12.切迫仮死(P.2)

1人目と2人目で大きく違ったのは、1人目が緊急で直前に食事をしていたため、部分麻酔だったこと、2人目は予定だったため全身麻酔だったことです。

1人目は年末年始の緊急帝王切開だったためか、産婦人科Dr2名(うち1人は麻酔医として参加)、助産婦兼看護婦2名の計4名が立ち会ったのですが、2人目は予定でのオペだったためか、産婦人科医1人、助手1人、麻酔医、看護婦など、合わせて8人以上いました。
今回の予定帝王切開は38wで行ったのですが、35wから陣痛らしきものが来て、子宮口も開き、赤ちゃんも下がってきていて、おしるしもあり、いつ本陣痛が来てもいいような状況でした。

そのため、ウテメリンと自宅での絶対安静でできる限り、赤ちゃんを予定までお腹に入れておくように指示されており、ひやひやしていました。

 

予定で帝王切開をしてみて、医者の体制を見ただけでも、緊急と予定での違いが分かり、予定までもって、本当によかったと実感しました。
術後、当日ははっきり言って、全身麻酔のほうがつらかったです。
意識が朦朧としていて、手術が終わっていたことも分からなかった。

術後部屋に戻っていたのですが、まだ手術中と勘違いして、こんなに痛いのに、お腹切られたらしんじゃう!!と思って、看護婦さんに、痛くて死んじゃう、と叫んでいました。

腰は痛いわ、背中は痛いわ、わけわからず、騒いでいました。

これにひきかえ、部分麻酔は、当日は横になって寝ていれば、叫んだりすることはありませんでしたね。


翌日歩行開始でしたが、これは若干、全身麻酔のほうがつらかったです。
でも、なんとか、午後には歩行でき、赤ちゃんとの対面もできました。

さらに翌日から母子同室でしたが、このあたりから、全身麻酔での今回のほうが楽、だと感じ始めました。
だるさが違う、というのでしょうか。

結局抜糸したらものすごく体のほうも軽くなり、術後8日目で退院してしまいました。

その後も部分麻酔の1人目のときは、産後1ヶ月くらいまで、ずっとパジャマを着ていたし、外になんて出るのはもってのほか、って思ってましたが、、

身麻酔の2人目は退院後すぐ、買い物に出歩いたりしています。

全身麻酔で産むのは、産声も聞こえないし、すぐに顔も見られないし、いやだ、と思ってましたが、術後の回復がこんなに早いのなら、全身麻酔でよかった!と本当に思います。

もちろん、個人差もあるし、季節の違いも大きいのかもしれませんが、今回思ったより、楽だったというのが本音です。

 

また、全然話は変わりますが、空梅雨であついあつい、6月の出産。

汗だらけで、パジャマは毎日のように取り替え、結局、病院のクリーニングサービスが思いのほか安くあったのを発見して、ほぼ毎日着替えをし、洗面台で髪を洗ったり、足だけシャワーをかけるなどして、乗り切りました。

1人目のときはよく分からなくて、抜糸が終わるまで、シャワー禁止、というのを守ってましたが、今回は患部だけぬらさないように、シャワー使いました。
本当に、暑い季節は帝王切開、きついですね。

私は術後のせいか、クーラーがつらくて、大変でした。

同室の産婦さんがみんな暑がりなので、困りました。
カーディガンをはおったところで、なんだか、だるくてつらくなりますよね。
いまもそうなのですが、後遺症なのかな??
 


予定日の一週前の検診で、「軟産道強靭の為、予定日前後に入院して薬による治療をしてみましょう。

うまく陣痛が付けばそのまま出産ですよ」と言われました。
確かにいつまでたっても子供が下がらなく、上のほうから丸くプックリしたお腹をしてました。
日にちなどもどんどん決まりいよいよ入院しました。(予定日5日過ぎ)


その日はお昼から薬を飲み始め、4回くらい飲んだ時からお腹が痛くなり始めてました。
5回目の薬の後トイレに行きたくなり、しゃがんだ途端にバシャ―と水が出ました。
水というよりかなりの血が混じっていたし、内診の後なので出血したのかな?とのんきに思ってました。
6回目の薬のときに看護婦さんに「あの、出血したみたいなんですけど・・・」と聞くと「内診の後だからね。ナプキン当てておいてね」と言われ、やっぱりそうなのかとまだのんきに思ってました。
その後もトイレに行くと出血。

