1.逆子(P.3)

私は7ヶ月から逆子(足位)で予定帝王切開になりました。
病院ではそれほど説明もなく、局部麻酔だから、赤ちゃんが出てくるまではお母さんには起きててもらうからって。
赤ちゃんに会う感動をすごく楽しみにしていた私はこれを聞いて少し救われました。
ところが・・・
お酒が全く飲めないからか とにかく麻酔が私には効きすぎでした。
何分かおきに看護婦さんが麻酔をチューブから入れるんだけど、まだ手術開始まで1時間もあるのにお腹の感覚は全くなく、なぜか足がしびれて痛くてたまらない。なのに麻酔を入れ続ける。
そして手術台まで運ばれて私は目を閉じたまま「あぁー、あぁー」言って痛みに耐えてる時、看護婦さんに「○○さん!どうかしたのっ?」って強い口調で聞かれて足が痛いことを言ったら手術室は「・・・・。」
手術が始まる頃には意識はなくなってました。

気が付いたのは約3時間後で部屋のベットの上。
それから旦那や母に「女の子?」って聞いてる自分が悲しかった。
当日は痛みであんまり考えられなかったのですが、翌日からマタニティーブルーのどん底でした。
私は赤ちゃんが生まれた瞬間を知らない。
しかもその病院は帝王切開の赤ちゃんは保育器に3日間!
さらに私は危ないからって4日目まで部屋から出られない。
それを知ってから余計に、なんで私はあのとき眠ってしまったんだろうってすごく自分を責めて、悔しくて涙・・・。
この苦しみに1ヶ月はどっぷりつかってました。
赤ちゃんに会うことも抱くこともできないことがこんなに辛いなんて。

1
日目(術後24時間)の初トイレの時に看護婦さんが「会いたいでしょ?」って
新生児室の前まで付き添ってくれたときに初めてガラス越しに我が子に会いました。
涙が溢れてきたけど周りの目もあってこらえました。
娘は3日で保育器を出たけど”飲みが悪い”と点滴を入れられていたため新生児室からは出られない。
その次にガラス越しに会ったのは私が部屋を出られるようになった4日目、初めて会って抱いたのは母子同室になった5日目。
そして授乳したものの吸ってくれませんでした。
おっぱいを泣いて嫌がるんです。
2
ヶ月をすぎてやっとおっぱいを吸うようになり少し立ち直りました。

悲しいことのすべてが帝王切開じゃなかったら・・・とずっと落ち込んでいました。
でも、皆さんも帝王切開だったことで思い悩んでるんだとこのホームページで知ってすごく勇気づけられました。
手術後、家族の誰一人として私に「おめでとう」とか「頑張ったね」とか言う人はなく自分たちばっかり赤ちゃんを見に行って・・・。
10
ヶ月育てて産んだのは私なのに!っていう気持ちだった。
帝王切開だから私は頑張ってないと思われてるのかなとか考えてしまいました。
きっと経験者じゃないとわからない痛みなんですね。

皆さんの話を読んだりすると私の病院はあまり術後のケアは良くなかったように思います。
5
日目まで赤ちゃんのお世話をしないので、おっぱいもほったらかしで
3
日目の夜中に張って張って痛くなって、乳は漏れてるし。ナースコールしました。
張ってたら絞らないといけないなんて知らなくって・・・
ちゃんと指導してほしかった。
赤ちゃんも見せてもくれないし。

私の周りに、見下したり、楽でいいねとか言う人はいないけど、帝王切開って身体的な痛みも当然だけど精神的な痛みもかなり辛いのかなって思いました。(私の身体的痛みが軽かったのかもしれませんが)


