54.胎児徐脈

なんとなくこのHPを覗いてみたら、「帝王切開への偏見」が世の中にあるということにまず驚きました。

 

私は黄体機能不全の初期で、なかなか妊娠することが出来ませんでした。
約1年漢方を飲み、もういいか・・・と、半ば諦めた頃、めでたく妊娠しました。
4週で判明し、その2週間後には悪阻、水も飲めないほどの悪阻に襲われ、脱水症状レベル4。
その後、何回かの点滴で脱水症状は回復したものの悪阻は治まらず、その後、切迫流産で半月以上入院24時間の点滴と絶対安静。

退院してからもずっと絶対安静の状態でした。


33週の時、エコーにて異常が見つかり、個人のクリニックから総合病院へ。
しかし、総合病院でも何なのわかりませんでした。

どっちで出産しても構わないと言われ、私はクリニックに戻りました。

家庭的なクリニックで、信頼関係も出来ていたので、いまさら・・・と言うのがあったのですが、クリニックの先生に

「せっかく紹介したのに、何で戻って来ちゃったの?」と言われ、先生も不安なんだなぁ~と思い、総合病院で産むことになりました。

 

出産まであと11日というその日の夜、主人は不在でした。
私はのんびり過ごしていましたが、明日産まれるかなぁ?なんて思いがありました。
夜中におりものが出る感じがしたけれど、私は「破水」と言うのは、ドバァ~っと出るものだと思っていたのです。(なんて無知なんだろう)

寝ている時も、時々同じ感覚がありました。
朝方、やっぱり同じ感覚があり起きてみると、シーツが少々濡れていました。
破水なのか色々なもので調べてみましたが、よく分からず、病院に電話をしたところ、診察してみないと何とも言えないと言われ

主人は仕事なので、実家に電話をして、両親に連れて行ってもらいました。
その前に私はシーツを洗濯機に入れ、乾燥までするようセットしてきました。(そのまま入院になった時のことを考えて)
病院の正面玄関から産科までは遠く、たどり着くまでにナプキンが役にたっていないほど下着はびっしょりになってしまいました。
すぐ診察をして、結果は順調でした。

夕方か、夜か、もしかしたら明日かな?と言われ、そのまま入院になりました。両親は私の荷物を取りに帰りました。


ずっと安静状態だった私は、母親学級なるものは参加出来ず、呼吸法や陣痛などのノウハウがありませんでした。
なので、病院からもらったテキストをベッドの上で読んでいました。(のちにこれが恐ろしいことに)
主人に状況をメールで報告し、出産の時を待っていました。
時々トイレに行ったり、出血もしていましたが、大丈夫との事で、時々内診をしてもらい、経過は順調でした。

お昼近くになると陣痛らしきものが襲ってきました。
テキストで勉強したばかりの私は、陣痛だから我慢しなきゃ!と堪えていました。
病室に両親と妹・甥っ子が来た時には、陣痛の間隔も狭まっていましたが、まだとの診断でした。
それを聞いた両親達は、お昼ご飯を食べてくると出掛けてしまいました。
実は、妹が出産した時も、まだと言われ、お昼ご飯を食べに出掛けて、その間に出産してしまったのです。

なので、私もまさか・・とは思いました。


あまりの痛さに、ナースコールするか迷いましたが、陣痛だから我慢しなきゃ!と思ってしまったのです。

でも、おにぎりを一口入れては陣痛、治まってから噛もうとするとまた陣痛の繰り返し。
あまりの痛さにナースコール!もう少し待ってくださいと言われ、待ってみたものの、辛い。
我慢に我慢をして、ナースコール!事態は急展開しました。


病室には何人かのスタッフがいて「これから陣痛室に行きますね。歩けますか?」と言われたけど、動ける状態ではありませんでした。

「ストレッチャーで運びます。こっちに体動かせますか?」私は顔を横に振りました。
病室から陣痛室に運ばれ陣痛台に乗せられてからの記憶があまりなく、医師らしき人が「臍の緒が首に巻き付いているのか、

胎児の心音が低下して危険な状態なので緊急帝王切開します。」と(ほかにもっと言っていたはずなのに覚えていません)

「はい」と答えた瞬間、大勢の人がドタドタと動き回り始め、辺りは騒然としました。
また別の人が、「すぐに連絡取れる人の電話番号を・・・」と言われ、「携帯見ないと分かりません」と答えると、スタッフが私の携帯を取りに行きました。


陣痛で苦しんでいる私に携帯を渡され、まだ近くにいるはずの家族の番号を発信し、スタッフに託しました。
陣痛台からストレッチャーに乗せられ、手術室まで運ばれましたが、その間、3回程ですが下から出そうになりました。

声を出さないように・・・と思っているのに自然に声は出るし、力入れないようにしているのに、下から出そうになるし・・・。(超便秘の超極太のうんちを出す感じ)

紀子様の帝王切開報道で、切開は5分程度で、その後の処置が25分程掛かると言っていた事を思い出し、

すっかり痛みがない私は冷静に我が子の対面をシュミレーションしつつ待っていました。
しかし、待てど暮らせど泣き声がない。

すると、遠くのほうで「ほぇ」と微かに聞こえた。「ん?ウチの子?他の子?」しばらくすると

「ほぇ~ほぇ~」と少し大きく聞こえた。「おめでとうございます。女の子ですよ。」と、近くにいたスタッフが教えてくれました。

・・・が、よくテレビでやるようなご対面がない!!

エコーの件もあったし、ちょっと不安になり色んなことを考えてしまった。


数分後、ガラガラと保育器と医師が私の側に来て説明をしてくれました。
仮死状態で産まれたので酸素を施したということ。

産声をあげてから、本人が自力で呼吸しようと頑張っていたこと。

念のためにNICUに入院しますということ。
我が子が行ってしまってからも、私の処置はまだ終わらず、カエルの解剖状態の自分を想像しながら「まだかなぁ~」と思っていました。


病室に運ばれ、病室前に主人が立っていたことに驚き、ちょっと涙が出そうになりました。
その涙が苦しみの涙に変わるのはその日の夜でした。
麻酔が切れても大した事ないだろうと高をくくっていた私でしたが、陣痛で苦しんだより更に上の激痛に撃沈。

鎮痛剤(座薬)を使うも、効いているのはほんの何時間でした。
何より、寝返りが出来ないのが辛かった。


3日目には立つ練習をしましたが立てませんでした。

ここで立てないと、簡易用トイレを持ってくると言われ、それだけは絶対に嫌だったし、

何よりも、立てないと我が子との対面が出来ない!
私は午後からの練習で頑張りました。
その日の夕方、車椅子に乗り、主人と面会に行きました。これがまた病棟が遠いのです。
出産の翌日に、医師から状況を説明され、「胎児徐脈」というものでした。

羊水がほとんどなく、へその緒が圧迫されていたそうです。
あんなに苦しんだのに、激痛だったはずなのに、あの時の痛みが思い出せません。

 

5ヶ月になった我が子は、何事もなくすくすくと育ち、NICU出身の子たちが定期的に行く発達外来と言うのがあり、

その検診でも「仮死で生まれてきたとは思えないくらい元気だぁ~」と先生は大笑いです。
さて、エコーの異常ですが、結局わからず、迷宮入りです。
もしかしたら、こんな事態になると我が子は分かっていて、教えてくれたのかなぁ?と。
私は今回の出産で、脱水症状・重症妊娠悪阻・切迫流産・早期破水・胎児除脈・陣痛(下から
出そうになる)・帝王切開とフルコースで味わいました。

だけど、また産みたいと思うのは本能なのでしょうかね。