30.胎便吸引

 

私は、帝王切開で産まれた子です。
そして私も、5月2日に、緊急帝王切開で子供を産みました。


普通に陣痛も来て、子宮口が3センチ開いて順調に出産に向かっていましたが、なぜか羊水の量が減っていて、子供の心拍が落ちて来ました。
お腹を切ることに抵抗はその時なかったです。

子供を元気に産みたいっていう気持ちだけでした。

 

いざ、麻酔の時は、陣痛の波と同時になって、麻酔の痛みは分らなかった。

5分くらい経つと、手術用の青い布をかけられ、手術開始です。

その後5分たった時、わが子が出てきました。
ちょっと小さめの、2524グラムの男の子です。


羊水が足りなかった原因は・・・
子供がお腹の中で、胎便(ウンチ)をしていました。
そのあと、陣痛の時に苦しかったのか、お腹の中で呼吸(肺呼吸)して、胎児の中に循環できない胎便と用水が、肺の中に入っていました・・・。


産まれて、抱くこともできず、子供はNICU(新生児集中治療室)のある病院に転院でした。
肺の中に、便と羊水が入っていたので、気胸になっていました。
私は、手術開始して2時間半後に病室に戻りました。


夜中の1時に出産で麻酔が切れたのが、当日朝10時位でした。
麻酔が切れて痛みというのは、私個人だけど、あんまり痛いと思いませんでした。
どちらかというと、陣痛の方が痛かったです。


当日の夕方には、オナラが出て、夕食は「おもゆ」からでした。
尿管も当日の夜11時には抜いてもらいました。
それからは、病室をチョロチョロしてました。
先生達から、経過が早いと言われましたが、私は、5月5日にどうしても子供の病院に行きたかったから、自然と経過が良かったのかも知れません。
抜糸もしていなかったけど、出産3日後子供の病院に行き、初めて子供をさわることができました。

 

子供は保育器の中だったので、抱くことはできませんでした。
不思議なもので、産後すぐ母乳はでなかったけど、子供がミルクを飲みましたって聞いて、少しだったけど、母乳がでてきました。

 

手術後4日目に抜糸でした。
今では傷もだいぶきれいになりました。
傷はだいたい10センチ程度です。


元気におっぱいを飲むわが子をみたら、傷のことなんて正直、忘れてます^^
今から、出産する方には、怖いって気持ちがあるかもしれませんが、子供を見たとき・おっぱいを飲んで時・寝てるとき・・・わが子を見てると出産の痛みは吹っ飛んでいくと思います。
無事に産むことを考えて頑張ってください。


帝王切開には結構偏見は多いとは思うけど、がんばって産んだ傷だから、自分はあんまり気にしてません。
実は 私は子宮内膜症だったけれど、妊娠・出産できました。

宣告されたとき、落ち込んでいました。
治療をあきらめずに頑張ってください。
同じ病気で落ち込んでいる方にも読んでいただけると嬉しいです。

 

 


 

出産予定日は9月11日で、祖母(産まれてくる子には、ひいばあちゃんにあたる 人)と同じ日のはずでしたが、予定日近くなっても全然降りてくる気配がなく、子宮口も固いままで、とりあえず1 週間は様子を見ましょうと、1日おきの検診に通うことになりました。


16日の検査で、「もし明日までに今以上の変化がなかったら、入院して陣痛促進剤 を使いましょうね」といわれ、陣痛が来ても来なくても明日は入院!!って急に決まりました。
その晩10時頃から、生理痛に似た痛みがシクシクと来て、時間を測ってみたらきっ ちり10分おき。
「やったね♪促進剤使わなくて済んだ!」と第一関門クリア。

翌日(17日)お昼の2時頃入院、さっそくNSTのモニターをお腹につけ、陣痛待機室 で待たされました。
前日までしぶとく降りてこなかった赤ん坊は、やっと出る気になったらしく、ちゃんと 骨盤の中にはまり、子宮口も6cmくらいまで開いてきました。


