2.早期胎盤剥離

私は10ヶ月前、妊娠34週で常位胎盤早期剥離にて緊急帝王切開術を受けました。
息子は出生時の体重は2182gでした。

妊娠中は一時逆子といわれたことを除いては本当に順調な妊婦ライフでした。
ただ8ヶ月過ぎたころから、おなかの張りが頻繁にくるようになり、錠剤の薬でおなかの張りを抑えていました。
出産日の2日前、異常なくらいのおなかの張りがくるようになり ずっとお世話になっていた個人の産院へ。
NST
で24時間常に計測したところ8分に1回はおなかが張っているとの事。
点滴で張りを抑え、絶対安静の状態になりました。
そうして2晩経過し、おなかの張りがおさまったんです。
看護婦さんと『よかったねー。』なんていいながらトイレに立ちました。
その時生理痛に似た下腹部の傷みと出血。。。
先生を呼び診察の結果、『早剥かも』の先生の一言で、看護婦さんたちの顔色が変わりました。
個人病院では対処できないということで救急車で近くの総合病院に搬送されました。
その病院では先生&看護婦さん合わせて20人くらいに囲まれていたでしょうか。。。
恐怖というか『ドラマ緊急病棟24時(?)』みたいだなぁ、なんて思いました。
点滴の後遺症で震える手でサインしました。
麻酔は本当に痛かった。

妊娠中に麻酔は痛いというのを何か本で読んでいたのでそれを思い出し必死でいたいのをこらえました。
後は全身麻酔だったので覚えていません。
産声も聞いていません。息子に会ったのは産後3日経ったときです。
出産したその日の夜は吐き気(全身麻酔の影響)とキズの傷みとの戦いでした。
出血も多かったので点滴2本常に刺さっていました。
お腹には管(ドレン)も刺さっていました。
背中には麻酔で使用した管も刺さったままでした。
見舞いに来た義父義母、実父実母達は、とても産後の人とは思えない私の状態に一瞬言葉を失ったそうです。(後で聞いた話ですが)
産後5日経った頃やっと歩行練習することができました。それまではベットから起き上がることもできませんでした。
産後7日で抜糸。11日で退院しました。息子は1ヶ月くらいは入院でした。
入院中は軽い産後うつ病になりました。
出産時には感じなかった恐怖がよみがえり救急車のサイレンを聞くだけで震えがきたり、
私が原因で息子をこんな状態(仮死状態で産まれ未熟児)にしてしまって。。。と思い、涙が出て止まりませんでした。

息子の産声も聞くことができず、出産した実感もなく、保育器に入ったわが子をみてもかわいいと思えず、

 

こんな私が情けなくで情けなくて仕方がありませんでした。

今はとっても母子共に元気です。
最初入院した個人の産院の先生の迅速的確な判断と処置、そして出産した病院の先生、看護婦さん達のおかげです。


私は、元々切迫体質のため一人目も今回も切迫早産で入院していました。
一人目は、37週まで入院し予定日に出産。
切迫のためかかなりの安産。ドクターでさえ驚くほどでした。

 

そして今回も29週から入院。
そのころから子宮は1センチ開き、ベット上安静でした。
34
週で退院し、看護婦さんにもドクターにも、あと3週間はもたせてねと。
今回は二人目だし、赤ちゃんの頭も経産婦にしてはかなり下がってるから、お産はもっと早いだろうといわれていました。

 

そして37週になる30分前。何かドロッと流れるものを感じ見てみると、鮮血の出血。
おしるしではないと思い病院に℡。(後から聞いた話では、その時点でドクターが早期剥離を疑いオペ室・小児科・麻酔科・レントゲン・心電図全てに連絡を取っていたそうです)
30
分後には病院で内診。早期剥離を起こしている様子だから、すぐに切りましょうと。
そして1時間後にはオペ室でした。

 

