の朝にシャワーを浴びて看護婦さんが傷口のテープを外して検査してくれました。OKでした。

手術をしてからこの日までまったく同じテープだったような記憶があります。
抜糸は無しでそのままシャワーを浴びても大丈夫だということでした。
西洋医学にビックリさせられました。
退院して家に来たら義両親と例のケアをしてくれる女性が居てくれて、その女性は結局この日を混ぜて3日間、朝食、昼食、洗濯、掃除、赤ちゃんのケア、私のケアを1日、56時間しに来てくれました。

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ヶ月経過した後、助産婦さんの検査を受けました。

問診と傷口チェックと棒を入れるタイプのエコーでの簡単な検査でした。
ちなみに傷口は執刀医が「ビキニが着れないと困るでしょ?」というので横切りでした。

11ヶ月たった今、端から少しづつ見えないくらい薄くはなって来ていますが幅2mm位のピンク色のミミズ腫れのようになっているところも
あります。

旦那があんまり気にしないので私もそんなには気にぜず特に手入れはしていませんでしたが時々かゆいので

爪を立てないで優しく服の上から撫でたりしています。 


10月21日(38週と4日)の夕方4時に破水し、すぐ病院に行きました。
4時半から陣痛が始まり、間隔はいいけど痛みがまだまだ・・・という事でした。
生理痛のような痛みが続きそれより強くなる事はなくそのまま22日を迎えました。
22日になっても何も変わらずずっと痛みに耐えていると、次から次へと後から来た人に先を越されて、
悔しさからなのか分からないけど泣いてしまいました。
その日の夕方に看護婦さんから『明日帝王切開になるかもしれないから晩御飯は無し』と聞かされ私の頭はパニックでした。
自分が切開する事になるなんて思ってなかったから切開の知識もまったくなくて不安な夜でした。

23日の朝になり子宮口を柔らかくする薬を使いその後陣痛促進剤を使いました。
すると激痛が突然来て私は失神しそうに・・・。
あまりの痛みに手を握ってくれてた姑の手をぎゅーっとしてしまいました。
姑はその様子を見て泣いてました。そんなに痛々しかったのかな・・・。
そして泣き叫んでしまったんです。今思うと恥ずかしい!!
そうこうしてるうちにいきなり寒気がしてきて熱を測ると38度で看護婦さんが子宮の開きを確認し先生を呼んできて
『切開しましょう。いいですか?』と言われて私は泣きながら『うん』と。
その時一瞬私の頭の中は『もう少し頑張ります』と言おうとしてました。
でも子宮口が5cmしか開いてない事もあって切開を選択しました。
そうと決まったらもう大変。

看護婦さんがいろんな機械を持ってきたり剃毛したり痛みが強くて動くにも一苦労。

すぐ手術室に入り切開が決まってからトントン拍子で進みました。
そして午後1時49分に誕生しました。
術後3日ほど熱があり子供に会えなかったです。
初めて抱っこしたのは4日目で病室のベットの上でした。
陣痛の痛みと切開の後の痛みと両方味わってしまった出産でした。
最後に『もう少し頑張ります』とあの時言えなかった自分をずっと責めてきて、でもここサイトに出会い救われました。

 

~2人め~

日の朝9時半に入院。4人部屋で婦人病で入院してる方達と一緒。
赤ちゃんの心音を聞くやつ(NST)をつけながら看護婦さんから、普段の生活状態の質問をうける。
その後アレルギーテストをして血液検査(血が何分で止まるか)をして剃毛・すべて完了した後シャワーを浴びました。
血液検査は針を耳で切る感じでピアスをあけた時と同じくらい痛かったです。
夜9時から絶食しました。

3日は手術がいっぱいあるから予定の時間(午後3時)より遅くなるかもと言われていたのに、2時頃ナースコールで呼ばれて家族も来てなかったので焦りました。
主人が来るのを待って、来たと同時に手術室に運ばれました。
手術室に入った途端緊張して怖くなっていきなり泣き出してしまった私の為に、先生達が『音楽をかけてあげる。なに聞きたい?演歌?』