「昨夜の10時から陣痛開始なら、今夜中に生まれますね。いい陣痛来てるし、呼吸の逃し方も上手だよ」と先生にも助産婦さんにもホメられ、よっしゃ頑張るゾ~♪とヤル気充分!!
ところが…NSTの波形を、30分おきに看護婦さんが見にくるたびに胎児心拍が落ちて いて、そのたびに「赤ちゃん寝てますね、起こしましょう」ってブー♪と音の出る器械を当ててるんですが、すぐまた心拍は落ちて行く。


陣痛はもう2分間隔で、モニター用紙の針が振りきれて用紙の幅からはみ出すような強烈な陣痛と張りが来てるのに、私自身は『いつもの生理痛を1とすると、今5くらい』とか結構冷静に我慢し、自分の中では痛みが10まで来たときが出産!!と勝手に決めてました。

 

そんな「マイ陣痛度数計」が8くらいになった頃、大慌てで看護婦さんや医師3~4人が駆け込んで来て「ありゃりゃ…大変だ、すぐ切らないと!!」って胎児になにか危険があることを告 げられました。
このまま陣痛が続くと死んでしまう可能性もある、ということで陣痛を止める薬を点滴し、腕に点滴をぶらさげたままオペ室まで看護婦さん2人に両脇を支えられて自力移動。


薬が全然効かず、歩く間も1分おきの激痛で思わず足が止まり、うずくまりそうになるんだけど、看護婦さんたちは「頑張って!」「早く立って!」ってせかし、引っ張るのね。

でも、よく見たら廊下のあちこちに車椅子やストレッチャーが何台もあるんじゃん!!
なんで使わせてくれないの~!?

オペ室に足を踏み入れた途端、四方八方から手がのびて病院の寝巻きも下着も全部入り口で脱がされ、10歩ほど離れた先にあるオペ台に、自分で上がれと言われました。
えっ…全裸で(でも靴下だけははいたまま ^m^;)?


でも医療行為なんだし、恥ずかしがってる場合じゃないんだよなぁ…となんだか納得 いかなかったけどしぶしぶ歩き、オペ台によじ登るまでに間に3回ほど陣痛でうずくまる。


なんとか台に収まると、腰椎麻酔。

腰を思いっきり突き出すように丸まって!!との ことですが極限までふくれきったお腹で、これ以上どう丸くなれと??
腰に注射針が入る瞬間まで陣痛は続きましたが、麻酔が効いてきたらウソのように痛みが消えました。


あおむけにされ、両手両足を固定、結局靴下は脱がされないまま(笑)足カバーをつ けられ右腕には血圧計、左腕には点滴が入れられました。
剃毛、導尿のカテーテル挿入、各種検査…と全裸のカエ ル腹をさらしたまま進む。


20分ほどで麻酔も効き、先生も揃ったところで(主治医プラス1回だけ検診でお世話になった先生)やっとシーツをかけてもらい、切開開始。

激痛!!ってのた打ち回るほどではないけど、結構ズキズキする痛みで思わず「…ウッ…」「あううううう~」と声が出る(恥)
(普段すっごい呑んべぇなので、あまり麻酔が効いてなかったのかな…)
切開が始まってほんの5分ほど、ズギュッ、ゴキュと激しくお腹の中を掻きまわされる感触!

ピッタリ夕方5:00に男のコ誕生!!!3312gでした。
…が全然産声が聞こえない。なんで??と急に心配になり、そばにいた助産婦さんに 目で訴えると、
「ちょっと…いや大丈夫…もうすぐ来ますから」となんだかわかんない返事。
どうやら向こうの部屋で処置をしてる様子…。


吸引のゴボゴボいう音がして、やっと盛大な産声が聞こえてホッと一安心~。
それから胎盤の処理…またお腹に手を突っ込まれ、なにか大きなものをひっぺがす感触と、再び激痛で思わず腰が浮く~~(T0T)
やっと赤ん坊が出てきて、顔の横に連れて来てもらって初顔合わせ…あらら、私そっくり!