経膣を思い描いていただけにかなりショックでしたが、子供には変えられないと思いました。
私は全身麻酔で、出血も1400あり、オペ後動くこともできず鉄剤・増血剤を使用。
子供も生まれてすぐに呼吸をしなかったため、小児科へ・・・。
(後々全身麻酔の影響だったかもといわれましたが・・・)
子供の顔を見たのは、産後2日目 小児科の保育器の中でした。

 

けれど、私が気づき病院にいくのも、ドクターの判断も早く、全てがよい方向にすすんだため子供に障害もなく、私も異常分娩なのに、普通分娩並みに早い退院でした。
今でも何で私が・・・。
普通分娩したかった・・・。と思うことは正直あります。
けれど、子供たちが元気に笑っている姿を見ると、もし普通分娩にこだわっていたら、今ここにこの子はいなかったなあ~と思います。
お産はいろいろな形があり、普通分娩しても、お子さんの心音が下がり大学病院に運ばれた方もいました。
帝王切開でも何でも、子供が元気に過ごせているので幸せなんだと思います。


妊娠期間中は、逆子ということをのぞいては特にトラブルも無く、順調でした。
中毒症もなく、体重も+7キロ程度。マタニティスイミングにも通い、楽しい毎日を過ごしていました。
結局、逆子が治らなかったため、37週に入ったら帝王切開で出すことに決まった、36週。
近所を散歩中、急に腹痛が。ずっと忘れていた、生理痛のひどいもののような痛み。
おかしいと思い、自宅に帰って横になるも耐えられず、病院に電話し、義姉の車で病院へ。
着いたときには歩けず、車椅子で産婦人科へ。
電話の応対が落ち着いていたということで、受付で待たされるが、あまりの痛さにこらえきれず。
診察台にあがった時は、意識がもうろうとしていたようで、あまり覚えていません。
赤ちゃんの心拍数が下がっているということで、小児科のある病院の搬送先を探すが見つからず、

市内の大学病院から小児科医を呼んで緊急手術をすることに。
全身麻酔で手術後、小児科医の「おめでとうございます。男の子ですよ。」という声も、夢の中で聞いているようでした。

赤ちゃんは2436g、仮死状態で産まれました。
胎盤が7割剥がれ落ちていて、子宮は血の海だったそうです。

私は、手術時の出血が1400mlあり、体の半分近くが出血。

病室に戻ってからも、血圧が下がり、その夜が峠で、生死をさまよったようです。

しかし、主治医も驚くほどの回復力で生還。
帝王切開の傷も、腰から痛み止めが入っていたためにほとんどなし。
16
日間の入院で、貧血程度に回復し、退院。

赤ちゃんは早産だったものの、意外と大きく、保育器からも1日で出ることができました。
しかし、重症新生児仮死、早産児、低体重児、新生児一過性多呼吸という病名がつきました。

仮死状態の時間が長かったので、将来、障害がでることもあると言われています。
退院後、すぐに別の病院の未熟児外来にかかり、発達をみてもらっています。
今は早8ヶ月。今のところ、順調に成長しています。

手術が30分遅ければ赤ちゃんがダメで、もう30分遅ければ私も死んでいたということです。

元々、帝王切開の予定で、検査等が済んでいたことや、小児科医がとても早く駆けつけてくれたこと、

主治医の決断と処置が早かったこと、そして何より、気づいてすぐに病院に行ったことなど、全てのタイミングがあい、運良く二人とも助かりました。
結局、逆子であったことも、良かったんじゃないかな?と。

出産後、私の体が回復し、なんとか赤ちゃんのお世話ができるようになってきた頃、主治医から説明がありました。

「どうして普通に産んであげられなかったんだろう。」と泣きましたし、子供の将来を悲観もしました。
でも今は、生きていることに感謝していますし、貴重な経験をさせてもらったと思っています。

この先、いつ障害が出るか、不安はないとは言えません。

 

