15.胎児仮死(P.1)

ずーっと、『胎児が小さめ』と指摘されていたんですが、37wに入って、とうとう発育曲線を切ってしまい、
『10ヶ月だから産んでも良い時期ではあるけれど、ちょっと小さいですね。胎内で大きくなった方が良いので、陣痛がつかないように管理入院しましょう』
と言われ、5月2日から入院しました。(その前の週から、ほのめかされてはいましたが)

『予定日が過ぎたら、今度は産んでもらわないといけないので退院してもらって、陣痛がつくようにしてもらいますよー』とのことでしたので、予定日の5/19までの入院ライフをのんびりと過ごす予定でした。

満床だったので、最初は陣痛室で。
次に個室、それから4人部屋に移りました。
さて、入院中はNST(ノンストレステスト)が日課となります。
入院して2日目の個室時代に一回アラームが鳴ったのですが(心拍低下)これが、4人部屋に移ってからも発生。
5/8に診察があったのですが、その時は、発育遅延よりもNSTの話がメインとなり、どうもへその緒を踏んでるかも・・・という話になりました。
『心拍低下が頻繁に起こるのであれば帝王切開ですね』と、ここで宣告。
ところが、その日の午後のNSTでも発生。

そして迎えた5/9。
回診は、朝10時頃に開始でした。
先生を待つ間にNSTを始めると、またも心拍低下の音がしだしました。
電波でナースステーションに結果を送信するタイプだったので、看護婦さんが飛んできました。
なんとも60まで下がってしまったらしい・・・。
『緊急の帝王切開になるかも・・・え?決まり?決定です』という看護婦さん。
『え?いつからですか?』『11時から』

人間、ああいうときは落ち着くモノなんでしょうか。
旦那に連絡を取るために病院の電話を手渡され、旦那に連絡。
『緊急の帝王切開になっちゃったー』
『え?いつ?』
『11時から』
『あん?30分後???』てな会話。
点滴だぁなんだ・・・と看護婦さんが駆け回る姿を見ながら、目を丸くしていた私。
半分、実況している私の頭。

『本日の回診は中止です』という放送が聞こえます。
お隣の方から、『頑張ってねー♪』という励ましの声が聞こえます。
『はーい』と答えながら、『私が頑張っても・・・(^^;』とつぶやく私。
映画並に、ガラガラガラガラ!と手術室まで運ばれました。
20床ぐらいの入院フロアでしたから、ホントにまわりは驚いたと思います。
切迫で入院してる方も大勢いましたから・・・。

結局、帝王切開が決定してから2時間後の12:07。
無事、男の子を出産・・・となりました。
その日の夜は2時間おきに検温でした。
しかし、興奮冷めやらずで眠れず。
看護婦さんに、『明日、倒れちゃうよ』と言われたけれど眠れず。

5/10の夕方、歩行訓練もかねて新生児室へ向かいました。
結局、2000gを切った息子は保育器の中。新生児室のガラスと2枚ごしの対面となりました。
そうしたら、涙がボロボロと出てきてしまって。
ありゃ!と思ってガマンしたかったのですが、傷口が痛くて、力が入らず・・・。
周りから見たら感動のシーンかも知れませんが、本人はどーしよう・・・という状態で。
結局、我が子に触れるコトができたのは5/11。
ただ、順調すぎるぐらい順調に大きくなり、
5/15には保育器卒業。
退院も、私より1週ぐらい後と言われていましたけれど、次の日には退院となり、本格的な子育て開始となりました。


理由は臍の緒を股で締め付けていたのでその結果、仮死状態となり緊急オペに至った…といった感じでしょうか。

39週の検診で赤ちゃんの心音が途切れ途切れ…っていうか落ちたり戻ったり、、、不安定だったのでそのまま入院。
入院後、先生方2名・助産婦1名・看護主任1名による診察があり、エコーでの様子として〝多分、赤ちゃんが臍の緒を自分の股ではさんで締め付けてる…〟という判断が。
心音が途切れたりしてるのに「いますぐどうこう言うような感じではないのでこのまま様子を見ましょう」…(_;)ん?すごく不安でした。
常に横になったら胎動があるかジッと確かめてました(T_T) 