しかも、黄色い液体にまみれてる…なんじゃこりゃ…
胎脂?でも胎脂って普通白くない?なんで黄色いの?私がポッチャリだから、脂肪分豊富な、黄色い胎脂なの??

病室に戻ったら、やっと意識も戻り、どうも息苦しいので酸素を5リットルもらったら、1時間ほどで気分もよくなりました。
落ち着いたところで…手術同意書が出てきました。
オペ前は緊急だったので間に合わ なかったとのこと。
酸素不足で震える指先でペンを持ってサインしたけど、もし術中になにか起こってた ら、この同意書がなかったわけだし、どうなるんだろう…とちょっと不安です。

帝王切開になった原因は、胎児が子宮内でうんちをしてしまい、その汚れた羊水を飲みこんで窒息死する寸前だったそうです。
だから産まれてすぐは泣かなかったんですね、鼻や喉に汚染羊水が詰まってて、ほんとに死にかけてました。


吸引してもらったらもう元気になっちゃって、保育器にも入らず翌朝いきなり初乳を 30ccも飲むいやしいんぼう…
子供のほうは元気なんだけど、私のほうは切ったところから汚染羊水が漏れ、腹腔内で感染症を起こして40度以上の熱が1週間続きました。


でも翌朝から普通の産婦さんと同じようなカリキュラムで、歩行や育児指導などをこなさせられ、ゆっくりベッドで横たわってる時間は1日6本の点滴の間だけなので全然熱が下がるヒマがない!!
せめて1日くらい何もしないで寝ていていい日があったら1週間も熱、続かなかったんじゃないかと思うんです。


すぐ動いたほうが治りがいいとか、癒着を防ぐとかいわれてますが、1日くらい休んだからって治らないわけぢゃあるまいし
マニュアル通りに進められるのも怖いのんだな、と思いました。

 

~2人目~

成15年秋に耳下腺膿瘍という病気を患ったことがきっかけで、その手術のあと傷口に結核菌が入って感染し、その菌を発病しないように叩く治療でかなり強い薬を服用したら副作用で肝機能障害を起こして長期入院…と怒涛のビョウキ生活を送り、H16年の暮れに完全に治療が終了してほっと一安心、というところで2人目を授かりました。

 

自宅周辺の産婦人科はどこもVBACはお断りという方針のところばかりだったので否応無く予定切開での出産、と決定していました。

 

私自身は一時期VBACに憧れて出来ればそういう病院を探してでも…とも考えていましたが長期にわたる病気と、復帰後の息子の幼稚園の忙しさに、ついていくのがやっとの状態で体力にも自信がなかったし、たまたまママ友達から、帝王切開で亡くなったご友人や親戚の方がいる、という話を聞いてしまいました。


お一方は2回目の帝王切開、もうお一方は3回目で、癒着が激しかったので大出血、というのと前置胎盤で出血が多すぎたとの理由だったそうです。


それと、こちらのサイトに奥様をVBACで亡くされた方がいらっしゃって『VBACをしたいと望む妊婦さんの気持ちもわかるけれど、それによって産婦自身や赤ちゃんを生命の危険にさらすのは…』という切実な願いを読み、改めて安産の意味を考えて、なによりも大切なのは母体も新生児も無事に帰宅すること、これに尽きるのではないかと思い、VBACへの未練はすっぱり捨てた…というよりも むしろ安全第一で予定切開お願いします!という前向きな気持ちで手術を決めました。


VBACどころか、予定切開でも100%の安全とはいえないんだもの、
だったら少ない成功率に賭けて危険なVBACに挑むよりも、まだ失敗する率のほうが低い予定切開のほうが『生きて帰れる』可能性が高い。

長い病気生活で当時幼稚園児だった長男を長期欠席させ、実家に預けて何度も入退院や手術を繰り返してきたので、そのたびに息子には寂しい思いや不安な思いをさせてしまったので、本当にもう危険な目には遭いたくない、息子を不安にさせてしまってはいけない。
なによりも今お腹にいる子が、産まれた途端に母無し子になるのは可哀想すぎる!!!!

