47.巨大児

私は今年の4月に帝王切開で出産しました。

私の場合は予定日を8日過ぎた時にまだ陣痛もなく生まれる気配がなかった為入院となり、陣痛促進剤の点滴と子宮口をやわらかくする薬を飲み、その日はそれらの処置だけで、点滴が終わると次第に陣痛も落ち着きゆっくり寝てしまったほどです。

 

2日目は子宮口の開き具合を確認したところ、まだ1~2センチといった感じで、とても生まれる気配は無いのでバルーンを入れることになりました。
私はそういう処置についてあまり勉強していなかったので、なんの気なしに処置台にあがったら、あまりの痛さにびっくりぎょうてんで

やっと終わったと思って安心したら、「あっ、風船出ちゃった!ということで、もう1度やりなおし」と言われ「はぁ~?」と半分怒りながら、またその痛みに絶えていました。


やっとその処置がおわりその日はそれだけで様子を見ていたのですが、微弱陣痛だけがある状態でやはり出産とはいきませんでした。
3日目やっと強い陣痛がくるようになり、自分では「今日あたり産まれるんじゃないのぉ」と期待大だったのですが、
この日もダメで、4日目をむかえてしまいました。


4日目ともなると2日前からの陣痛とそれによる睡眠不足、あとからきた人がどんどん先に出産していくプレッシャーで、肉体的にも精神的にも
ほぼ限界という感じでした。
この日も検診で「まだあと何日かかかりそうだね」と言われ、このときは前日からの強い陣痛で意識ももうろうとしていたこともあり、「先生切ってください」とついに言ってしまいました。


この日で実に、予定日から12日が経っていました。
決まったら早いもんで、その日の午後に帝王切開となりました。


導尿やらの処置があれよあれよと進み、気づけば手術台にいました。

私は部分麻酔で腰に点滴のようなものを打たれたのですが陣痛の痛みで針を刺す痛みは感じなく、それどころか「これを打てば陣痛の痛みがなくなるよ」といわれたので「早く!」と、思わず叫びたくなるほどでした。

 

手術前に強い痛み止めを打って、途中で麻酔に切り替えると麻酔師の説明があり「痛み止めなんかで切るのかよ?」と思ったのですが、それをしたら下半身の感覚が鈍くなっていよいよオペ開始となりました。

手術中はなにやら押される感じや、中をぐるぐる触られている感じがあり、ほどなく赤ちゃんが出てきました。

その瞬間麻酔に切り替わり、手術中はまったく傷みはなく、赤ちゃんの産声もしっかり聞くことができました。

 

傷口も縫い終わりベッドを移るとき、助産婦さんたちが「ガーゼが足りない」と騒いでいるのが、意識がはっきりしていた私に聞こえてきて「え?」っと思っていたのですが、ひとりの看護婦さんが「さっきのビニールに入れたはず」と言ったのでそのまま病室に移されました。
病室でしばらく寝ていたらしく、目がさめると先生がいらして

「いやぁ~、切って正解だったね。

4000g超えのベビーで、身長56センチ、頭囲36.5センチだったよ。

これじゃ出てこないのもわかるよ。

赤ちゃんも苦しかったんだろうね、

実際羊水も少なくなってたしにごってたからね。

これも母親のカンなのかね。」と言っていました。

 

私はすかさず「ガーゼあったんですか」とそっちのほうも気になって聞いてしまいました。
退院して知り合いの助産婦さんに聞いたところ「その大きさでまして羊水が少なかったら逆に普通に出産してたら危険だったわよ」といわれました。


いっぽう赤ちゃんのほうは、生まれてすぐ自然気胸をおこしNICUのある病院だったのでそのまま運ばれました。

その時の点滴がもれて手の甲にケガを負ったためひと月の入院となり、結局私は11日間で先に退院して、その後は毎日自分で車を運転して母乳を届けることとなりました。
結果的には巨大児でなかなか降りてこないことでの帝王切開ということになりましたが、私も胸のうちでは

「あの時帝王切開を選んだ私はただの弱虫ではないか」と考えたり、術前の4日間ずっと付き添っていた主人にも立会いを希望していただけに申し訳なく思ったりしていたのですが、