一度目の妊娠は2ヶ月のときに流産しました。原因はわかりません。
一年後2度目の妊娠。
初期は前回のようになっては、とハラハラしながらすごしましたが、つわりも乗り越えた安定期には、温泉旅行などにも行って仕事もバリバリやってました。
後期に入ってよくおなかが張るという意識はあったのですが、それほど気にすることもなく義母に「安産のためには、よく運動することがいいよ。」といわれ、車で3分ほどの病院へ15分ほどかけて歩いていった日「子宮口が開きかけているから、家で安静に」といわれました。
そのときが33週。
それまでにも家事制限を言われてたんですが、働きつつは無理。
張り止めの薬も出されていたのですが、今から思えばあまりきちんと飲んでませんでした。飲んでもよくならなかったし。
仕事のペースからなかなか抜け出せなくて、産休で家にじっとしていること自体がなんか心苦しく。

いろいろすることを見つけては動き回っていました。
でも、さすがに子宮口が開きかけているという事態にはびっくりで、旦那の実家にころがりこみ、一日中寝かせてもらう日々をすごしたのですが、夕方、布団で横になっていると「ぴきっ」という音がしました。
と同時にすこしお漏らししたような感じ。もしかして・・・。
病院に行くとやはり、破水しているとのこと。まだ34週目。
しかも何度体操をやっても直らなかった逆子。(生まれてわかったのですが頭が大きめでした。)
9ヶ月でまだ小さいし、このまま下から産まれるだけの力はないやろう」という説明をうけ、帝王切開に。
そのときは帝王切開になるショックや心配よりも生まれる子どもは無事なのかということばかりが気がかりでした。
でも、すぐには切らないんですね。
できるだけお母さんのおなかの中にいることがベストなので様子をみながら持たせましょうといわれ、入院。抗生剤の点滴。
2日後には、生理痛のような痛み。これが陣痛?
よくわからなかったけど10分間隔で痛みがきてますというと、看護婦さんもあわてて手術室へ運んでくれました。

麻酔は部分麻酔。おなかが大きいのに丸くなれなんて無理!と思いつつ背中を看護婦さんに押さえつけられながらがんばったけど、動いたらしく一度目は失敗。
再度チャレンジでOK
「これ痛い?」「触っているのわかる?」と聞かれ、「はい。」と言ってるのにもかかわらず、「足上げてごらん」・・・動かない。
OKはじめましょう。」「(えっ・・・まじに)」何もいえないままオペが始まりました。
腹部を切るのも、子宮を切るのも感覚としてわかるだけでなく痛みもありました。
(術後、若手のナースに「痛かったんですけど」と訴えると、助産婦さんがやってきて麻酔をしてても少しは痛いのよと言ってました。

まぁ死ぬほどの痛みではないけどさぁ。ほんとにあれでよかったの?)

生まれた子は、2270g。思っていたよりも体重はあったものの呼吸機能が不完全ですぐにNICUのある別の病院へ送られてしまいました。
「生んだ」という意識はなく、「出してもらった」という意識の出産で、その後10日ほどの入院生活は子どもなしですごく寂しかったし、

指導も子どもなしだから受けれないし。
すごく情けなくて、精神的にまいってしまいました。
ただ、搬送される前にやってきた小児科のドクターが「抱っこしてあげてね」と言って点滴を両腕にされている私の胸元に小さい小さいわが子を置いて(?)くれて「わぁーあったかい」「これがわが子なんだ」という感覚を味わっていたのが唯一の救いでした。(後でこれがカンガルーケアーというものだと知りました。)

痛い搾乳指導も耐えれたし。2,3mlしかでないおっぱいも離れて一人がんばっているこどものためだと思えば、

 