妊娠経過は大変順調で、長男のときも6kgまでしか増えなかったけど、今回は長男が小学生になったということもあって毎日が忙しいため、ゴロゴロしてる余裕もないといった感じで動き回っていたせいか、やはり5kgしか増えずに済みました。


ただ、前回の妊娠中には見られなかった頭痛や呼吸が必要以上に苦しい、といった症状があって苦しくて眠れない夜が多く、耳下腺炎の再発!? それとも別の脳か心臓の病気?などと怖い想像ばかりしてしまいましたが、ママ友達に相談したら、『肩や首がこりやすい人はリンパ腺の影響で喉や気管が苦しくなることもあるらしい。呼吸しづらくなるから酸欠による頭痛も起こりやすい』という説があると教えてもらいました。
なるほど、私は肩や首はあまりこらないほうだけど耳下腺の病気をしてるから確かにリンパ腺の異常があるのでその説は頷けますね。
理由が判れば対策のしようもあるから、寝るときの枕の高さや体位を工夫して呼吸しやすい角度を探して寝たら頭痛は緩和されました。

帝王切開しないのであれば予定日は1225日、クリスマスになるところでしたが経過もいいし胎児の成長ぶりも割と大きめなので37週で出しましょうということになり、12月6日に手術と決まりました。


実はそこの病院、私自身や妹が産まれた病院でもあります。
たまたま4年前に引っ越してきてこの病院が近くなったため、これも運命かとこの病院に決めました。
また、幼稚園のお友達もここで帝王切開で生まれていて、その7年前の出産ですでに硬膜外麻酔だったそうでとても快適な術後生活だった等といろいろ情報をもらえていたのもありがたかったです。


選んだわけではないけど偶然飛び込んだ初診の日の曜日の関係で女医さんが担当、気さくで面白い先生なのでなんでもざっくばらんに打ち明けられるし、こちらも「前回の傷綺麗ね」という話から傷が消えた理由を情報として提供したりいい関係ができたと思います。

前日に入院、手術は何時からがいい?と聞かれて前日の夜から絶食になるから、空腹の時間がなるべく少なく済むように朝一番の9時からのをリクエスト(笑)
定刻通りに手術室に入り、憧れの硬膜外麻酔♪ 


今回は7年前にはなかった『血栓予防のため』の強力なストッキングをはかされたり、足に自動的に空気を送ったり抜いたりして血流を良くする機械をいうのをはめられ、数分おきにプシュー、プシューと足元で音が。


麻酔が効き、主治医の女医先生と産科部長のH先生が揃って手術開始。
…と。実はこの病院は縦切りが原則なので、前回が横でも今回は縦に切るわよ、と言われてました。


え~せっかく横でその痕も綺麗に消えたのに、なんでまたわざわざ目立つ縦傷を!?思ったけど今回はなによりも赤ん坊の安全第一で医者が縦が安全というなら縦でもいいや~と覚悟してきました。


が、切る寸前になっていきなり「…横でもいいか…。どうですか女医先生?」「H先生がいいなら…」って感じで急遽横切りにモード変更。

なんですか、その決定基準は(^^;)???


切開開始から15分ほど、9時半に次男誕生! おお、パパ系の顔立ちだ~。(長男は私の新生児期とうりふたつ)
37wと早めに出したのに、出生体重は3520g…
私自身の体重増加の割には結構でかいですね(^^


ほげほげと泣き声を聞きながら胎盤をほじくり出し、さあ後は縫合だ…と、もう経過がわかってるからのんきに麻酔の軽い眠気に漂っていたら、なんだか一向にお腹が閉じられる様子が無く、むしろパタパタと慌しい雰囲気に。
妙な機械が来てお腹を撮影。そばにいた助産婦さんが「ポータブルX線機です」
へ?レントゲン?なんで??