正直、また普通に産めないんじゃないか、今度こそ死んでしまうんじゃないか、と第二子も考えられません。
だからこそ、どんな形であっても、ひとりでも子供を産めたこと、今普通の8ヶ月児の
子育てができることに感謝したいと思っています。


予定日から5日超過していて、そろそろ生まれてきて欲しいと、産院から貸してもらっていたプリガフォン(おなかの赤ちゃんに話し掛ける道具)にて「もう、生まれてきて良いんだよ」と、話し掛ける。
外に散歩に行ったり、家の中で階段を上がり降りしたりしてみる。
その日の夜から、おなかが痛くなるが、10分間隔のときもあれば、不規則な時もあるので、入れるときに入っておこうと、お風呂に入って(破水は無かった)寝る。
朝、起きても、おなかが痛く、トイレに言ったらおしるしがあった。
この段階で、陣痛かもと思い始め、間隔をきちんとメモする。
10
分間隔になったが、せっかく朝だったので、時間外になるよりはと、9時になるのを待って産院に電話する(・・・せこい?)
入院準備をして来てくださいと言うことなので、里帰りしていた実家の母に頼んで、車で送ってもらう。
〈・・・でも、せっかく9時過ぎまで待ったが、どっちにしても、木曜日で産院の休診日だった・・・(ははは)〉

ウチは、妹が先に出産しているが、妹は陣痛が促進剤を使ってもおきずに、帝王切開にて出産しているので、
母は30年ぶりの出産を目の当たりにしてちょっと慌てていました(緊張気味?)
病院について、入院手続きをして、病衣に着替えてから、内診してもらう。
その段階で、子宮口はまだ1センチしか開いてなかった。
(その前の、診察でも子宮口は固いねといわれ続けていたので、時間がかかるかもと言われました。

(母は、仕事もあるので、一度帰ってもらう)

その後、浣腸や、剃毛の処置をしてもらい、陣痛室で陣痛を味わう(笑)
10
時半過ぎに、陣痛は5分間隔まで来たが、その後進まず、お昼を食べたらまた、10分間隔に戻ってしまう。
食べ終わってから、病院内の階段を上がり降りしているうちに、また5分間隔まで来る。
その後、NSTをつけるため、陣痛室に戻り、NSTで様子を見る。

 

午後240分ごろ、突然それまでとは全然違うすごく強い痛みが来た。
その直後、NSTの機械が発信音を出したと思ったら、隣の部屋にいた看護婦さんが23人バタバタと入ってくる。

(私は、午前と同じで、機械がずれてしまっただけかと思っていたがただならぬ雰囲気に、かなりびびる)
その後、先生も急いで入ってきて、陣痛室で急遽内診。
少しだけど、破水もしていたみたいだし、どうも血が混じっているみたいだ、とのことで、その場で人口破膜。
羊水がにごっているとの事で、胎盤部分剥離だろうとの診断。
その段階で、子宮口はまだ5センチ。下から出していたら、間に合わない。
今ならまだ、間に合うから帝王切開にしましょう。といわれ、即答で「お願いします」と返事。
旦那は、一度会社に行っていたが、早退しようとしていたところに、会社に電話が入り、その場で手術の承諾をしたとの事(後で、聞いた話です)

看護婦さんが45人入ってきて、左側で血管確保のための点滴。
右側で心電図をとり、おなかの方でまた新たに、手術のための剃毛。
その後ストレッチャーに乗せられ、手術室(分娩室)へ・・・。
その間、私ができたことは、(胎盤がはがれたと思われたときに)看護婦さんにいわれた「ゆっくり大きく腹式呼吸をする」ことだけだった。
(すこしでも、おなかの赤ちゃんに酸素がいくように・・・)