「あれだけ陣痛に耐えてがんばっていたんだし、本当にあのままあと2~3日がんばってて自然に産んで、

もし何かあったらと思うと、切って良かったと俺もおもうよ」と主人に言われました。
ちなみに主人は4600gで生まれているので、次の子もおそらく大きくうまれると思うから覚悟するようにと先生に言われました。

 


 

私は長男・次男とも帝王切開で今回(たぶん女の子)も帝王切開の予定です。
長男の時は予定日の時点で3000g超えていたのに「42週までは陣痛を待ちましょう」と担当医に言われ、

結局42週過ぎても陣痛はなく、陣痛促進剤の錠剤も子宮を柔らかくする薬も効かず、点滴でやっと陣痛が来たのですが、

1分間隔になっても子宮口が開いても、肝心の子供が降りてこない!!普通分娩にこだわっていた担当医に「しょうがないなぁ・・・切る?」と言われ、陣痛は痛いし、何でもいいから早くして!!ってなわけで帝王切開に。

 

結局 4340gもある巨大児(そう言われた)で、頭囲37cm、婦長さんに「そりゃ降りて来ぇへんわ」と言われました。
出産後、酸素マスクをつけて意識もモウロウとしている時に主人がやってきて「結局切ったん?マヌケぇ~(笑)」と笑われました()

後日主人に猛抗議したら「だって切って出すだけやん・・・」と言われ(怒怒) 怒鳴りつけてやったら反省してました。

周りの帝王切開に対する偏見は相当なもので、実母にも「いくら子供が大きいからって帝王切開したなんて恥ずかしい。

動けへんから子供が大きくなるのよ。次は絶対普通分娩しなさい」と言われました。

9ヶ月まで仕事してたのに・・・。

 

義姉には「帝王切開で産まれた子って感情がないらしいよ」って・・・何よ!!

めっちゃ愛想もいいし、あんたの子の方が無愛想で無感情やんか!!くそぉっ絶対次は意地でも普通分娩してやる!!と思っていたのに長男1歳になったとたんに次男を妊娠。


先生に普通分娩を強く希望したのですが、2年経っていないのと、癒着があるのと、なにより長男が大きかったので「子宮破裂するかも知れないぞ」と半分脅され、予定日より2週間前に帝王切開しました。

骨髄麻酔があんなに痛いとは・・・。

長男の時は陣痛で麻痺してたんでしょうか?

全然痛くなかったので油断していたら、針が骨と骨の間をキシキシと通って激痛なんてもんじゃなかったです。
しかも注入された液が骨を押しのけてジワ~っと広がっていく感触も痛くて、ウソぉーって感じでした。

 

術後、全身麻酔が切れた時も、足のしびれと後腹の痛み、39℃の高熱で苦しみました。
看護婦さんに痛み止めを勧められたんですが、普通分娩へのコンプレックスがあり《陣痛が無いねんから我慢せなアカン》と痛み止めを断り続け、看護婦さんに「熱もあるのに、そんな我慢なんて必要ありません!!」と叱られて坐薬を入れられました。

あぁ我慢しなくてもいいのかと思ったのと同時に痛みがすーっと消えて行き、やっと眠ることができました。

本当に無駄な努力をしたらしく、ストレス性耳下腺炎になり1週間息子に会えませんでした(ToT)

2週間も早く生まれたのに3456gと大きく、先生にも「切って正解やで」(?)と言われました。

旦那は長男の時の言葉を反省したようで「お疲れさん」と言ってくれましたが、今度は実の妹に「せっかく女に生まれてきたのに、1度も産道を使わずに手術で出すって、女として悲しくない?」と聞かれ、何も言えませんでした。

すごく悔しくて、そんなに普通分娩が偉いのか?と思いました。

あれから約8年、次に赤ちゃんを抱くのは孫かなぁ~なんて思っていたら第3子の妊娠。
今度こそ普通分娩で産みたいと思いました。

上の子達を出産した病院に、その時の担当医がいたので普通分娩の相談してみましたが、年齢的に子宮が劣化したゴムみたいに伸びにくくなっているし、2回同じ場所を切っているし、癒着もあるし、上の子2人が大きいので、絶対に子宮がもたないと言われました。

 

先生の先輩が自然分娩を推奨しているので相談してもいいが、絶対その先生でも切ると思うとのこと。
納得できないなら他の病院の先生に相談してもいい。それで自然分娩させてくれる病院があったら逆に紹介してほしいと言われました。

「危険を冒してまで何故そこまで普通分娩にこだわるねん?」と聞かれ、何でも言いたいことを話できる先生だったので、実妹のこと、実母のこと説明しました。


先生曰く「そんなん気にするな。帝王切開は立派な出産や。そんなしょうもないことで子供やお母さんが死んでしまってらどうするねん?ほっとけほっとけ。」でした。
そうやん!大事なのは子供が無事生まれてくることやん!

