26.羊水過少

娘を産んだ後この掲示板にたどり着き、同じような体験をした皆さんと情報交換できたら、参考になればとおもいます。 

私は08・1月に娘を出産しました。

妊娠経過も問題なく34週で実家に里帰りしました。
予定日が年末年始だったので、せっかくならクリスマスに産みたいなと思い念じてみましたが・・・


生まれる気配は全くなく、赤ちゃんに任せようと。

年明けに旦那が来てくれいつでも産まれていいのに・・・気配なく。
どうしても旦那の居るときに産みたいと予定日2日後年明けに産院へ。


エコーの結果羊水が少なくなっているから早めに産んだほうがよいとのことで、翌日入院することに。

入院し促進剤を点滴し、陣痛もこないし、今日は練習みたいなもので週明けから本格的にしましょう。

明日は子宮口を柔らかくする薬を使い、旦那さんと外出してきていいと言われ、2人最後にボウリングにでも行く~なんて冗談を言ってたとこで、心音が取れなくなり、私は機械の位置がずれたのかな?と思っていたところ看護師さんたちが慌て始め、酸素マスクしたり・・・4分後には心音は回復しましたが・・・


主治医の先生も隣のオペ中から駆けつけ、羊水が少ないから陣痛のたびに心音が下がる可能性があるということで、手術にしましょうといわれました。
まさか自分が手術なんて~自然分娩で、旦那立会いで、カンガルーケアしてといろいろ思い描いて、それでLDRのある産院に決めたのに・・・
自分が産科のナースしてたこともあり、出産には自分なりのこだわりがあっただけに・・・
正直ショックで、大泣きしました。

 

でも看護師さんに今日が赤ちゃんの誕生日だよ。

もうすぐ赤ちゃんに会えるよと励まされ、ちょっと落ち着いた気がしました。


手術が決まって1時間後には手術室に入りました。
赤ちゃんに会える嬉しさと手術に対する緊張と・・今までに経験したことのない気分でした。
手術開始8分後に娘誕生・・・

性別を聞いてなかったので、より感動しましたが、正直自分で産んだの?と実感がわかなかったです。
自然分娩なら達成感があり感動するんだろうなと。

抱くこともできないし、カンガルーケアも、旦那と喜びを分かち合うこともできないし、でも先生に羊水がほとんどなかったと言われ、ホントに無事に元気に産まれてきてくれたことに感謝してます。


羊水の少なくなった原因は分からないと言われました。
しかし手術当日の夜は痛くてほとんど寝れなかったし、ガスが出るまで水も飲めず、ほんとに辛かったです。

授乳もお腹の傷が痛く満足にできず。


今回の手術は娘の命のためには止む得なかったことですが・・・
一度でいいから自然分娩をしたいという気持ちがあります。
リスクも十分分かっているつもりです。産まれた娘はもうすぐ8ヶ月。
ハイハイもつかまり立ちもマスターしすくすく成長してます。
しばらく2人目は考えていませんが、VBACにむけ、またこちらでいろいろ情報を頂きたいと思っています。  


出産予定日前日まで自然分娩で産めるものだとばかり思っていました。

それまでの診察で毎回経過は順調だと言われていたので。


予定日前日は定期健診の日でした。
陣痛も来ない状態で焦る気持ちもありましたが「でもまあ初産は遅れるって言うし」と思いながら診察。
その日に受けたNSTで赤ちゃんの心拍数が1時間に二度低下している状態が確認されました。
その時はピンと来ていなかったのですが、先生から検査入院を促されて一気に不安で一杯に。


入院四日目でNSTの後にエコーで確認した結果、羊水過少も判明。
羊水が少しずつ減ってきているとは以前から聞いていたのですが、その時診察した先生はそこまで重要視していなかったのでそんなに重大なことだとは思っていなかったんです。(その時は本当に重大な状態ではなかったのかもしれませんが・・・)
心拍数も低下している状態が持続している上に羊水過少ということで、赤ちゃんの事を第一に考えるならば帝王切開を選んだ方が良いと先生から言われました。
その時は頭が真っ白になったし躊躇う気持ちもありましたが、ちゃんが無事に産まれて来る事が一番だとも思っていましたので承諾しました。