もう、ここは病院だし、看護婦さんも先生もいる、私が慌ててもどうなるわけでも無いと思っていただけだったが、看護婦さんに「すごく落ち着いてて偉いわね」と言われた。
でも、実際はあまりに急激に事が変化していたため、自分の身に起きたこととは思えず、「なんかドラマのワンシーンみたいだな」と思っていた。
びっくりしすぎて、放心に近かったんではないかと今では思う。

その後、てきぱきと手術の準備がされ、多分呼び出されてしまった理事長先生も来てくれて、不安そうにしている私に、何度も「今、おなか切ったよ」「大丈夫だからね」「ほら、赤ちゃんが見えたよ」と実況中継して励ましてくれました。
午後321分に長女出産。母子ともに異常なしでした。
(でも、処置のため、我が子の姿チラッとしか見えず・・・)

たまたま休診日だったので、先生もすぐ駆けつけてくれたし、昼間だったから看護婦さんもたくさんいたし、NSTを着けていたときだったから異変もすぐにわかった。

すごく、私とあかちゃんは運が良い状態で緊急帝王切開になったなと今でもしみじみ思います。娘は強運だな、と・・・。
その病院は、「すぐに切る」と言う人も多いですが、でも、帝王切開手術はすごくうまいとも評判のところでした。
だから、準備もものすごく早かったし、その後の私の経過、回復も順調でした。
(言われたとおりに、一生懸命うごいたからか、看護婦さんから自然分娩の人と間違われるくらいで、3日後には院内をすったすった歩いていました)

あまりに急な展開だったので、出産(手術)には、誰も立ち会えませんでしたが
(母なんか、夜中の出産になると思って、そのときに備えて仮眠をとっていたとのこと)その後、駆けつけた母と旦那が病室にいるときに、赤ちゃんに名前を(足に書く)書くために、
病室につれてきてもらって、たまたま旦那と母は赤ちゃんを直に見れました。

(その病院では、感染予防のため身内でも新生児室からしか見れません。私も授乳などのときは当然、手洗い、消毒しました)
とにかく、無事に生まれたことを喜びました。


妊娠経過は順調でした。
中毒症の気配はまったくなく、体重の増加も何とか抑えられていました。
胎児の位置はずーっと頭位で、LDRでの立ち会い出産を希望していました。
テレビで自宅出産の様子を見たこともあったので、今回は初産だし一応病院でのお産になるけど、
次の出産は助産院でも大丈夫かも、と思っていました。

出産当日(38週でした)
妊娠後期になると毎日未明に目が覚めてしまい、明け方まで部屋の片付けなど
して時間を潰していました。
出産当日も明け方まではなんとかベッドに横になってテレビの台風情報も見ていました。

6時をまわって朝ごはんを食べ、台風だから洗濯できないなぁ、と思いながらベッドに横になって腰が痛いのをさすっていました。
とても腰が張っていて、夫を起こしてさすってもらおうかと思うほどでした。

 

そうしていると、ぶちっという感触があってだらっと何かが流れ出る感じがしました。
「破水?」と思いながら腰がだるいのでズリズリ動くとシーツに血痕!!
「おしるし?」いやそんな量じゃないし、止まらない。

何かは分からないけど異常な出血だと思い、日曜日の朝でしたがとにかく病院に電話を入れました。
できるだけすぐに病院に来てくださいということだったので、寝ている夫に声をかけて、出かける支度をしました。
この間、夫に血のついたシーツをゆすいでもらったりして、まさかその日すぐにお産になるとは考えもしませんでした。
出かけるまでに夜用ナプキンを2回取り替えて、おそるおそる外へ出ました。

タクシーをつかまえて15分ぐらいで病院に到着。
産婦人科の当直医に診察を受けました。
エコー、NSTなどの検査、内診で子宮口がまだまだ開いてないこと、胎児心音は落ちてないこと、

お腹の張りはあるもののまだまだ陣痛じゃないことを確認しました。
そしてさらさらとした出血が続いていたので、
「出血が止まらないようなら元気なうちに帝王切開で赤ちゃんを出しましょう」ときっぱりと言われました。