一時間ぐらいかかっても搾るぞ!という感じでした。
幸い、その後の成長は何の障害も残らず、元気に暮らすことができています。
今現在二人目を妊娠中。35週目に入りました。
前の経験があるので流産と早産の危険性はよくわかっているし、その可能性も
ありうるだろうということで今度は総合病院でNICUのあるところを選びました。
できれば次は自然分娩したかったのです。
それは帝王切開がどうとかではなく、自然分娩も経験してみたいという気持ちからでした。
でもそこでは「他院で帝切してる場合は自然分娩をひきうけられません」ということだったのです。
他の病院へ行こうかと迷っているうち、やはり初期に出血。
切迫流産でまた危険な状況になってしまったので、母子ともに安全であることが一番。という考えで今も同じ病院にかかっています。
37
週の816日には予定帝王切開ということで、この前の検診では心電図や肺活量、血液検査などの健康診断を受けてきました。
予定の帝王切開となるとこんなに丁寧に検査があるんだと、驚いています。
(緊急の場合って危険なかたちで切られてるっここと?麻酔で怖い目にあったという方も多いですね。)
今はとにかく予定日までもってくれることを願い、おなかが張ることや負担がかかるようなことを極力避けてすごしています。

~2人目体験談はVBACのページに記載~


帝王切開になった理由は、逆子でした。
8ヶ月頃に、急に逆子になってしまったんです。
それまでは頭位だったのに・・・。
毎日×2、逆子体操を頑張ったんですが、努力は報われませんでした( ; _ q ) 
予定帝王切開だったんですが、最初先生は「陣痛や破水してしまう前に出しましょう。3月下旬がいいかな」って・・・。
でも、既に性別も分かっていたので(男の子でした)
「何とか4月生まれには出来ないものでしょうか??」と頼んでみたところ、
「医学的には3月中に出したいのだけど、社会的なことを考えたら4月だよね。4月2日に出しましょう」
誰よりもお兄さんになる4月2日が誕生日となりました。

4月1日。術前検査の為、入院。検査終了後、剃毛などの処置がありました。
4月2日。午後2時手術開始。腰痛麻酔後、横切りで出産しました。
手術は1時間くらいだったかな?朝から尿管が通されてあったので、丸2日間は動けませんでした。
入院は、14日間。入院費は全部で約27万円でした。
社会保険・生命保険からお金がもらえたので、負担はありませんでした。