気になってやっとナースステーションに行くと検査の結果破水。
微弱でも陣痛があったのでLDRに移り、時間を計るように言われました。
結局1時過ぎても不規則で弱い陣痛だった為そのまま朝まで痛みの合間にウトウトしてました。

次の日「破水から12時間経ってるのに陣痛がつかないから、点滴に切り替えますね」と言われいよいよ本格的な陣痛の開始です。
婦長さんが入ってくるたびに点滴のスピードを上げていきますし、陣痛も強くなってきました。
勉強の為、学生さんが二人付いていたのですが、スタートして1時間くらいすると二人が落ち着かなくなり婦長さんが来て、先生を呼び出しました。(何事?)
痛みと前日の寝不足のせいでボーっとしていた私には胎児の心拍が途切れている事すら気がつかなかったんです。
子宮口は5センチ開いていたけど、陣痛のたびに胎児心拍が落ち危険だと判断されて緊急帝王切開の準備が始まりました。

 

点滴もすぐに張り止めに交換されて、旦那に連絡。

来てから手術となったのに旦那がちっとも来ない!!(連絡は11時半、1時間以上待ってた)
結局自分で同意書にサインをしてそのまま手術室へ。(後から聞くと看護婦さんに別の人と間違われてもう手術してるといわれて椅子に座って待っていたそうです)

手術室に行く時に「開産します。お腹を押す感覚はあるけど大丈夫よ」と言われて、お腹は切るけど下から出すんだと思ってました。
ストレッチャ―で運ばれてそのまま手術室に入るのかと思っていたら、ベルトコンベアの上に乗るように言われて、そこから専用のストレッチャ―に乗り手術部屋へ。

そのまま床に固定されて両脇から腕を乗せる台が取り付けられました。(え?このまま狭い台で手術?)
音楽がかかっていたのですがCDの音が飛んでる!?桑田佳祐の波乗りジョニーだったけど、飛びまくって何の音楽かわからないほど。

こっちは緊張してるのにスタッフの人たちは「機械がおかしいのかしら」と笑ってました。


そこからは半身麻酔の為、意識はあったので会話が丸聞こえの中「よろしくお願いします」と先生の声で始まったようです。
始まって5分くらいするとお腹が押されて何かが引っ張り出される感触、「男の子ですよ」と声をかけられました。

「ふにゃぁああ」と猫みたいな鳴き声。
手を触るとしっかりと握りかえしてきました。

臍の緒が3回首に巻き付いていたせいか首のところが赤くなってました。「これが原因で下りれなかったんだろうな」と先生の言葉。
13時50分頃、付き添ってくれていた学生さんが赤ちゃんを連れて行くときに「先生、時間は?」と聞くと、(たぶん縫合中だったと思う)「えーっと、31分でいいや、フフフ」
私は区切りのいい30分にしてくれればいいのにと思ってましたが、このときの含み笑いの意味は赤ちゃんが同室になったときに判明。

ベビーベッドのデータ表に平成13年10月10日、13時31分誕生と書いてあったんです。

その後は病室に戻り麻酔のせいか異様なまでの寒気、酸素マスクのせいで喉はカラカラ。
近くにいた旦那が「お疲れ様」と言ってくれてるのに「眠い!」と一言だけ言うと寝てしまいました。

2時間くらいして目が覚めると旦那や妹とおしゃべり。

このときは痛みも無く元気だったのに夜中にお腹がすごく痛くなりナースコール、注射で眠らせてくれました。

 

次の日、看護婦さんが来て体を拭いてくれました。

そのときによろけたのか私のお腹にとんっと手をついたんです。

痛みのあまり声は出ないし涙ばかりボロボロ。「ごめんね。ちょっと待っててね」と慌てて座薬を持ってきて入れてくれました。
その日からは麻酔の後遺症なのか頭痛に悩まされました。とにかく起きてると痛い。
トイレに行くのに歩くだけで痛みでフラフラ。この痛みは退院してもありました。
3日目に抜糸、母子同室になり赤ちゃんの世話をしながら頭痛と闘ってました。
食事も3日目のお昼から重湯に始まり徐々に普通食に。(これが一番うれしかった)
歩き出したせいなのか足の付け根とお腹に内出血のようなアザ。