それほど感じられなかったのですが…で翌日の午前中、陣痛室で分娩監視装置をつけてもらったら…20分ぐらいたって心音が落ちたまま戻ってこなくなり、、、慌ててオペに。
急遽オペをすることになったので直前まで食事をとってたんです。
おかげでオペ中、吐いて…さんざんでした。

嘔吐物を詰めて窒息しそうになり血圧は30まで下がり脈も40前後…ケイレンを3回起こしました(T_T)
ちょうど嘔吐の最中に長男が誕生し、ご対面は出来ませんでした、、、

苦しくてそれどころではなかったのです(>_<)


生まれてきた長男の手足の色は既に紫色だったそうです…(>_<) 

ただ元気に産声を上げてくれたのが私には嬉しく頑張った甲斐があったと涙しました(T_T) 

その後、先生方の雑談の中、縫合が進んだわけですが、そのときも1度ケイレンを起こしたんです。
いちばんひどかった。おかげで大量出血で極度の貧血に陥り、3週間もの入院となりました(>_<)
術後もしばらく顔色が悪く皆にものすごく心配かけました。

お見舞いに来てくれた友人があまりの顔色の悪さに…心配で病院を変わったら、とも言ってくれたぐらいです(-_-;)

帝王切開で私ほど究極に術後が辛そうだった患者は珍しかったのか、
麻酔が切れてものすごく痛くて痛くて…ロキソニン(痛み止め)を何度も処方してもらい、術後3日目にしてようやく自力で歩行することが出来るようになりました。
それまでは起き上がることすら出来なくて…傷口も下腹もものすごく焼け付くような痛みが走って(T_T) 傷口の皮下に膿が溜まってるかも…と言われたけどその心配はなさそうでした。
でも増血剤を注射(オペ中の大量出血の為)しているにもかかわらず、日に日に貧血が進行しているのがおかしいということで術後3日目に急遽、CTを撮ってもらいました。
すると…お腹に直径6cmほどの血腫が(-_-;)
これは切開した際にはなかったらしく、術後の出血で出来たものであろう
と言われほんと不安になりました。
貧血が進行してるのはそのせいかと…
その後、この血腫をなくす為の飲み薬が処方されました。
術後の何種類もの点滴が減ってきた矢先に、今度は子宮収縮やらいろんな飲み薬が最高10種類もあったときはキツかったです(>_<)

で術後4日目から痛み止めに頼りながらも何とか授乳させることができ、
ものすごく嬉しい瞬間でした(^^) 

この日の午前中、先生の診察があり
その際、激しいお腹の痛みを訴えると筋肉も切って縫ってあるのでそのせいもあるだろうと言われました。

(筋肉は溶ける糸で縫ってあり、完全に溶けてしまうまでに3ヶ月程度かかるとのことでした)

7日目に抜糸(抜コウ)をしてもらう際、臍のあたり一面が内出血して黒っぽい紫色になっていることに気付き驚きました。
痛かったけど消毒以外は常にガーゼを当てて腹帯が巻かれていたので分からなかったのです…術後、内出血するものなのでしょうか???
術後11日目(前回のCTから1週間後)のCTの結果、飲み薬のせいか血腫がつぶれて飛び散ったようになっているとのことで、抗生物質のカプセルを処方されました。その後の診察(エコー)でもこの血腫はなくなりませんでした。


いろいろ問題はあったものの術後22日目、ようやく退院することが出来ました。産後2ヶ月目の診察で血腫は3cm程度にまで小さくなってるのでもう大丈夫でしょうと言われ、晴れて婦人科を卒業することが出来ました。
 


36週目で破水、すぐ入院するが3日間陣痛来ず、(促進剤使用)4日目、陣痛。
子宮口9cmの時に、母体意識不明、胎児仮死のため緊急帝王切開手術。
体重2750グラムの男児でアプガースコアは0。
蘇生処置を行って、蘇生(体中が点滴や管だらけ)しましたが3日目に腎不全により死亡。
後に、常位胎盤早期剥離と急性の妊娠中毒症だといわれる。(納得してません)