出産前に、ここのHPに会えてよかったです。


1.帝王切開といわれてもそれについての情報がほとんどなかった。何をされるのかわからない
2.
おなかは縦切りといわれた。理由はもし子宮ガンになったときには縦に切るから、そのとき横に切ってあると困る、と説明をされた。???
3.
おなかがかゆーーーいのに、おおなかのうぶ毛をそられる時、泡をハケで塗られてじょりじょりされた、すごく不快だった
4.
心電図をとるのに、上向きに寝かされた。とても苦しかった・・・。
5.
外来が終わって夜7時、麻酔をするのに丸くなれ、といわれた。これも苦しい。
 (本麻酔のための皮膚麻酔は普通の注射程度で、たいして痛くなかった。本麻酔も、皮膚麻酔のおかげで痛くなかった)
6.
両手を縛られてびっくりした。また上向きがつらい。執刀の先生、麻酔の先生、ベテランの看護婦さん、若い看護婦さんの4人。
7.
首から下は見えないようにガードされた。卓球のネットみたいなやつで。恐怖最高調。
8.
切り始めてるのがわかる。痛みはないけど、感じる。とーーーっても怖い。縛られた手が外れた。おもわず、手がおなかへ・・・先生が叫ぶ。また縛られる。なるほど、縛られる意味がわかった。
9.
先生は夕飯の話してる。まじめにやってちょ。
10.
うわーーーっと、先生がびっくりする。後で聞いたら、へその緒が首に3重まきになっていたそうだ。体操で直るわけがない。子供を回しながら取り出したらしい。
11.
赤ちゃんの鳴き声が聞こえた。ほんにゃあ、ほんにゃあ。わあ、私の赤ちゃんだあ。うれしくて、その声に感動して涙が出て、泣きました。ところが、それでおなかが揺れたらしく、先生から「泣いてるの?まだ終わってないよ、これからだよ」
12.
そう、ほんとうに辛いのはそれからだった。急に吐き気がしてくる。子宮を引っ張るから吐き気がすると言われた。吐き気はますます強くなり、絶食の意味がわかった。吐くものが無い。胃がひっくり返って出てくるんじゃないか と思うくらい、おえーおえー。げろ用の器を、もってこられても中身が出ない。息が吸えないくらいつらい。早く終わってーーーー
13.
看護婦さんが、ほーら、あかちゃんよーーと見せてくれるが、それどころじゃあない。さっきの感動は吹っ飛んでいる。
14.
気が遠くなるほどの吐き気が少し改善されると、タンカに移されて病室へ。部屋には夫が。顔を見たとたんに涙が出てきた。怖かったよーーー。でも涙の理由もいえないほど体力が消耗している。何もしゃべれない。言いたいことはいっぱいあるのに。
15.
体ががたがたと震えだす。歯が合わないほどの震え。理由がわからない。寒いのか、怖いのか、暑いのか、何か異変がおきてるのか、意味不明で不安。
16.
看護婦さんが熱を測りにくる。白血球が増え、ばい菌を殺すために熱がでる、その準備で体が震えると説明される。はやく言っておいてよ。つまり寒かったのか。
17.
熱が出始めると震えが止まる。麻酔が切れてくる。座薬を入れてもらう。おなかの上で火をたいているみたい。いたい。
18.
眠れない。朝方、うとうとすると悪夢。。。。先生がオペ室で私の内臓をスパゲテイみたくずるずると食べている夢。はっとすると、傷が痛い。
19.
朝、見舞いに来た母が看護婦さんに睡眠薬をお願いする。飲み薬は不可で、モルヒネみたいの?を注射してもらう。なんて気持ちいいんだーーこれが麻薬かあ。これはくせになるなあーーー
20.
それでも3時間くらいしか眠れない。腰も痛い。横になれないから。
21.
次の夜も眠れない。また麻薬みたいな注射してもらう。
22.
夕方、トイレへ立たされる。個室で、トイレは部屋にある。起き上がるのに看護婦さんの肩を借りる。2日間寝たきりで血のめぐりが変わっているのでめまいがする。終わるのに30分かかる。ゆうはんにおかゆ。座るのにおなかがつっぱる。痛い。
23.3
日目、おっぱいがはってくる。痛くて痛くてまたもや横になれない。おかげで腰も痛い。
24
4日目、ようやく赤ちゃんをだっこできる。おっぱいも飲ませる。顔をまじまじとみる。改めて、私が産んだのに、なんで他の人が先に見てるんだろ う、と怒りが。あとから産んだ人のほうがおむつ換えもすでに手馴れている。くやしい。
25.6
日目、抜糸。これまた痛い。消毒。悲鳴をあげる。
25.
手術した一週間後の同曜日、めでたく退院の日。ようやく、初めてシャワー。おそるおそる傷を見る。げげげ。こりゃあ、だんなには見せられん、と決心する。

 

 

人目

前回帝王切開、低身長(148cm)の理由で早々に帝王切開が決まりました。
せっかくベビーは下を向いてきれいにおさまり、体重も2300程度しかないのに・・。
ベビーが一人目より1kも軽いので、上を向くのもたいした苦痛ではなかったです。
皮膚のかゆいのもたいしたことなったです。
麻酔も前回と同様、たいしたことなかったです。
やはり外来が終わって7時にオペ室に入室しました。
すると先客が。下から産む人が隣のべっどに、カーテン一枚隔てているんです。
うーーーん、うーーーーん、とまあ、なんと苦しそうな声が。
テレビで産むシーンでは伝えられない緊迫感。思わずいっしょに力んでしまう。
ありゃあ、下から産むのも大変だわ、人を一人こさえるのに楽な出産なんてないのね、と納得しました。
ようやくベビーの声が響き、看護婦さんが赤いビニール袋を持って、私の足のほうをとおりました。
今捨てたの、胎盤ですか?と聞くと、そうだよ、との返事。
そして先生が来て、さあ、今度は君の番。今の女性、大変そうだったでしょ?
でもあれでも安産のほうなんだよ。そうなのか・・・あれで安産なのか・・・・。
なんだか自分が自然分娩を経験した気分になれたし、安産でも大変だし、どっちから産んでもいいや、とも思えました。
下から産みたい、と願ってもかなえられない方たち、もし可能ならご姉妹の出産にぜひ立ち会ってみて下さい。

