44.胎児母体間輸血症候群

長女・次女とも普通分娩で安産だったので、まさか3人目で帝切しようとは 出産当日まで全く考えもしませんでした。

 

妊娠中の経過は多少の貧血があった以外は概ね順調で、長女・次女妊娠中にはなりかけた中毒症にもならず、体重管理も初めて成功して自己満足に浸っていた頃でした。
そして運命の37週の妊婦検診日。
たまたま受けたNSTで、予定の30分間を過ぎても装置が外されず、何度も助産師さんが波形をチェックしに来たり、先生と何やら相談してる様子。

 

結局約1時間モニターを取った後に外し、その後体重・血圧・エコーと普通に検診メニューを受けましたが、エコーでは心臓をやけに長く診ていたのがちょっと気になりました。

そして先生から思ってもみなかった言葉が。
「こういうこと滅多にないんだけど・・・」「赤ちゃんちょっと元気ないから帝王切開しなきゃダメかな」・・・

えー嘘でしょ?とこのときは半信半疑でした。


確かに2,3日前より胎動が減った気はするけど、出産が近づくと減るというし、次女の臨月にどうだったのかも4年前で覚えてなく、あまり気に留めていませんでした。
いずれにしても入院して経過を見なくてはいけないとのことで、荷物をとりにいったん帰宅させてもらいました。

この間とにかく「動揺してはいけない」と自分に言い聞かせるのみ・・・。


しかし、約1時間後に産院に戻ったときには既に手術は決まっていて、すぐに術前処置が始まりました。

職場の留守電に連絡を入れた夫が産院にギリギリ到着したのとほぼ同時の13:30に手術開始。

麻酔を打ってすぐに下半身の感覚がなくなり、気分も悪くなってあとは細切れにしか術中の記憶が残っていません。
手術開始から15分ほどで胎児が取り出されたようですが産声を上げません。
やはり相当弱っていたのだろうか・・・。

子供の容態も気になるものの、閉腹の頃になると猛烈な吐き気がして我慢できず、吐こうとしても吐く物がなく大変辛かったです。

産まれた子供は夫と共に救急車に乗せられ、道内ではトップレベルのNICUを有する大病院へ搬送されました。

晴天の霹靂のように突然妊婦生活にピリオドを打ち、しばし呆然の私・・・。
夫が搬送先の病院から戻ってきたのは消灯をとっくにすぎた夜10時半頃。

 

NICUDr.からの説明を伝えてくれましたが、一言で言えば「滅多にない事態」だったようです。
仮死の原因は「胎児母体間輸血症候群」というとても珍しい症例だそうで、何らかの理由で胎児の血液が母体側に大量に流れ、

胎児が極度の貧血(搬送時のヘモグロビン濃度は正常値の1/4だったそう)とそれに伴う呼吸障害を起こすものだそうです。
搬送先ですぐに交換輸血や呼吸管理の処置を受けて一命を取り留めましたが、もし検診に来ていたのが翌日だったら助からなかっただろうと言われ、術後の体の辛さが薄れる3日目頃から張りつめていた糸が切れたようにボロボロ泣けてきました。

産院の婦長さんにいただいた言葉の数々を私は一生忘れることができないと思います。
「あの日病院に来てくれて本当に良かった。助かったのはお母さんと赤ちゃんの力だよ」
「この子が生きたいって思ったから頑張って生きて産まれてきたのよ。赤ちゃんはお母さんの思いきっとわかってるよ」etc・・・。


三女は出生時の危機は数日で脱したものの、原因不明の肝機能障害や感染症で入院が長引き、結局丸1ヶ月NICUに入院しました。
それでも幸い大きな後遺症も残らず、今では何事もなかったように普通の赤ちゃんです。
ケロイド体質なのでできれば体にメスは入れたくなかったし、正直言えば普通に陣痛を味わって産みたかった・・・という後ろ向きな思いも産後しばらく続きました。 
でも、最近ようやく今回の出産を自分なりに受け入れることができるようになりました。
この傷と引き替えに私は(平均寿命まで生きるとすれば)この子の人生の80余年をもらったと思います。