腰椎麻酔をうった後、執刀医の先生は私に「麻酔がかかるまでは絶対始めませんから安心して下さいね」と言いました。
その言葉で不安だった気持ちが少しばかり払拭された気がします。
何度も確認されて、私が「もう何も感じません」と告げた後に手術開始。


執刀医の先生の真摯な対応のおかげで、痛みを感じることなく赤ちゃんと無事対面を果たすことが叶いました。
麻酔が完全に効く前に始める先生もいるという話をネット上で読んだこともありましたので私は本当に恵まれていたと思います。
帝王切開で産むなら、そういう信頼できる先生にして貰うと安心できますよね。
手術自体は赤ちゃんが思った以上に大きかったらしく平均時間よりは長くかかりましたが、輸血することもなく無事終了することが出来ました。
予想時間より長かったので待機していた家族は心配になっていたみたいですが・・・。

切った所を縫って貰っている間に執刀医の先生から「羊水が本当に少なくなっていたこと」

「その状態でありながら赤ちゃんは結構大きかったこと」から自然分娩を選んでいたら超難産になっていただろう、帝王切開を選んで正解だったと言われ、自分の取った選択は間違っていなかったのだと思い嬉しくなりました。


今息子が元気に育ってくれているのも、あの時に帝王切開を選んだおかげだと思うと、ほんと出産の種類なんて関係ないんだなと思います。
後陣痛には苦しめられたし傷跡もケロイドになってしまいましたが、これも出産を頑張った勲章なんだと思うことにします。
これから出産を控えている方には、赤ちゃんと自分の体にとって一番良い選択をして欲しいと思います。


当日は出産予定日でたまたま健診の日だったのですが、まだまだ生まれそうな気配はありませんでした。
しかし、エコーの結果、羊水過少のため、即入院となりました。


もともと赤ちゃんが小さいのと、羊水が少ないのは主治医の先生に言われてわかっていたので多少の覚悟はできていました。
赤ちゃんの状態によっては帝王切開もあるかも知れないから、とも聞いていましたが、そのときは漠然と普通分娩できるものだろうと思っていました。

入院後、主治医からの説明で、羊水が少ないと赤ちゃんにはあまりいい環境ではないこと、羊水は急激に増えるものではないので、赤ちゃんが元気で、胎盤が古くならないうちに、なるべく早く外に出して(産んで)あげた方がいいということで、誘発分娩を試みることになりました。
この次点では帝王切開の予定ではありませんでした。

最初は薬剤は使わず、メトロイリーゼ法という、風船みたいなものを子宮頸管に入れ膨らませ、陣痛を誘発させる方法からはじめました。
ところが、開始後2時間も経たないうちに、急に赤ちゃんの心拍数が低下してしまいました。
これ以上陣痛を続けると赤ちゃんが危ないかも、という主治医の判断で緊急帝王切開による出産となりました。

心拍数が下がった瞬間は、そんなに大変なことが起こっているとは気が付いてもいませんでした。
付き添いの助産婦さんがちょうど席を外していたので、私が自分でモニタの心拍数を見ていました。
下腹部に生理痛のような鈍い痛みがあり、これがどんどんもっと痛くなるのかなぁなどと思っていました。
そしたら赤ちゃんの心拍数の数値が急に下がってきたのです。
でも、過去の健診でモニタの固定ベルトがずれてそうなったことがあったので、今回もそうだと思っていました。
『すいませーん、モニタずれちゃったみたいなんですけどー』と結構のんきな声で言ってナースコールしました。
助産婦さんも『はいはい、今直しますねー』って感じで戻ってきました。
でも、ベルトを付け直そうとしたときに、どうも様子が変だと気がついたらしく、慌てた様子で
『○○先生、赤ちゃんの心拍数がおかしいので、すぐ来てくださいっ!』と・・・。


その後は、主治医の先生と5,6人の看護婦さんがわらわらと集まって来て、私にも心電図計つけられるわ、酸素マスクつけられるわ、もう何がなんだかわからない状態。
結局8分位かかって赤ちゃんの心拍数が戻ったところで、すぐ手術しましょうと言われました。
心の準備もなにもするヒマなし。