肩の荷が下りたような気持ちでした。
実母達は相変わらず私のことを《普通分娩できない可哀想な子》と思っているようですが、今は勝手に思っとけ!って感じです。

しかも今回は待望の女の子らしいので本当に楽しみ♪無事に元気な赤ちゃんを産みたいです。

  

~3人目の出産のこと~

我が家は息子2人で終了やなぁ…と思っていたのに、なんと8年振りに妊娠しちゃった♪
今まで帝王切開に対する偏見から、散々な思いをしてきたので、今回はどうしても経膣分娩で産みたかった!!
でも…上の子2人とも帝王切開していること、2人とも大きな赤ちゃんだったこと、
そして年齢的なこと…いろんな理由が重なって、経膣分娩は絶対にダメ!!と言われた。
案の定、母親&妹は普通分娩させてくれる病院を探す!!と言い出す始末。
全てのリスクを説明しても納得する様子はなかった。
悔しくて悔しくて…
でも、たまたま見つけた《くもといっしょに》のおかげで、その中でよく見かけるベルさんのサイト《あかいふうせん》のおかげで本当に吹っ切ることができました。
本当に感謝しています。

22週頃に女の子だと判明した時は、めちゃめちゃ嬉しくて家族みんなで大喜び♪
やたらとお腹は張るものの、なんとか37週まで乗り切り、9月3日の手術を迎えることとなりました。
手術前日に入院し、その日のうちに剃毛。昔はお腹から局部まで全部剃ったけど、今回は局部の上の方とお腹全体のみ。
夕方に麻酔科の先生が腰椎麻酔の説明に来られ、硬膜外麻酔の要望をしていたので、腰椎麻酔と併用という条件で了解してもらいました。

夜9時から絶食、夜中12時から絶飲食。
手術当日、先生の内診があり、浣腸。
昼前に手術用の点滴を打ち、昼過ぎに導尿。
午後1時から手術の予定でしたが、緊急オペが入ってしまい、午後2時からの執刀となりました。

手術室に入ったとたん、得も知れぬ不安と恐怖が急に襲い掛かり、涙が止まらず、声無き号泣状態に陥りました。
まず硬膜外麻酔用の麻酔、そして硬膜外麻酔のチューブを挿入、チューブを固定してから腰椎麻酔を行ないました。
麻酔の効き具合を確認した後、執刀開始。息子達の時よりも時間が経過するのが遅かった。
午後2時47分、待望の長女が誕生。
麻酔科の先生が固定された両手のうち、左手だけを自由にしてくれたので、産まれたばかりの我が子に触れることができました。

卵管結紮もお願いしていたので、そのまま卵管結紮術に移行。
私の場合は金属の金具で結紮したそうです。
息子達の時は出産後すぐに意識が飛んでしまい、気がついたら病室のベッドの上だったのですが、今回は全く意識が飛ぶ気配も無く、体力的にも精神的にもクタクタだった私には結構苦痛でした。

手術終了後、血栓症防止のためのマッサージ機のようなものを両足に装着され、病室に戻りました。
ある一定のリズムで圧縮と減圧を繰り返し、麻酔が切れ始めた時のしびれた感覚が短い時間で終わったような気がします。
硬膜外麻酔の威力は絶大で、傷の痛みが全くありませんでした。
後陣痛も少し我慢すればいいほどの軽いものになり、1度も痛み止めを使用することはありませんでした。
逆にチューブを抜いた後の方が、傷も後陣痛もキツかったくらいです。

手術の翌日には尿管をはずし、トイレに行くようになりました。
これも血栓症の予防の1つなのだそうです。
手術の翌日から看護婦さんが娘を部屋に連れて来てくれて、授乳開始。
術後4日目に母子同室。
術後10日目に抜糸。翌日無事退院することができました。
今回の出産費用 約31万+卵管結紮 約5万円 計36万円でした。