 

このときは出血の原因については話があったようには記憶していません。
夫に確認すると、「出血の状態から見ると、胎盤早期剥離の疑いがあるので帝王切開で赤ちゃん出しましょう」と説明されたそうです。
帝王切開になると言われても、私は何も考えられませんでした。
自分ではどのくらい緊急事態なのかさっぱり分からなかったし、とにかく出血が続くと赤ちゃんが危なくなることだけしか理解していませんでした。

とりあえず手術室に運ばれ、手術の用意が始まりました。
手術着に着替え、手術台に登り、胎児モニターや血圧計、心電図、血管確保、尿道確保、剃毛などの処置を受けながら、麻酔科や検査科、執刀医への連絡など当直医が指示する声と手術室に響いている胎児心音を聞いていました。
助産婦さんたちが準備をしながら声をかけてくれて、「(手術室と廊下を挟んで)反対側のLDRに入るつもりだったのに、昨夜バースプランを書いてたんですよ」と喋る余裕が少しでてきました。

病院到着から40分あまりで執刀医が到着。

「大丈夫だからね」と声をかけられて
「今まで何にもトラブルなかったから、びっくりしています」と言うと「お産はこれだから怖いんだよ」と執刀医が言ったのをよく覚えています。
下半身麻酔をかけて手術開始。

触られる鈍い感覚はあるものの痛みは感じませんでした。
眼鏡を外しているので周りはぼんやりしていてよく見えず、なんだか色々頭の中を考えがよぎったりして、

短いような長いような時間が過ぎてぐいぐいとお腹の方で引っ張る感じがして「出たよ」と執刀医が言いました。
「同じ週数の子よりもしっかりしてる」という助産婦さんの声、吸引の音にも負けない大きな泣き声が聞こえました。
「頑張ったね、もう終りだからね」と執刀医が声をかけてくれました。
赤ん坊はきれいにして貰って肌着を着てから、私の右側に置いて貰えました。
腕で触れてみるとがっちりした感じがありました。

しわしわの顔を見ることが出来ました。手術開始から20分あまり経過していました。

その後、病室へ移る準備をしている間に、夫は赤ちゃんと胎盤を見せて貰って執刀医から説明を受けたそうです。
胎盤には血が固まっている部分があったそうで、そこが剥がれた部分だったそうです。

産後の健診で医師から聞いたことですが、中毒症や高血圧などの症状がなくても胎盤早期剥離は起きることがあるそうです。

そして予測できないそうです。
一度剥離を起こした人が次に起こす確率は50%とは言わないが、起こしたことがない人よりは確率が高く、35週以降は剥離に注意しなければいけないとのことです。
また、次の妊娠まで半年から1年は空けて子宮を回復させる。
子宮の切開は横に切っているので次回は自然分娩も可能だが、万が一に備えて緊急帝王切開手術が可能な施設で出産するべき。
胎児の大きさ、位置によっては帝王切開になると説明を受けました。

今思うのは、初めての妊娠で38週まで無事にお腹の中で過ごせて、出血後も母子共に元気なうちに手術を終え、

 

無事に退院できたので、自分にとってこれが安産だったと言えば安産だったのかな、ということです。


普段から私は持病もなく、健康そのものだったので、妊娠生活は順調で自然分娩が当たり前と過信していました。
その為、仕事もギリギリまで普通以上にこなし、妊婦検診も仕事を理由にサボりがちでした。
しかし、妊娠30週ぐらいから急激な体重増加、顔や手足の浮腫・動悸がひどくなり、しばらくすると、
高血圧・蛋白尿もプラスされ、妊娠中毒症で即入院・・・・。
でも、入院といっても食事制限があるくらいで、特に点滴をするわけでもなかったので、
同室の人のおつかいで病院の売店にいったり、新生児室のガラス越しに赤ちゃんを見に行ったりと、病院内を散策しまくりっ!
回診の時にいつもベットにいないので、看護師さんから呼び出されてばかりでした。

 

(今、思えば、血圧が高かった為にじっとしてられなかった?)

