18.超未熟児(SFD)

 

一人目の時は普通分娩でした。

でも、陣痛が微弱だったので誘発分娩でしたが。


二人目のときは結構早い時期から大変で、4ヶ月の時に切迫流産で5日間の安静入院。
その後も「ウテメリン」という張り止めの薬を飲みながら家で安静療養。
でも、実家が少し遠方で、母親が忙しいこともあり頼ることができず、主人の仕事も忙しかったので、
まだ1歳になったばかりの子供の世話をしながらなのでなかなか安定しませんでした。

6
ヶ月の後半から胎動が少ないのが気になりました。
7
ヶ月に入った頃、「子供が小さい」といわれました。
よくおなかが張ると、赤ちゃんにもストレスがかかるので育ちにくいから安静にして。といわれました。

33
週で入院し、安静と赤ちゃんへの栄養補給をすることになりました。
赤ちゃんはなかなか成長しないし、私の陣痛は薬で抑えても押さえきれない状態になってきていたので、365日で帝王切開になりました。

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手術---
前日の夜9時から絶飲絶食。

当日朝から点滴と導尿、剃毛(すごいとこまでそられるので恥ずかしかった)。
麻酔科の先生からお話があり、おなかを圧迫するので苦しい時もありますと説明を受けました。


午後2時半からの開始。
手術台で局部麻酔背中を丸めて脊椎のところに麻酔が打たれ、しばらくしてから上半身と下半身にとがったものを当てられわかるかどうか聞かれ、わかると答えました。

すると、麻酔を追加されました。
それを3度ぐらい繰り返したと思います。

その後、冷たいタオルを当てられ下半身にも冷たさを感じたので、わかるといったのですが、これ以上麻酔は足せないということで手術がスタートしました。


このとき耳元で麻酔科の先生が「赤ちゃんが出たら麻酔を足すので我慢してね」と一言。

「え~!?」と思ってるうちに「始めます」となりました。
切られた時の痛みは特に感じませんでしたが、おなかを開くために左右に引っ張られている感覚がありました。

 

途中でピチャッと音がして顔に水がかかりました。
あれって羊水だったのかな?
そして、先生方がおなかの辺りを何度も抑え始め、すごく苦しくて、あと、皮膚の引きつるような感覚が痛かったのを覚えています。

 

しばらくすると、赤ちゃんの鳴き声が聞こえました。
推定体重が1500グラムだったので、「お母さんに会わせられないけどすぐに写真もって行ってあげるから」といわれていたのですが、すごく元気な赤ちゃんでアブガールスコアが10点満点。


小児科の先生が、「お母さんに会わせてあげてもいいよ」と、言ってくれたのですぐに面会ができました。
面会後すぐ、マスクを鼻と口のあたりにかぶせられたとたん、意識が遠のいていくのですが、おなかのあまりの痛みにすぐに目が覚め、叫び、でも意識が遠のいて・・・・を繰り返しました。

結局子供はへその緒を首に2重、股にまでたすきがけのように巻きつけていたそうで、「長いへその緒だったわ~」といわれました。
手術の前日先生に性別見てもらったら「またに何か見えた。男の子や」といわれていたのに、女の子だったのはへその緒が見えていたのでしょうね。

しばらく酸素の管をつけてもらっていました。
他の皆さんが書いておられるような寒気とかは特に気づきませんでした。

ただ、夜中に全身がしびれるような感覚に襲われて、呼吸がしづらくなるという状態に何度もなり、看護婦さんが見回りに来てくれたときに訴えるのですが、「神経質になりすぎよ」の一言で片付けられました。
「寝てしまったら、二度と目覚めることができない」という不安の中で一夜を過ごしました。


明け方に交替で来てくれた看護婦さんに、同じような症状を訴えたら「麻酔残ってるのかな?頭高くしてみようか」といって、頭を高くしてくれ、少し楽になりました。
手術から二日目、導尿の管をはずし、自力歩行でトイレへ。

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まとめ---
自然分娩は、予習していたというか、情報がたっぷりあったので、
今この部分が痛いのは、赤ちゃんが降りてきてるからとか、痛みのないうちに休憩しようとか、自分の頭で考えて冷静に対処できるので、ひどい痛みにも対応できました。
けれども、帝王切開では、首のところについたてがあり、自分の体に今何がされているのか、まったくわからない状態で、不安が痛みを引き出していたのではないかという気がしています。
一般的な手術の流れだけでなく、中にはこういうパターンもあるという情報があれば、先生にお任せして、冷静な対応ができたかも。