2回目(個人病院)...
前回が、胎盤早期剥離と病名が付いているので、今回も剥離する可能性有りとのことと、確実に出産したかったため、予定帝王切開。
36週から管理入院(一部通院)で、モニターチェック37週に入ってすぐ、予定帝王切開(腰椎麻酔)
で、2800グラムの男児。
 


一人目の時は妊娠初期に切迫流産しかかって、約1ヶ月入院してました。
で、何とか流産は免れて退院したのですが、流産しかかったものだから、あまり体を動かしていなかったのです。
もともと、体格のいいほうなので体重増えなくても大丈夫といわれてましたが・・・
予定日になっても陣痛もなく、エコーでもまだ下がってきてなかったので、念のためレントゲンをとりました。
骨盤と赤ちゃんの頭の入る角度が入りにくので、出てきにくかもと言われました。
まぁしばらくよく体を動かして様子を見ましょうということで、9日が過ぎました。

9日目の朝、陣痛らしき痛みがあり、入院。
それから、監視装置をつけ陣痛に挑みました。
が、なかなか強くならないので診察時に破膜?されました。(陣痛をうながすのかな?)痛みは強くなってくるのですが、子宮口がなかなか開きませんでした。
そうこうしているうちに夜になり、様子を見にきた助産婦さんが羊水が濁ってきているのをみて、先生と相談。
緊急帝王切開となったのです。

何でも、生まれてから出るはずの胎便が中で出てしまっていて、心音もおちていたようです。あとで知ったのですが、仮死状態だったらしいです。
その日は夜の手術だったのに小児科の先生が幸運にも夜勤でおられたのですぐに見てもらうことができました。
3815gでした。

二日ほど保育器に入り、あの小さな手に点滴をされ、授乳の時間になるとベッドにつれてきてくれました。
私が歩けるようになるまではずっとベッドまでつれてきてくれました。
手術後3日目に尿管がぬかれ歩く練習をしだしました。
はじめは起き上がるのも、寝返りするのもできませんでした。
しばらく、授乳室へ通い、その後5日目に母子同室になりました。

同室になる前は、産婦さんの部屋ではなく妊婦さんやその他婦人病の方たちと一緒の部屋でした。
で、10日後に無事退院となりました。
後遺症などはないようで、今ではやんちゃ花盛りで、毎日走り回ってます。
寅年なので、何でも一番でないと機嫌が悪いです。

二人目は、破裂の危険があるためという病院の方針で帝王切開。
今度は、前もって心電図をとったり、説明をきいたりして、かえって緊張してました。
陣痛が起きてしまったらいけないので、予定日の2週間前の病院の手術日にきることになりました。
予定より早く出てきたのに3530gでした。
手術後は一人目と同様に、尿管がぬけたら歩く練習で、授乳室にしばらく通い、その後母子同室になりました。
術後の食事ではじめて「おもゆ」を食べました(というか飲みました)
赤ちゃんの離乳食のような献立がしばらく続き、同室になるころから普通食になりました。
でもそのおかげか、産後すぐの体重の減少はよかったです。
 


私の病院では硬膜外麻酔という方法の麻酔で痛みの8割をとるため、自分でいきんで出産する、というものでした。
しかし麻酔の先生がいらっしゃる平日昼間しか無痛の処置ができないので、出産予定日の前にあらかじめ出産日を設定します。
出産日前日に入院。ラミナリアを入れ、夕食。
無痛分娩ではこのラミナリアが出産のプロセスの中で一番痛いといわれているそうですが、ほんとに痛かった・。
そして夕食後から出産が終わるまでは飲食はできませんでした(麻酔をする関係で)。

翌日朝6時に浣腸、7時に分娩台にあがって点滴(ブドウ糖)、
8時に麻酔をし、麻酔がきいてきたら促進剤の点滴を始め、陣痛監視装置で観察。

 