先生に聞いてもわからないと言われました。

退院の一日前にステープラーの抜こう、体が前かがみにならなくても歩けるようになりました。

1ヶ月検診で子供は1500グラム体重が増えていてビックリ。
私は「傷がきれいだからすぐに作っても大丈夫よ」と言われまたビックリ。
傷は横切開の跡1本だけで、3年近く経つ今では殆どわからないくらいにきれいになりました。

10日間の入院と手術費で31万くらいでした。

 


出産当日・・・朝、破水をしたため、病院へ行き破水が確認されたため
そのまま入院し、点滴をしその中に陣痛促進剤を混ぜた。
私の場合なかなか点滴のための血管が確保されず13回くらいさされた。
その間に看護婦さんが6人ほど変わって挑戦したが、うまくいかず結局手の甲で点滴確保をした。

八時間くらい陣痛に耐えて、間隔が4分くらいになる。


おなかに胎児の心拍数を測る機械をつけていたが、一回心拍数が落ちたことを確認した医師たちが胎児切迫仮死として、緊急帝王切開に切り替えるといわれる。
準備ができ次第帝王切開を行うと言われた。
でも、一回胎児の心拍数が落ちただけなのに帝王切開に切り替える必要があったのかわかりません。


その後夕方に帝王切開を実施する。
全裸にされ陣痛の起こっていないときに体育座り横になった状態で腰に麻酔を注射する。

麻酔が効いているかを確認したうえで、開始する。
30
分くらいで手術が終わり、安静にするために担架で安静室(?)に移され、足に空気でできたマッサージ器みたいなものを取り付ける。
(血栓予防と言っていた。)その後病室にすぐ赤ちゃんを連れてきてくれ対面させてくれた。

手術が終わって1時間後、三時間後、五時間後に看護婦さんが来て脈を取ったり体温を測ったりした後、ベットで寝ている私の傷の上に両手を当て、全体重で10回くらい押す。

(人工呼吸をする要領で)かなりの激痛だった。

どうしてそんなことをやるのかと効くと、おなかの中の悪露を取り除くためだといわれる。

あまりにも耐え切れず、三回目のときに筋肉注射をしてからやってもらうが、ぜんぜん効かなかった。
でも、悪露を出すために傷口の上を押すなんていることをいまだかつて聞いたことがないのでかなり、疑問です。
その夜は一晩中傷の痛みで眠れませんでした。

・出産後一日目・・・昼過ぎに尿の管をぬき、自分の入院する病室に行くといって子宮の収縮を促すためと、自分の足で歩いて病室まで行く。
昼食に流動食が出される。
夕食に五分粥が出され、自分のベットで食べるが、傷が痛く余り食欲が出ない。
起きたりねっころがったりすると傷が痛むため、動くのも一苦労だった。
トイレは自分で歩いていく。用を足すときもかなり傷が痛んだ。
・出産後二日目(入院3日目)・・・朝食全粥、昼過ぎ点滴を終了する。
11時に回診に来て傷口を消毒してくれる。昼から常食になる。
おっぱいのマッサージの説明会に参加する。

子供と、別室だったためスタッフが部屋まで連れてきてくれ、30分くらい二人っきりの時間が設けられていた。
・出産後三日目(入院4日目)・・・今日よりシャワーを許可される。
傷口の上に防水用のバンドエードの大きいのを貼ってもらいそもまま入る。
11時回診。同様に傷口の消毒+子宮の収縮具合を上から押して確認する。
授乳練習の教室+赤ちゃんの世話についての教室に参加する。
・出産四日目(入院5日目)・・・11時回診 授乳開始10:00 13:00 16:00 
(授乳室)19:00 22:00(各自の部屋)で行う。
この日から子供が19:00から22:00まで母子同室となる。
・出産五日目(入院6日目)・・・前日と同様。

この日から頭痛に悩まされるようになる。

お医者さんや看護婦さんに聞くと、麻酔の副作用によって起こるといわれる。
脳圧が変化したためらしい。
看護婦さんの見回りのときに薬をもらうが、私の場合ぜんぜん効かなかった。
相変わらずお腹も寝起きに痛みがある。
退院のための血圧、体重測定をする。