すると医師たちが「すみません、出血がちょっと多かったのでガーゼをたくさん使ったんだけど使用済みのが2枚足りないんです。万が一子宮や腹腔内に残しちゃってたら大変なので見つかるまで閉じられません」と説明してくれました。
えええええええええええ~!? ガーゼってヲイヲイ!


…が、麻酔があまりにも心地良いのと時間がかかりすぎたためうつらうつらしてしまい、助産婦さんに手を握られて起こしてもらったときにはガーゼも無事見つかって(使用済みのほうの数え間違いで、もう一度丁寧に丸まってるのをはがしたらちゃんとあったそうな)改めて謝罪があり、無事縫合してもらって手術室を出たらなんともうお昼の11時半。
ありゃまあ。2時間半もかかってたんだ!
っていうか私の次に帝王切開する人が3人も控えてたのにゴメンナサイ。(って私のせいじゃないけどね^^;)

硬膜外麻酔のメリットを充分に満喫し、規定通り9日目に退院。
長男の学校があるから里帰り養生は無しで、そのかわり実家の母がちょくちょく通ってくれることに。


傷は抜糸直後はなんか縫い目がガタガタで正直前回の病院のほうが上手?だったけど、私には伝家の宝刀・オリーブオイル療法があるので、抜糸当日から塗っていたら退院して3日目くらいにはもうピンクの線くらいまでに薄くなりました。

 

が…やはりここ数年の『踏んだり蹴ったり』癖がまだ抜けないのか。
退院後暮れの慌しさに突入、年賀状を投函しに行ったら腹部に違和感を感じました。
急いで帰宅するとパンツが血液とうす黄色い汁でべっとり濡れていて、見ると綺麗にふさがっていた傷口のいちばん左端が5mmほど開いています。
なんじゃこりゃ~~~!! 慌てて消毒してバンドエイドを貼り、出産した病院に行きました。


黄色い汁は一見膿のようですが、膿ではなく脂肪の溶け出したもので、化膿していないから心配は無い、とイソジン消毒をして念のため化膿予防に抗生物質の軟膏と経口抗生物質を処方されました。
その結果一応年内に傷は再びふさがり、経過を見せるため1月4日にまた受診しろとのこと。

で年明けに受診する前日、また傷口が汁だらけ。


結局このあと3回ほどふさがったりまた開いたりを繰り返し、半月に一度くらいの割合で糸が出ました。
こちらの『まめ知識』で糸が出ることは勉強していましたが、実際出るとびっくりしますね。
結局5本くらい出たかな…結び瘤のついてる黒いものやら真っ直ぐなタコ糸っぽいのやら。


その都度医師に相談(産後は外来でH産科部長に担当してもらっています)するともう糸が出たんなら大丈夫、ふさがってくるよと言われ続けていましたが一向にふさがらずにむしろ深さもどんどんえぐれてくる感じです。


3月に薬を変えてみたら1週間くらいは目に見えて肉芽組織が盛り上がってきたけれど、そこから先の進展がまったく無く、なによりも『化膿していない』からそれ以上の原因がわかりません。


細菌培養も何度もやり、膿瘍や結核菌感染の病歴もふまえていろいろな可能性も考えてもらったのですが菌は一切出ず、なんともお手上げ状態で先日同じ病院の形成外科に転科しました。
そして現在(6月中旬)、形成外科でもらった薬を塗り、消毒しすぎないで。という指導のもと早くも肉芽組織がすっかり盛り上がり、あんなに頑固に3ヶ月以上開いてた傷口もあと2mmくらいを残してふさがってきました!


あとちょっとで完治すると思いますが、最後まで気を抜かないで経過を観察していきます☆