 

なんだか少しだけ納得できますよ。
うまく言えないけど、あきらめがつくというか。

手術が始まります。
一番怖いのはあの吐き気でした。
あれですっかり体力を失うんです。私があまりに不安がっているので、麻酔の先生が何がそんなに怖いの?と聞くので、前回の吐き気の説明をしたところ、
『麻酔のききが悪いと気分が悪くなるんだよ。少し多く薬を入れてあげるね』
と言ってくれましたが、それも逆効果?だったのか、やっぱり縫合開始後から激し吐き気が。
おえーーおえおえおえおえおえーーー
縫合が終わってタンカに乗せられてもますます激しくなる。
おえおえおえーーー
涙もはなもとまらない。
どうしよう、息が吸えない。おえーーーっとした後、息ができない。
そのとき、看護婦さんの怒鳴り声に気がつく。『深呼吸しないと、とまらなくなる!』
ずっと言っててくれたのに、耳に入っていなかったらしい。
少しでも息を吸うとそのたびにおえーーっと出るんで、深呼吸なんてとんでもない。
おえーーーっ
でも、また看護婦さんが怒鳴る。
『深呼吸しなさいっ』おえーーーっ
もうどうなってもいいや、勇気を出して、意識して、おもいきり空気を吸う。
はあ、はあ、はあ、はあ、・・・・あれ?はあ・・・・と、とまった。看護婦さん、すごい。
怖いけど。
顔に血の気がもどるのも判る。ああ、やれやれ。体の震えがきて熱も出て、
でももう2度目なので理由がわかり、不安はありません。
すぐに部屋にベビーを連れてきてもらい、顔もよく見せてもらえた。
同じ病院なのに、一人目の時は4日目に顔がわかったのに、今度は産んですぐ部屋に連れてきてもらえてうれしい。
でも後陣痛は2りめのほうがつらい。帝王切開は二人目がつらいと聞く。
傷が痛いのか、後陣痛が痛いのか、わからない。
やっぱり夜は眠れず、注射をもらい、座薬ももらい、悪夢をみる。
2
日間は苦しみましたが、抜糸は痛くなかったし、やれやれです。
さあ、これからの人、頑張っていきましょう。
妊婦の最大の関心は出産のみ、しかし、本当に大変なのはその後の子育てだよーーん。


医者にも、「どうしてなおらないんでしょうねえ」と言われ続けて とうとう逆子が治らず 予定の帝王切開となりました。      
帝王切開で これだけは良かったと思えた数少ないコトのひとつは私もまわりも予定がたつこと。
手術前日に入院、その日から夫は数日間休みをとってくれたので心強かった。
その日は 桜がどこも満開で 桜のある道を選んで遠回りして病院まで行って
くれました。あの時はそんな中でも不安でいっぱいだったんだけれども後になると すごくキレイな思い出です。

手術前日 夜8時から 絶食。
翌朝 浣腸と剃毛、
手術1時間前に 麻酔を効きやすくする薬とやらを注射される。

帝王切開は 血栓ができてしまうのがとても危険とのことなので防止のため厚~いモモまで上がる ハイソックスを履いて手術室に入るときはその格好に
他は全裸で。
自分っでもバケモノと思う程大きなお腹をさらして、背中に麻酔を打つので丸くなっているときは『なんて みっともないんだろう・・・・』

 