手術の同意書の手術理由が『羊水過少・胎児仮死』となっていて結構ショックでした。
主治医の先生はサインするときに『今はもう大丈夫だけれど、書類上こういう書き方になってしまうの。びっくりしないでね。』と言ってから見せてくれたのですが。

帝王切開の手術そのものは、所要時間32分で、輸血もせず、あっという間にお母さんになってしまいました。
陣痛も最初の2時間に弱い波があっただけでした。
普通分娩で何時間も陣痛を我慢したママたちには申し訳ないくらいです。
誕生の瞬間は、今までの張り詰めた気持ちから一気に開放され、思わず涙があふれてきてしまいました。

半身麻酔のため、ちゃんと産声も聞けたし、助産婦さんが赤ちゃんを枕元まで運んでお顔を見せてもらいました。
寝たまま抱っこは出来ないので、赤ちゃんに指をにぎってもらいました。

出産時の痛みがなかった反面、後陣痛は辛かったです。
特に麻酔が切れた後、傷の痛みより後陣痛の痛みで眠れず、脂汗をかきながら夜中ベッドでうなっていました。

痛み止めの注射と座薬、両方とも使いました。
ただ、これは個人差があるみたいなので帝王切開だと必ず後陣痛がひどい、というわけではないらしいです。


あと、出産後、赤ちゃんが一時的な過呼吸を起こしていて、念のためということで保育器に入ってしまい、その間は一日2回、保育器越しの面会しかできず、ちょっと辛かったです。
母乳も搾乳して、看護婦さんに渡していました。
しかも、面会に行くと、小さい体に心電図計をつけ、細い手足に点滴やモニタの器械をつけている姿を見るのは痛々しくて、可哀相で・・・。
毎日保育器のガラス越しに、『頑張れ~頑張れ~』と話かけていました。

最初は私の入院中(11日間)に出られるかどうかと言われていたけど、1週間で保育器から出られました。
その後の経過は順調で、10日目には体重も2850グラムまで増えて、他の赤ちゃん並みの重さになってくれました。

そして、11日目母子ともに揃って退院できたのでした。


上の子は予定日超過で41週4日に入院。
子宮口は指一本しか開いておらず、羊水が減ってきているとのこと。


ラミナリアをいれると、いきなり5分間隔の陣痛がくるものの、夜には遠のいてしまう。
何回かNSTをとると、心拍が落ちることがあって「どうなるのかなー」と思いながらうとうと。
翌朝、「心拍落ちるから切りましょう」と言われ夫と母に電話。
「産むしかない」と思っていたから本人が一番冷静だったかも。


子宮を開けたら先生二人が「羊水ない!」と叫んでびっくり!
「あーあぶなかった。元気に生まれてきてくれてありがとう」って涙がでました。
赤ちゃんにはたしか3,4時間してから会えました。
「生まれてきたときのおしりしか見てない」って言ったらあわてて連れてきてくれました。


痛みのコントロールはきちんとしてくれました。
ただ、なぜか全身ものすごくかゆかったです。
あと、おなかがすいても飲み物ちょっとからスタートなのがつらかったです。

1
ヶ月からは完全母乳で娘もすくすく育ち、3歳になる少し前に「どうやって生まれてきたの?」って聞いたら「先生が扉作ってくれた」「で、先生は足持ってた?手を持ってた?」
「足持ってた」と答えるのでびっくり。

帝王切開のことは話したことなかったんです。
幸いにして帝王切開のことをとやかく言う人が回りにまったくいなかったこともあり、
マイナスに感じることはありませんでした。こうしなかったら娘は危なかったわけだし。

~2人目体験談はVBACのページに記載~


予定日の2日前の定期健診でNSTを受け「赤ちゃんが小さいのでお腹が張ると苦しいみたい。

今日入院しましょう」と言われ、一度家に戻って準備をしてから入院となりました。
先生も助産師さんたちもそんなに切迫した雰囲気ではなかったので「入院してどうなるんだろ・・・」などとぼんやり考えつつ再び病院へ向かいました。

病院に着いてまたNSTを延々と受け、助産師さんに何度も「陣痛こない?」と聞かれ段々と不安になって来た頃、「羊水もだいぶ少ないようだし、お腹が張ると少し赤ちゃんの心音が下がってるので陣痛に耐えられないかもしれない」と言われました。
「お薬で陣痛を起こしてみるか、帝王切開になるか少し様子をみて明日決めましょう」とのことでした。
その日の夜は帝王切開のことより、赤ちゃんの心臓が止まっちゃうんじゃないかと気が気でなくほとんど眠れませんでした。