しかし、入院4日目の夜、ひどい頭痛・血圧195・腰の痛み(ひどい便秘の時のような便意)があり、胎動を看護師が診ようとした瞬間・・大出血!
宿直の医師に「胎盤剥離」と診断されて、全身麻酔で緊急帝王切開。
生まれた子は1600グラムで仮死状態で未熟児だったので、保育器に入り設備の整っている病院に搬送されました。
私のほうは、血圧が下がらないため治療が続きましたが、奇跡的に母子共に生還することができました!
 自分の反省点    ①定期検診はしっかり受診
              ②食事・体重増加に留意した食事
              ③仕事も遊びも腹七分目
              ④自分の為、お腹の子の為にも「変だな?」と思ったら
               まず受診(例え大げさだと言われてもいい!
               受診の結果、なんでもなければそれが一番。)
胎盤剥離は、前兆がなく防ぐことは出来なかったとは思いますが、「妊娠中毒症」を甘く考えていました。


7歳の男の子と15ヶ月の娘がいて、娘の時帝王切開をしました。
39
週まで全く問題なくきていたのに、突然の大出血・・
常位胎盤早期剥離でした。

通っていた個人病院から救急車で大学病院へ運ばれ、緊急に手術となり、手術台の上ではり付けになってから、

手術の同意書にぷるぷるする手でサインし、局所麻酔で「39週やったら、楽勝やあ」という先生の声や

私のお腹の上で執刀してる、研修医の先生とその指導医の先生のやり取りなんかも聞きながら、無事長女は誕生しましたが、顔を見た記憶はないのです。

朦朧としていたようで連れて行く前に娘の湿ったほっぺたを私の頬にぺたぺたとくっつけて「おかあさんも、がんばって!」と看護婦さんに
言われた時涙がぽろぽろと流れてしまいました。
そうすると、私の頭の傍で麻酔をしていたわかい先生が、あきれたみたいな口調で「感動したはるんですかあ~」と
言われたのをすっごく覚えています。

私は実はすっごい怖がりなのですが、突然新聞紙を広げたくらいの血だまりができるほど出血し、
たまたま居合わせた夫の方が倒れそうな状態だったため、かえって私自身はハイなくらいで、術後も自分の痛みより死に目にあわせてしまった赤ちゃんのほうが気がかりで、
自分からどんどん動いて

先生たちにも「動きすぎ」

助産婦さんにも「同じようなケースで運ばれて来る人はたくさんいるけど、こんな元気なひとははじめて」とあきれられてました。
私の場合は緊急だったお陰?で無用に緊張したり、不安になる暇がなかったことと、麻酔の後遺症がなかった事が良かったんだと思います。

自分なりに考えてみた事は「普通分娩のつもりでもどんな事が起こるか分からない」ということかな。

早期剥離がおきる原因といわれてること、妊娠中毒や強い衝撃(事故など)激しいSEX・・心当たりのない事ばかりで、先生に伺っても実はまだまだ良く分からないみたいですね。

なんにせよ、確立はとても低いので必要以上に心配する事はないけれどお腹に赤ちゃんがいる限りは無理はしない、

 

万が一というときの用意もしといた方が良いと思います。
具体的に言えば後期になれば歩くように言われますが絶対人気のないところに行かない。
私は家の中でも電話機までもいけませんでした。
あっ!と思ったら知らない家にでも飛び込んで助けてもらいましょう。
荷物は人に出してもらう事もあるのでわかりやすく入れておく。
出来れば夫と一緒に確認しておいた方がいいと思います。