すごく情けなくなりました。
薬の影響から、感情がコントロールできなくなっていたのかもしれません、
最初から ポロポロ泣いていました。
自然分娩できたらこんな姿 さらさなくて良かったのに、という思いやら手術の恐怖やら。

助産婦さんが ずっと手を握って励ましていてくれたのが心の拠り所でした。
手術が始まってすぐ、息苦しくて気持ち悪い。
訴えると、 吐いても大丈夫なように トレーが顔の横に置かれる。

お腹から、引っぱりだされるような冷たい人工的な力が 加わるのがわかる。
しかも、『いたああい!』さらに『きもちわるい~~~~』なんかもう グチャグチャ。

それでも 医者が 喋っている声は シッカリ聞こえてしまう。
「意外と脂肪がついてるなあ」・・・・それは 私?赤ちゃん?

まだ・・・?すぐに終わると思っていたのに意外に 時間が進むのが遅い。
とにかく速く時間が過ぎて、と祈る中、
「もう 赤ちゃん でましたよ~」と 助産婦さんが教えてくれた。なのに、泣き声が しない。『・・なんで 泣かないんですか?』不安になる。
「もうすぐ泣きますよー・・・」ひと呼吸してからオギャアアア、ウアアア、大きな声。
少しキレイにしてから そばに連れてきてくれた。

初対面、赤ちゃんはなんだかご迷惑そうな顔をしていて、第一印象はオットと全く同じ顔!
『触っても、いいですか?』
私の、固定されていた手を外してもらい 赤ちゃんに触れる。
暖かい。柔らかい髪の毛が頬に触れる。嬉しくて涙が出る。

残りの処置をする間眠らせてもらったみたいだけれど 手術室から出る前には意識が戻る。
しかも、メッチャ、お腹が痛い・・
傷じゃなくて、多分 収縮痛ってヤツだと思う。

麻酔は ちゃんと効いていてもこれは痛かった。
下半身はずっとピクリとも動かせず手術は 1時30分で、夜中の12時頃になって やっと足の指先が動かせるようになった。

翌日 午前中には歩くように、との事で まずベットに座るまでがもう、大変。
ひねる動きが 辛いのなんの。
(もしかしたら タテ切りとヨコ切りで 痛み方が 違うかもしれません。
同室のタテの人は 身体をひねるのは 意外と大丈夫そうにしていました。
でも、階段は退院の日でもまだ 辛いようでしたがヨコの私は ひねりはダメでも 階段は大丈夫でした。)
「歩かなくちゃ、赤ちゃんにあえませんからね」
にこやかに看護婦さんに言われて 点滴をひきずりながら、今 墓から出てきたゾンビみたいな動きで新生児室まで歩いていきました。

辛いのは 初日、あとは予想より早くどんどん自分が元気になっていくのがわかりました。
それなのに 長々続く、”水だけ””流動食””おかゆ”のステップがイヤでしたね。


28週のある日の検診で、逆子になっていました。
まだ余裕があるよ~ということでその日に逆子体操の指導を受け帰宅。
帰ってからダンナに「帝王切開になるかもしれないね~」と言われてもあまりピンと来ていなかったものの、ネットや本で調べるうち事の重大さが後で身に染みてきました。

他の逆子経験のある方と同じく、逆子体操・お灸・外回転(35週時)にtry
逆子体操は頭のイチはそのままに胎児の背中の向きだけがくるくるとかわり、

 お灸はかなりソフトだったにもかかわらず足にお灸痕を残して効果無く、
外回転は入院準備もしウテメリンや呼吸で十分に子宮を柔らかくし、
更に途中から主治医のDrにくわえ助っ人のDrと二人がかりで回そうとしたものの結局回らず!
逆子体操については仰向けのものうつ伏せのもの果ては逆立ちまでやってました。
37週5日のope日まで、胎児が一度も回ることなく手術日を迎えました。