そして翌日、朝からまたNSTをしばらくして先生から「赤ちゃんが無事に生まれることが一番だから帝王切開にしましょう」と言われました。
私自身は帝王切開することについて特に抵抗を感じなかったし、何より赤ちゃんが無事に生まれてくれるなら何でもいい!と思っていました。
そして無事、2056gの小さな赤ちゃんが生まれました。
後で聞いたのですが胎盤自体も普通の人の半分くらいの重さしかなかったそうです。

ここからは私も皆さん同様、人並みに悩みました。
小さく産んでしまってごめんねという気持ち、次のお産も帝王切開になるのかという不安、子供と一緒に退院できない淋しさなどなどいっきに降りかかってきました。
そんなときこのHPにどれだけ助けられたでしょう・・・

一年以上経って自分なりに冷静に分析してみると、30週あたりから赤ちゃんはほとんど育っていなかったように思います。
ちょうどそのころから血圧も上がり、尿蛋白も出たり出なかったりしているので、35歳初産とゆう立場でありながら自己管理がまったくなってなかったのだなと反省しています。
ですから、帝王切開も赤ちゃんが小さかったのも私の責任だと思っています。
でもこれは決して自分を責めているのではなく次のお産の教訓として生かしたいのです。

そう、何を隠そう、私はマル高で3人出産するのが目標なのです。
年齢からして目標というより夢ですね。
ですからもちろんVBACについてもとても知りたい気持ちでいっぱいです。
でも、赤ちゃんも授かりものですし、授かっても出産の状況はどうなるかわかりません。
ただこの経験を生かして次のお産のときには自分にできることはできるだけしよう!と思っています。


出産時は35歳、初めての妊娠・出産でした。
年齢的に不安があったので、NICUのある近くの大学病院で出産することにしました。(日本医科大学附属第二病院)
結果的に、これは幸いでした。。

IUGR
で(これだけなら帝切でなくてもよかったそうです)産休直前から3週間ほど入院(点滴と安静)その後、羊水過小ということで主治医から「どうしても下から(自然分娩で)産みたいですか?」ときかれました。
私は子どもがすこしでもよい状態で生まれてきてほしかったので、帝王切開となりました。

友人や知人にも帝王切開で出産した人が何人かいましたので、自分自身はそれほど不安に思っていなかったのですが、手術や入院の経験のない夫や実父はこちらが慰めなければならないくらい心配な様子でした。
でも、実際には慰めたと言うより、「手術を受ける本人が不安になるような態度はやめてくれ」と怒ってしまった。

また、私が生命保険の手続きの方法を説明した(手術後に自分で手続きするのはたいへんだと思っていたので)ためかもしれません。

私の方は、子どもと会える日が決まったので、指折り楽しみにしていました。
生まれる前に誕生日が決まっているというのも変なものです。
ただ、こどもは出産後同じ棟内のNICUに入ることは決まっていました(推定体重1600g)

手術の前には産婦人科の主治医や麻酔科の医師、手術室担当の看護婦さんがいろいろと説明してくださいました。
出血が多い場合の輸血の承諾書を記入したり、子宮の収縮が悪くて出血が止まらないときは子宮を摘出する可能性もあること、丁寧に説明していただき、こちらの質問にも丁寧にこたえていただけました。
緊急帝切ではなかったので部分麻酔(おかあさんが、出産した実感をもってもらうために意識がある状態で行うためだそうです)でした。


手術室にはいるときに麻酔科の医師に「今でも、楽しみですか?」ときかれ「楽しみでわくわくしています」とこたえてあきれられていました。

「心配」という人が多いのでしょうか。
手術中も麻酔科の医師が、常に注意を払って、「次は引っ張られるような感じがしますよ」と、教えてくれました。(当たり前のことなのかもしれませんが、たいへん助かりました)