13時退院診察 抜鉤 お腹を止めてある金具(ホッチキスの針の大きいもの)を取り除く。抜くときにすこし、痛みがある。
内診をする。頭痛がひどく授乳を休ませてもらいベットで横になる。
(どんな格好をしても痛みは引かなかった。)
・出産六日目(入院7日目)退院 少し痛みにもなれやっと動くのも少し楽になるが、
頭痛がよくならず退院時に少し多めに薬をもらって帰る。
私の場合、その後10日弱頭痛がよくならず薬を飲みながら家で療養していました。


退院時に悪露を促すための子宮収縮剤を出されそれを服用するが、悪露があまり出ない。

そのため心配になり一ヶ月検診で診察してもらったら、子宮と膣の入口に膜が残っていてふたをしているため出ないのだといわれ、それを切るために膣を機械で固定され細いものから順番にだんだん太くなる棒のようなステンレスの機械で子宮の中をほじくられた。
しかも麻酔なしで(たとえるならば、子宮ガン検診の何か子宮の中の細胞をとる検査の10倍位違和感痛みがともなった。)

子宮腔を固定する機械を取り付けるときにも痛みを伴った。
子供も一緒に連れてきていたのですぐに自分で運転して帰れなかったので
しばらく病院のベットで安静にしていた。

私の経験した一部始終です。今でもいろいろな点で疑問があります。
医学に知識のある人に聞いたところあまりにもおかしなところが多すぎるとのことでした。
そして、この病院は検診のときに担当の医師がいません。

連続して同じ先生に当たったことが一回もありません。毎回異なる先生が診察をするのです。
病院側は多くの先生に診察をすることによって、医療ミスを防ぐといっていますが、逆にいろいろな話を耳にする限り、そのシステムが逆に医療ミスを引き起こしているとの話も聞きます。


普通分娩の人は設備も整っていていいとは思いますが、帝王切開の決定している人やそうなる可能性のある人はやめてほしい病院です。
私のようなことになる可能性がありますので、注意したほうがいいと思います。
病院紹介のところにのっていますので、病院名を知りたい人はそこをみてください。
 


予定日の一週間前から、弱い陣痛らしきものが夜中にきては朝に引いていくということが続きました。
しかし検診では、子宮口が、全然開いていないということでした。
予定日過ぎて5日目、検診でNSTをつけたところ、子供の心拍が時々低下しているとのことでした。
まさか自分が帝王切開になるなんて夢にも思ってなかったので、まぁ大丈夫だろうなんて、気楽に考えていました。
しかし、先生の表情は険しく、入院して様子をみようと言われました。
入院して、昼過ぎから陣痛がきました。
すると、子供の心拍がどんどんさがり、1922分、帝王切開での出産となりました。

手術が決まってからは、ほんとにあれよあれよという間に剃毛、点滴をつけ、
手術台へ。
私は、去年まで外科で看護婦をしてたので、どんな風に準備するのかをよく知ってたので意外と冷静にしていました。
(夫の言わせれば、とても不安そうな顔だったよと言われますが)
肩に筋肉注射で麻酔を打たれ、痛ーーーいと思った瞬間記憶が無くなり、
気が付くと病室にいました。
でも、なかなかすっきりと麻酔がさめず、意味不明なことを言ってばかりの私に、
家族全員このままだったらどうしようと真剣に思ったそうです(笑)

手術後、痛みが強くさらに腰痛がひどくダブルの痛みで苦しみました。
でも子宮収縮の妨げになるからとなかなか痛み止めを使ってもらえず、
つらかったです。
しかし、3日目には楽になりました。
私としては、傷の痛みより腰痛のほうがつらく、傷の痛みを我慢しつつ、よく歩いて
いたのを覚えています。

出産後、母乳も出ず、母親として失格かもしれないと落ち込み泣いたことも
ありますが、乳首マッサージを毎日毎日やり、子供に吸ってもらっているうち、
一ヶ月くらいからよく出るようになったと思います。
こどもは、みるみる大きくなり、今は、2ヵ月半で7キロもあります。

傷を見るたび、普通に産めなかったことを残念に思うこともありますが、こんなに大
きくかわいく育ってくれている子供の寝顔をみて、どういう形にしろ無事生まれてくれてありがとうという気持ちになります。
でも、ぜひつぎは、経膣分娩にチャレンジしたいなと思っています。
 