とか言って笑わしてくれて、そのおかげで緊張がほぐれました。
それまでは腰椎麻酔の恐怖(意識あるのに手術する事)で怯えて
『全身麻酔を希望すれば良かった』とずっと独り言をつぶやいていました。今思うと恥ずかしい。

腰椎麻酔を希望してたのになかなか入らず6回やり直して駄目で結局全身麻酔になりました。
せっかく眼鏡を手術室まで持っていけたのに・・・。
私が思うにこの病院の産婦人科は全身麻酔の方針なんで腰椎に慣れてなかったのかなぁ・・・って思いました。
でも麻酔科の先生だったらこんな失敗しないだろうと思いなんかショックでした。
産婦人科の先生じゃなくて麻酔科の先生に麻酔をかけてほしかったです。
麻酔科あるのに・・・。そしてマスクをしたと同時に意識なくなりました。
ここで怖い思いを一つしました。
頭の中でお腹を何かされてる間隔と先生の会話がうっすら聞こえて、その時いきなり息が苦しくなって『死んじゃう。助けて!!』って声に出そうとし、頭の中でマスクをはずそうとしてていつの間にかおさまり次の瞬間『○○さん起きてください』とほっぺを叩かれ目を覚ましました。

息子は手術開始30分くらいで産まれたのに手術終わったのは午後4時過ぎ。
後から『癒着が大変だったんだ』と聞きました。
次の日の午後から歩き始めて『こんなに痛かったっけ』なんて思いながら新生児室の我が子に会いに行きました。
そしてそのまた次の日から母子同室になり部屋を移動しました。

 

4人部屋で私以外自然分娩で産んだ方達でなんだか寂しかったです。
上の子の時は帝王切開した人だけの部屋だったので良かったのに。
今回術後の熱はそんなに高くなくて楽でした。
でも2人目の方が子宮収縮が痛かったです。
その代わり傷の痛みはわりと早く治り3・4日くらいからスタスタ歩けました。
傷はホチキスみたいなのがとまっていて、傷がくっつくと同時につっぱてきてチクチクしました。
7日に抜糸を終えて9日目に退院しました。

 

退院診察の時先生に『次は絶対切開・全身麻酔』だからと念をおされました。
今回の手術が癒着が大変だったから腰椎麻酔だとすぐキレてしまうから全身麻酔じゃなきゃ駄目だそうです。
そして後1人しか産めないとも言われました。
もっと産みたいので改めて言われるとなんだか寂しくなりました。

私の今回の出産は腰椎麻酔だったら良かったなぁ・・・と思うだけであとは悔いはないです。

 

産声一度でいいから聞いてみたかった・・・。
最後に傷は上の子の時のケロイド部分を切ってくれました。
でも私的にもう少し綺麗にしてほしかったです(少しまだ残っているので)
傷の手入れはオリーブオイルと紫雲膏どっちか買って来てって頼んだら両方買って来て
くれたので今は紫雲膏を塗っています。もう半分が普通の線みたくなって綺麗です。


2人目・・・
始めから帝王切開の予定ではいたけれど、予定より約1ヶ月早く陣痛がきた。Σ( ̄ロ ̄lll)げっ
陣痛だとわからなくて自宅で破水。
病院についた頃にはかなり破水して、危険な状態だったらしい。(^_^; 
二度も危険な状態と言われ、陣痛ありの帝王切開になるとは思いもしなかった。
一度経験しているだけあって、落ちついている自分がいたけれど、手術台に上った時は緊張していた。

今回も全身麻酔。「〇〇さん、わかりますか?」という声で一瞬目が覚めた。(;_;)痛!起こさないでくれと思った。
術後の痛みは覚悟していたものの、二人目の方が後陣痛が強くて痛み止めなしでは耐えられなかった。

帝王切開の場合、どうしても普通分娩より出血量が多くなる。
元々、貧血気味の私はひどい貧血になってしまった。
なるべく輸血しないために、ということで2日目の夜から通常食。
ちょうどクリスマスイブ☆本当なら家族と楽しく過ごすクリスマスのはずだったのに・・・とブルーになっていた私に、
配膳のおばちゃんが間違えておやつの時間にケーキを持ってきた。
余計ブルーになった私を気遣ってか!?
先生から、ケーキを食べてもいいという許可がおりた。
多分、帝王切開2日目にしてケーキを食べたのは私くらいかも。(^-^) 
こういう状態で産まれてきた二人も、今はとても元気にたくましく育ってます。