痛みがない為、陣痛が進むのは、この監視装置でしか私は分かりませんでした。
分娩台には液晶TVがついており、TVを見ながら(最初は結構のんびり)
子宮口がひらいて赤ちゃんが下りてくるのをまち、そして人工破水、分娩、という段取りです。初産の人でその日の夕方には出産、早い人で午後に出産のようでした。
ところが、私の場合は子宮の収縮が進み赤ちゃんが下に下りようとすると胎児の心音が急激に下がり、促進剤の投与を止めたり、酸素吸入をして様子をみたりしたのですが、夕方になっても胎児が下りようとすると心音が下がる、という状態が数回続き、おまけに胎児が子宮内でうんちをしてしまい羊水汚濁状態になり、赤ちゃんが自然に下りてくるのをまっていられなくなってしまい、帝王切開、という結果になってしまいました。

帝王切開というと「麻酔をしてラクにお産」みたいなイメージでしたが、こんなにも苦しいものだとは・・。

手術の傷跡もいまだに痛みます。
私は無痛の処置と帝王切開の手術の分も合わせたので、合計出産費用が70万にもなってしまいました。
帝王切開をした人は子宮破裂のおそれがあるので、2人目は自然分娩は可能かもしれないけど、無痛分娩はできない、といわれました。
いまではどんな分娩方法でも赤ちゃんが無事に生まれてくれれば・・と思っています。

育児にもすこしずつ余裕がでてきました。しかし余裕がでてきた今頃になって、傷の痛みが雨の日なんかは特に気になります。


最初の結婚では4度の妊娠すべてが稽留流産で、自分の人生に出産・育児はないと思い、再婚相手にも告げながら4ヶ月後、妊娠がわかりとても不安な毎日が始まった。
それでも、B群溶連菌による出血のほかは大きなトラブルもなく、半信半疑で迎えた34週健診。

それまでより血圧が20も上昇しており「要注意」言われた。尿蛋白も浮腫もプラス1程度だったのでその日は帰ったが、36週健診でNST(ノンストレステスト)をしたところ胎児の心拍音が落ち込むところがあり即入院となった。

最初は妊娠中毒症の恐れということで、血圧が下がるように食事指導で1週間程度の入院と言われていたのが、NSTをやるたびに100を割ることがたびたびあり、このまま出産まで入院ということに。
お産の支度をしていなかったので一時帰宅を申し出て、帰宅前にNSTをしていこうと言っていたら、その最中に心拍音がどんどん下がって70になり、看護師や医師が飛んできて「もう37週に入ったし2500gには達しているから今切りましょう。」

その後はさながらジェットコースターで急下降していくかのようにめまぐるしい展開。

手術同意書に書かれた理由は「胎児仮死」その時になって初めて事の重大さを認識し動揺した。

しかし、思いの外早くに我が子に会える楽しみもふつふつとわいてきて、とにかく気持ちを落ち着かせることに努めた。
その甲斐あってか手術中にトラブルもなく、始終落ち着いていられたのは良かったと思う。

そんなこんなで、手術を告げられてからわずか40分後に我が子と対面したのでした。

術後部屋に戻りすぐ夜になったが、夜中に麻酔が切れなかなか眠れなかった。  

猛烈に痛いというわけではなかったものの、寝返りがうてず背中が痛いのが辛かった。

看護師がまめに様子を見に来てくれて安心できた。
翌日から身内などが見舞いに来たり、出産を終えた達成感でなんとなく気分もハイだったし、3日目から母子同室となってやけに張り切って動き回っていた。

産後7日目に縫合痕の下部に猛烈な痛みがあり診察してもらったところ、中の脂肪が溶けて膿んでしまい縫合した一部が開いてしまったとの事。

皮下脂肪の多さを悔やんだが、すぐに動いたことも一因あったかなと思う。
幸い皮下までで済んでいたので、皮下組織の回復を待って再縫合するということになり退院も延びると言われたけれど、入院生活に精神的に参ってしまい、退院後も毎日通院という条件で産後13日目に退院、結果入院生活は19日間にも及んだ。

2560g
で産まれた我が子は、最初の懸念をどこ吹く風とすくすく育ち、入院中は毎朝黄疸値にひっかかりながらも光線治療することなく(でも毎朝手の甲から採血されて痛々しくてかわいそうだった)2900gで退院。

 

以降は月齢に忠実な成長ぶりでホッとしている。私の傷も1ヶ月しないうちに回復し再縫合することなく完治となった。