私ですが、もともと感情面で極端になりやすいところがあり、手術を決めるまで
かなり不安定になっていましたが、こちらのHPで励まして頂いたり自分でもWEB上でいろいろ情報収集をするうち納得が出来、
最後は逆に出産日まで有意義に使うことが出来ました。

さて手術ですが前日に「最後の晩餐」と称しランチを食べに行ったあと、入院。
手術後何日かは「観察室」という手術直後の患者さんの部屋にいることになるということで、まずその部屋に入院しました。
その日は超音波でとりあえず回っていないことを(!)確認しNSTを録ったり。
緊張やら期待やらであまり眠れませんでした。

当日は15時からope。午前中に剃毛、浣腸。昼過ぎから点滴など。

さて15時過ぎ、看護師さんに呼ばれ、歩いて手術室に入り自分の足で手術台によじ登りました。
そこでまず導尿。
次に腰椎麻酔ということで、側臥位(横向き)になって注射を打たれました。
動いたので2,3回の後、成功。麻酔の注入の開始です。
仰向けに戻ってからはさらに腕を片方は点滴片方は血圧と固定され、また胸の当たりから小さなカーテンがひかれ手術内容は見えないようになってました。
で、だいたいの準備が整ってあとは「麻酔の効き待ち」だったのですが…
なかなか効かずいつまでたっても足が余裕で自分で持ち上げられる!
もしかして麻酔効かないんじゃないかと、手術台に上って初めて手術が恐いように感じてしまいました。
麻酔の濃度増量、すると血圧や脈拍の変化や息苦しさ、肩の痛さがでてくるのでそれに対する点滴の注入が何回か繰り返されました。
結局足は動くままだったのですが切開する部位の麻酔がやっと効いてきた時点でさくっとメスが入れられ。横切りでした。
初めのメスから4-5分、自分のお腹の中があちこちひっぱられたり部分部分軽くなったりがわかりました。
けっこう痛みはあった…
助産師さんの「もうからだでてきてますからね~」の声、そのあとちょっとして「頭がひっかかってるのでちょっと押しますからね~」と言われ、BABYの頭が入ってた右肋骨の下方をキュ、キュと押された後BABYが出ていった=産まれた、のがわかりました。
このときにすでに感動で涙が…。
と同時に産後の処置…子宮内の洗浄が施され、その間にBABYは羊水の吸引を受け、すると大きな産声がope室に響き渡りました。
助産師さんが横たわったままの私の顔近くにBABYを連れてきてくれ、感動の対面。
はやくもハイになってるわたし、泣いたり喜んだりしつつ
「ちょっと鼻がつぶれてるな~。まあいいか~。すごい元気で産まれてきたみたいだし~。帝王切開ってけっこういたいものなのかな~。
あとはVBAC2回と帝切1回やってみて体験レポしたいよ。ああしかし嬉しいよー。」と延々考えてました。

その後BABYは新生児室へ。わたしは縫合を受けました。

子宮と皮膚組織を6層は溶ける糸で、表面の7層目はホッチキス16個で縫合されました。縫合もなんか痛かった…
ストレッチャーで病室へ運ばれた後、点滴&酸素マスク。
術中の点滴量がけっこう多くかなり浮腫んでました(翌日の尿量5l以上だった…)
しんどいわりにハイで、来る人来る人に延々しゃべくりまくっていましたが(内容思い出せません)だんだん口も利けないほどしんどくなり。
初めは体が冷えていて電気毛布が入れられてました。
麻酔は徐々に切れてきて足がどんどんうごきやすくなりました。
麻酔はなかなか効かず切れるのも早かったようです。
(効きの悪さは言われなかったけど、切れるのが早いとDrにもNsさんにも言われました。)
夜中は、高熱が出てうなされました。うわごとも言ってたようです。