 

→1人目は「切迫仮死」にて帝王切開 


二日間、陣痛と戦った末、陣痛微弱&廻旋異常で分娩停止となり、急遽帝王切開になりました。
分娩台からストレッチャーで手術室へ運ばれました。
<
手術開始>
先生は床に置かれたデッキで音楽を流した。へ?音楽?
ちょっと驚いた。
手術室には産婦人科の先生をはじめ、麻酔科、小児科の先生など10人ほどいた。
背中を丸めて(お腹が大きいので難しい)腰に麻酔をする。
麻酔を打ち終わったら急にあわただしくなり、少し緊張した。
両腕を台に固定される。なんかびっくりした。
「両足が温かくなったら教えてね」といわれ、すぐその通りに温かくなった。
「これ、冷たい?、ここは?ここは?...」えっ?こんなチェックでもうお腹切るの?

 

 『もう切るんですか?』と質問すると、「ね、何も感じないでしょ?お腹つねってるよ」あらびっくり。
安心して手術が開始された。
先生の話し声も、あやしげな音も全部聞こえる。
自分の心音が聞こえて、緊張した。なんかドラマみたい。
しばらくして、「さあ、がんばってね」と言われ、すごい感触!
むぎゅっむぎゅっわっさわっさ。


1999
121118:27 3794g 51.0㎝ 結惟誕生!
「おめでとう。元気な女の子よ!」と言って顔を見せてくれた。
すぐに結惟は連れていかれました。
『女の子ですか?ありがとうございますー。よかったー。うえーん。』大泣きしました。 私は声が大きいのです。
後できいたところ、かなり遠くの廊下にまで聞こえていたそうです^^;
しばらくして、一瞬気持ち悪くなった。先生に言うと「あ、ばれた?腸さわったから」

はぁ???どういうこと???
触るのをやめたのか、気持ち悪くなくなった。
こんどは指先がふるふる震えてくる。何?これ???
うまれるのは早いのに、後の処理は時間がかかるなぁ等と考えていました。
切るのと縫うのでは時間が違うはずなのに、その時はちっとも気づきませんでした。
すると今度は腕まで震えてくる。心配になって先生に尋ねた。「大丈夫よ」 ほんまに~?と思っていると、ちょっとクラーっとしてきた。
においと音ってイヤ~ン。
深呼吸で復活。肩まで震えてきて、アゴもガクガクしてきました。

 

<手術終了>
みんなに良く頑張ったねと言われ、また大泣きしました。

電気毛布&暖房で温かくしてもらった。震えもおさまる。
なーんや寒かったんや。
パパが花束を買ってきてくれていた。感激~!
寝ようと思ったら麻酔が切れていなくて、足がベッドから落ちそうな気がする。
パパに確認してもらったら、足は普通に並んでいた。
なんか笑えた。


<
最後に>
一晩中ささえてくれたパパと母親、それに先生方やお友達みんなに、
ものすごく感謝しています。
ありがとうございました。結惟もよく頑張ったね♪


一度目は41週でいきむほど陣痛が強くなくて急きょ帝切に。2度目は怖いので用心して大きな病院に行きました。

そこは万が一、夜間に子宮破裂した場合緊急手術が間に合わないという理由で、一度帝切の人は次もと決まっており、初診でどうするか聞かれました。
私はあまり分娩法にこだわりもなかったし、ちょうど当時新聞に帝切経験者の人が2度目普通分娩で出産後破裂し
死亡した記事があって、怖かったのもありそこに決めました。

3度目も同じ病院です。
術後一番楽だったのは3回目です。
病院にもなれていましたし、先のことがある程度わかっていたからですね。


食事も2日目の夜くらいから食べれました。

2度目のときは3日目だったんです。
歩くのも翌日です。こういう些細なことがけっこう気になったりするんですよね。
傷は一番きれいだったのは1番目。2番目は段差ができてケロイドの部分も大きかったです。
3番目は2番目の時よりきれいになりました。
こうみると傷あとは運と体質と先生のうでって気がします。