[予定日の2日前]
お昼12時頃 お買い物の帰りに破水(高位破水)、しばらくすると陣痛が。

子宮口は開いてないものの、破水してるし、陣痛間隔が短いため、夜入院。
この日から感染防止のためお薬を飲む。
数分間隔の陣痛の痛みで一晩ほとんど眠れず翌日に
[予定日の1日前]
羊水もたっぷりあるし、お産は体力ということで
睡眠をとって体を休めるため、安定剤をもらい一時帰宅。
午前中2時間ぐらいは寝たけれど、基本的に痛いのでそんなに眠れず
夕方、再度入院。
子宮口はあんまり開いてないため、メトロ(バルーン)挿入。
メトロのせいか、陣痛も激しくなり、一睡もできず翌朝に。
[予定日(出産当日)]
一晩のたうちまわったわりに赤ちゃんもあまり降りてこないし子宮口は4cmまでしか開かず。

朝から陣痛促進剤を点滴。

もういちどブチっと人工的に破水させられたような気がします。。
10:20陣痛の痛みに意識朦朧となっているころ赤ちゃんの心音が低下してNSTのアラームが。
即緊急帝王切開になり一時間後無事3110gの男子が誕生しました。

そういえば、私もパジャマを脱がされたので全裸でしたが、疲労困憊してたのと緊張であまり気になりませんでした。
腰の麻酔だったので、取り出したのもわかるはずだったのですが、緊張からか、手術途中から猛烈に痛かったからか、息子の泣き声も聞いた覚えがありません。
痛みに耐えている私を励ますために看護婦さんが息子を胸の上に乗せてくれたのですが、眼が悪いためはっきりと見えませんでした。
とても嬉しかったのですが、とにかく痛くて痛くて早く縫ってぇという感じでした。
手術後部屋に帰った後は、ぶるぶると震えが来てとても寒かったです。
一眠りして目を覚ましたときは、痛み止めが効いていたせいか、どこも痛くなく晴れ渡った空のような爽快な気持ちでした。

一生忘れないと思います。
無事生まれた喜びと睡眠不足でハイになってただけかもしれませんが、当日はベッドの上で携帯で友達にメール打ちまくってました(^^;

術後2,3日は軽い頭痛と軽い発熱やのどの渇きがありましたが、術後5日で抜糸、7日で無事退院しました。
費用は術前も併せて10日の入院で 48万程度でした。


予定日10日位まえまで順調で、体重増加も6kgにおさえ助産婦さんからも安産を保証されていました。
いつもの通り検診に行き、NSTをとるとお腹が張るのに反応して胎児の心拍が極度に落ちることが判明。
もともと頻繁に張っていたので気にしなかったんですが、そのまま即入院して検査になった。
(今から思えば張り位..と思わず病院に行ってればよかったかも)

結局陣痛に胎児が耐えられないと判断、翌日の帝切になる。
当日もNSTをとると胎児の様子がよくなく、時間を繰り上げて緊急オペとなる。
母子手帳には胎児切迫仮死と書かれていた。
2640
gと39週にしては少々小ぶりだったが元気な女の子でした。

腰椎の麻酔も緊張の為痛みをほとんど感じず。
全身麻酔をかけると、麻酔から覚める時に過呼吸になって苦しくなるのはわかっていたので、(過去に経験済み)最後まで全麻はかけず。
にもかかわらず極度の緊張から過呼吸になってしまった。
落ち着く為に深呼吸ばかりして気がついたら苦しくなっていた。

一番苦しかったのはその日の夜の子宮収縮の痛み。
あぶら汗をかいて一晩中苦しんでいた。
痛み止めの薬も効かず。

2
日目 どう尿の管を外し、初めて授乳。傷の痛みはさほどではなく、結構ウロウロしていた。ただ体がだるかった。
4
日目 激しい頭痛。麻酔の副作用?なのか授乳の為に頭を下げるのもつらく、2日位痛かった。
7
日目 術後初めてのシャワー
10
日目 退院
退院後は順調だったが、産後3ヶ月位の時に、急に激しい腹痛と発熱で夜間の救急にかかる。
結局術後の癒着が原因らしく、その後も時々ひっつれるような痛みがある。