術後、痛みが強いのも大変でしたが、呼吸がしづらいというのはほんとに不安でした。
その時に「神経質だな」と思っても、とりあえず、何らかの対応をしてもらえたらあんなに不安にならずにすんだのに。と思いました。

あと、手術前日に絶食してから、約2日間何も食べてない状態でやっと食べられるのが初期の離乳食みたいなとろとろのものばかりでおなかがすいて大変だったのも嫌な思い出のひとつです。

現在妊娠中で、自然分娩ができるなら、そちらの方が楽なのでしたいのですが私の行く病院では前回帝王切開なら必ず次も帝王切開という方針です。
淡路島の中にはそういうハイリスク分娩をしてくれる産院はないようです。

私としては、帝王切開だと予定が立ちやすいので、遠方にいる母、義母にもスケジュールの調整がしてもらえるので、かえって応援してもらいやすいので帝王切開でいいと思っています。
それに、保険もきいて生命保険も女性特約つけてるのでおりてくるし、「帝王切開でもうけるぞ~」と友人たちには話しています(^^


 

-手術の前-

8ヶ月の検診のときから、自分のおなかの赤ちゃんは標準よりだいぶ小さめということをかんじていて、8ヵ月半(30週)検診に行ったとき、不安なことを先生に話すと、「血液の流れ」の検査をしました。
検査の結果を待っていると、先生方が集合して話していました。
呼ばれるまで自分のこととは思いませんでした。


先生に話を聞き、「今すぐ産んだほうがいい」といわれました。
検診に行っていた病院は、『未熟児』をみれないので、総合病院へ転院することになりました。

転院先では、検査をいくつかし、羊水が減っているので今すぐにでも産まないと「明日の(命の)保証はない」といわれました。
「緊急手術」はこうして決まりました。
私はそのまま、家には帰れませんでした。

 -手術中-
準備はあっという間に終わりました。

緊急手術&実家が遠いので、手術の保証人がいなくて、たまたまお見舞いにきてくれた、だんなの上司にお願いしてサインをもらい、やっとオペに…

最初から、帝王切開と決まっていたので、オペ台に乗って手を固定され、麻酔液を背中の脊髄(だったかなぁ~?)から入れるために背中の真中へんに太い管を刺された。(痛)
下半身の麻酔が効いてきたあたりで、『縦に切腹!』
この後、私は手術台のライトを使って、すべてを見届けることに。
(ライトが10個ぐらいついてるやつの間と間が3cmぐらいあってそこが鏡の役割をしていた。)


最初は、まずおなかを押して、羊水を『ぐちゅぐちゅー』と出して、すると、赤い塊が見えました。
『これがきっと赤ちゃんだ!』と思った瞬間先生はスッっと取り出し、子供は『ふにゃぁ~』てな泣き声で泣いた後、すぐさま待機していた『小児科ドクターチーム』に連れ去られてしまった。
でも無事に出産、泣いたのを見れた嬉しさで大泣き。


手を固定され顔をふけない私はぼんやりした視界の中、看護婦さんに、涙と鼻をふいてもらってました。
そんな中、胎盤が下からドロドロ出て行く感触は気持ち悪かったなぁ。
いつのまにか、縫合も終わっていた。
その後、大量出血のためか、貧血で震えが止まりませんでした。
ガタガタ音がしていた。緊急のオペで、心の準備もできてなかったし。

その日は帝王切開のオペが多く、しかも、部屋が空いてないので、、しばらくオペ室で待機。

その後部屋は何とか空いたので、移動。
でも、ベットがなく、ストレッチャー(部屋からオペ室の移動用ベッド)でその日は寝ることに。

 -その後-
おなかの中で育たなかった理由は不明です。

ただ、胎盤に血液が通っていない場所(白かったらしい)があり、それが原因のひとつかもとのことでした。

食事はガスが出ないとだめだったので、看護婦さんに内緒でガムだけOKしてもらい、頑張り3日目に初牛乳。

同日、超未熟児で生まれた息子と対面できました。
でも、彼はたったの896gで生まれ、しかも、生まれた後の生理現象で最高850ぐらいまで減ったりしました。

 

彼は私よりも頑張ってました。
鼻には食事用の管、小さい体中にモニター用のワイヤー、足の裏には、採血した跡のテープ。
出そうな涙をぐっとこらえ、せっせと母乳を運んだのでした。
私は出産10日目に退院。息子は3ヵ月後に、無事退院。
現在に至ります。

子供も、今は体重が標準より少ないだけで、あとは順調に成長しています。
二人目がほしいところですが、今回の出産がやはりリスクにならないとも限らないので、NICUのある病院で産む予定です。