筋腫があった所に胎盤がついて、その筋腫が変性をおこしたため腹痛が起きたと言われました。
もしかしたら胎盤自体は剥がれてなかったかもしれません。(帝切の必要性も??)
術後の経過は、ケロイドに。
傷は今現在だいぶ良くはなったものの、術後しばらくは一番下の方がぼっこりとふくらんでいて赤紫色になっていました。
傷は縦切り(縦8、横が一番広い所で1.5センチ)でした。


 

私の場合は、1人目を39週で帝王切開で産みました。

20週の頃から血圧が上がり始め(145/80)、尿タンパクも±が続いてました。
体重も1ヶ月に2キロずつ増え始め、だんだんむくみも出るようになってきて、とうとう37週の時浮腫+3・尿タンパク+3・
体重13キロ増・血圧152/92という完全な妊娠中毒症と診断されちゃいました。


絶対安静と食事コントロールで、なんとか体重増加は止まり、むくみも引いたんだけど血圧は上がる一方。
結局39週の時「赤ちゃんが育ってない。2700グラムしかない。」って言われて帝切決定。
実際開腹してみたら、胎盤早期剥離を起こしてる上に、胎便が出てました。
でも体重は3176グラム。なんとか元気な赤ちゃんが産まれてくれました。

 

でも手術の日はパニクっちゃって大変でした。
剃毛や浣腸が済んで、術衣に着替え手術台に乗ってからは、心臓がバクバクしちゃって震えが止まらない!
局部麻酔をしてもらって「これは感じますか?」って太ももをつねられた。
全然麻酔が効いてなくて「バッチリ!痛いです!!」と言った。
何度やっても麻酔が効かないし、私も錯乱してくるし、先生も困り果てちゃって「すぐ楽になるからね~」という言葉の後、全身麻酔に切り換えられました。
マスクをして10秒も経たないうちに意識は遠退きました。

 

そして看護婦さんに起こされて目覚めました。
目覚めた瞬間から下半身が燃える様に痛い!熱い!でも寒い!!
「いたーーーーーーーい!!!!」手術室から叫びながら病室まで戻ってきました()
それからはみなさんの体験記で読んだのと一緒です。4日目くらいからやっと復活って感じです。 

 

~2人目~

帝切になった理由はリピートです。手術の経過はだいたい皆さんと同じです。
前回は全身麻酔だったので術中の事は全くわからなかったのですが、今回は腰椎麻酔だと言う事で不安でした。
だって意識がある中で開腹されるなんて、いくら麻酔をしてるとは言えコワイじゃないですか!
でも・・・腰椎麻酔、みんな痛いって言ってましたよね?私ちっとも痛くなかったんですよ。
ちょっと背中がヒヤっとした感じ。それだけでした。「いつ痛みが来るんだ?」って思って構えてるうちに終わってました。

そして手術。麻酔が効いてても痛かったって方が多いですよね?でもでもこれまた痛くない()
触られてる感じはあるものの、痛みは無かったです。

赤ちゃんが取り出される時だけグーっと押される感じがしてちょっと気持ち悪かったけど、それだけでした。
手術が終わって、さすがに子宮収縮の痛みはかなりキツかったですけど、痛み止めで抑えられました。
麻酔は翌日の朝方まで効いてました。麻酔が切れても傷の痛みは感じなかったです。

翌々日から歩行開始だったんですけどその時と、ベットから寝たり起きたり立ち上がったりする時に少しつれる感じがしたくらいです。
全然痛くないので調子に乗って、初歩行直後なのに点滴引っ張りながらエレベーターで売店に行ったりしちゃいました()
と、いうわけでかなりラクチンな帝切を体験させて頂きました。

前回とは雲泥の差ですよ、マジで。
出産直前にダンナの姉から言われた「帝切は楽でいいね」の言葉にも反論出来ないくらい楽だったかも・・・。
でも前回はマジで死ぬ思いだったから、やっぱ帝切は痛いのが
普通なのかも。
今回はかなりラッキーだったんですね私。