点滴につながれた腕の横に、生まれたこどもを連れてきて手を握らせてくれました。
元気に泣いていたのでほっとしました。

子どもはそのまま同じ病院内の小児科(NICU)へ連れて行かれました(1800gを越えました、推定より大きかったじゃないかと喜んで いました)。
(こどもが大きくなっていかなかったのは胎盤が小さかったためですが、なぜ胎盤が小さかったのかは不明でした。喫煙経験もなかったし、家族も非喫煙者でしたから)


手術直後は傷のためか、子宮の収縮のためか(収縮用の点滴を打ているときは痛かっ た。この点滴は痛くなるのだと教えておいてほしかったなあ)下腹部は状態を起こせないほど痛かったです。
あまり食欲もわいていなかったので、食事抜きは堪えなかったのですが、のどは渇き ました。

 

帝切だと入院期間が長くなりますね。

私の場合、退院しても子どものところへ通院して面会したり、授乳をしたりしたので、長めの入院期間はかえってありがたかったです。
入院中にいったん止まった悪露は退院後、子どものところへ毎日2回通ったり、子どもが退院してきたりでまた始まり、2ヶ月過ぎまでだらだら続いていました。

「帝王切開だから××だ。」という言われ方でいやな思いをしたことは思い出せません。
ただ、予防接種の予診票などで「分娩異常(正常分娩=自然分娩?とは違うと思うので)」に相当するところにチェックするので、医師からその内容をきかれます。
「帝王切開です」と答えると、別に問題ありませんねというような反応が返ってきます。
なんとなく、これがわずらわしくて「分娩時に異常がありましたか?」という問いには「はい」に○をつけて、その横に「帝王切開」と記入しています。

 


私の場合、初めての妊娠は12wで流産してしまい、その後のホルモンバランスの乱れを治療するかたわら、早く次の妊娠を望んでいたので、半ば不妊治療のような感じで通院していました。
ちょっと通院に疲れてきた頃、妊娠が判明して大喜び!!
でも、安定期に入るまではほんとナーバスでした。

 

何も問題なく30wまで過ごしていたのに、32wの検診で少し胎児が小さいと診断。
点滴や小児用バファリン服用で大きくしようとしたのですが、その努力も報われず、35wにはむくみ、尿蛋白、高血圧気味の症状…
つまり妊娠中毒症!?
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wには別の病院のエラい先生も来て、臍帯血の流れ具合とやらを検査し、NST30分ほど受けました。
そこで、まだ胎盤機能の低下はなく、心拍や血流は順調であることが確認できたものの、胎児が小さく羊水過少であることも確実であったので、「カイザーですね。」とひとこと。

結局、予定帝王切開で385dに出産しました。

1936gの小さな男の子。
翌日、ベビーだけは市内の総合病院の未熟児室へ転院です。
とにかく傷の痛みやベビーに対する申し訳なさで一杯のところへ、義母の「可哀想に…お母さんと離れちゃって…どうしてるかしら…あぁ、ほんと可哀想にねェ…」には、マジで悲しくなりました。(たぶんこのことは一生のしこりになってしまうと思います。)

 

実両親だけが見舞いに来てる時に、ぶちまけて大泣きしましたよ~!
私だけは6日目に退院。

日常生活なんてとんでもないくらい傷が痛いのに、その病院は帝切でも普通分娩より1日長いだけ。
そしてベビーはほぼ予定通りに体重が増えたので、3w後に無事退院。
今でも体こそ小さいですが、機能の発達はほぼ標準の子と変わりませんし、イタズラも人並みにやってくれます(^_^;

ちなみに傷は横に12cmほどで、ケロイドにもなっちゃってます。
3Mテープは2ヶ月続けたんですがね~。


 

平成12年6月8日が予定日でしたが、6月に入ってからなんとなくお腹が小さく感じ、

臨月に入ると赤ちゃんが下がって小さく感じることもあると聞いていたのでさりとて心配もせず、予定日の8日に検診をうけました。
するとNSTで心音が下がっている場所があり少し心配という結果でした。


検診後、家で掃除をしているとズキッっという痛みとともに、おしるしかと思われる出血があったのでまた病院にいくと、子宮口も硬いし内診の刺激による出血でしょう、明日また来てくださいと言われ、帰されました。


6月9日、
昨日とは違う先生の超音波検査。
羊水が少ないということで院長まででてきて、じっくり超音波検査。
「ほとんど羊水ないね。帝王切開もありうる」と言われ、ハッ???っという感じでした。
いちおう手術の為の心電図をとり、また明日入院の準備をして来てください、と帰されました。


6月10日。
やはり羊水が少ないのと心音が下がったのを考え、誘発分娩しましょうということで、入院に。
まずは子宮口を開くためバルーンを入れました。それが激痛!!
冷や汗だらだらであまりの痛さに失神しそうでした。(いつもその院長の内診は雑で嫌だった)。

その後1時間は陣痛のような痛みはあったものの、不規則のまま次第に落ち着いてしまい、そのまま就寝。ぐっすり眠れました。


6月11日。
朝5時より飲み薬の陣痛促進剤を1錠づつ飲み、8時まで合計3錠飲みましたが、少しも陣痛がつかず8時からは点滴の陣痛促進剤。
その時点で看護婦さんが観察できるよう分娩台に移動しました。
9時陣痛が来はじめ、しかし全然10分間隔の陣痛ではなく、突然3分くらいから始まり最後は1分間隔、しかし子宮口は6センチどまり、赤ちゃんも降りてくる気配なし。ということで午後2時に帝王切開に変更。

麻酔は腰痛麻酔。

しかしその時も陣痛が来ていてなかなか丸くなるのが難しかったです。
麻酔が全部効き始める前に切られては大変と思い、しつこく「まだ感じます」と言ってました。

そして長男誕生。14時46分。2530グラム。


出てきても泣かなかったので大丈夫かと心配していたら、助産婦さんが「元気な男の子です」といって顔のところまで連れてきてくれました。
私の方は、後期から血圧が高いと言われていたので、手術中もとても高く、一時は160くらいまで上がってしまい大変でした。

病室に戻り、家族とご対面。
下半身麻酔がじわじわと切れてくる時、自分の脚が自分の脚でないような本当に変な感覚になり、とても気持ち悪かったです。

触っていないと不安だったので自分で脚どおしを触ってみたり、夫にさすってもらったりしていました。
麻酔が今度全部切れかかると共にお腹に激痛がきたので、夜8時、注射の痛み止めを打ってもらいました。
すると打っている端から夫との会話もろれつが回らなくなるくらいの睡魔に襲われ、そのまま眠りました。
しかし夜中の2時、また痛みで起き、今度は座薬の痛み止めを入れました。
これが効き始めるのに1時間位かかり、痛みでどうしようもなかったです。
 
6月12日(術後1日目)
16時導尿の管を取る。初トイレ。

看護婦さんに支えてもらいながら行くがこれが激痛!!痛さで冷や汗だらだら。

さらにおしっこをするとお腹がものすごく痛い。少しづつ出す。


17時には新生児室に赤ちゃんを見に行く。
周りの赤ちゃんと比べると小さい(2530g)のでこんな小さく産んじゃって、ミルクも飲めないのではと涙が出る。(今思うとこれがマタニティーブルーか?)
6月19日(術後8日目)
午前中抜糸。内診台上でホチキスのようなものを取られた。

これがまたのけぞるほど激痛。看護婦さんに押さえつけられながらやっと終わる。
6月20日(術後9日目)
今日は退院だとルンルンで準備をしていると、出血のようなかんじがしたのでトイレへ。
するとショーツの間からもダーダーと流れるほどの出血。
トイレの緊急ボタンで看護婦さんを呼び、そのまま処置室へ。
子宮の戻りが悪いということでまた子宮収縮の点滴。入院延長となる。
寂しくて涙がでる。


6月21日(術後10日目)
やっと退院。ひさびさの外はなんかグラグラした。

まだ傷をかばっているので車に乗っているのも少しつらい。
夜のお風呂場で壁にかびが生えていたのがとても嫌で一人で悲しくなって泣いてしまう。

今思うと笑ってしまうが、その時はなぜか無性に悲しくなった。

その後はほとんど家で過ごす。1週間おきに私の検診。
悪露は結局3ヶ月続く。
最後は掻爬手術かもと言われたが、止血剤が効き止まる。
時々、夜中脚が麻酔がかかったような、重い変な感じになることが何回かあった。
またおしりのほっぺの部分がしびれているような部位があったが、そのうち治った。(麻酔の後遺症か???)