この日泊まったダンナの話によると。

痛みは後陣痛(子宮収縮)と、傷そのものの痛み。
また、仰向けから体を動かそうとしても痛く、かといって動かさないことで背中側がしびれがきれその痛みもありました。
解熱の座薬を1度入れて貰いました。
記憶にないのですがナースコールでお願いしたらしい…
熟睡はできずでしたが、明朝5時頃ラクになり横向きまでできるようになり水分許可がでていたのでからだをよじって水のボトルをとりました。
翌日、ギャッジアップもかなり痛く、端座位(ベッドに腰掛ける)はできませんでした。
授乳はstartし看護士さんがベッドまで3時間起きに連れてきてくれました。

が、夕方くらいからまたかなりしんどくなり、高熱発生。この日は20時に座薬を貰ってから、翌朝までぐっすり寝ていました。
術後2日目は座れるようになり、歩く練習も看護士さんにみつからないようさっさと進め、熱もなかったので、夕方には観察室から普通の個室に移動。
ただ、普通の個室のベッドは高さの低い調節機能のない本当に普通のベッドで、立ち上がりがかなりつらかったですが3日目には解消されました。
この日2回授乳室に行きました。
あとはBABYはナースステーションで過ごしてました。

7日目に抜鈎。この日まで傷はでかい絆創膏で密閉されていましたが、絆創膏のノリでかぶれてしまい痕が残ってます。
子宮収縮がすごいいいよと言われてましたが、9日目退院日を目前にして大量の子宮残留物が降りてきてびっくりしました。
10日目に涙の退院。

うちのBABYは、わたしの右肋骨の下方に頭をはめ込み、ほとんど子宮内の右にいて、ややあぐらをかいた複殿位だったということでした。
頭のある部分がずっと変わらなかったのですが、どんどん成長し頭も大きくなりますから臨月に近づくほど肋骨や背中が痛くて痛くて寝ても座っても痛い!
立つのがいちばんラクでした…
また、神経が圧迫されてるのか頭のある位置の周囲の皮膚の感覚がマヒしてしまいました。
(産後2ヶ月半のいまほとんど戻ってます。)
頭のあった位置は胃や肝臓があるので、臨月までぜんぜん量が食べられず
体重増加が抑えられたのは不幸中のさいわいだったのだかどうだか。。。
羊水量は若干少な目?だったかもということです。
出産直後に減った体重が4キロ弱だったので…
BABY2,670g+胎盤+出血+羊水量の合計が4㎏弱だった)
また、産まれた直後のBABYの頭囲が35㎝!これは大きめな方です。
正面から見るとそんなに大きくはみえなかったうちのBABYですが、後頭部がかなりぽこっとでており、あとで小児科の先生から
「ああ~ 逆子で治らなかった赤ちゃんってこういう頭の形の子多いんだよ~」と教えていただきました。
あたまがどっかにひっかかっちゃって
治らないんだそうです。


経過には全く問題がなく、気楽なマタニティライフを送っていたのに31週目(8ヶ月)の検診で逆子と判明。
逆子体操をしてはり止めの薬を飲んで様子を見ても治らず、
33週(9ヶ月)で外回転術で逆子をなおしました。
しかし!35週(9ヶ月)で検診に行くとまた逆子になっていました。
先生によると骨盤が広いので赤ちゃんが大きくなってきても自由に動けるとのこと。
そんなに動き回ってるのか、快適なのかなんてのんきに言ってられなくなってきたので、36週でまた外回転術でなおそうとしましたが、今回はもう時遅し。
びくともしませんでした。
生まれる前から親の言うこときかへん、わがままムスメじゃーと散々叫んでました。


その週の金曜日に先生から話をしようと呼ばれていたので病院へ行ってみると、帝王切開の可能性について説明されました。
これまで全く順調すぎたのに帝王切開?腹切るのかとちょっと不安になりました。今までも開腹手術を受けたことがなかったので。
ただ陣痛が始まってから帝王切開にすると危険度が高まるというのは報道で聞いたことがあったし、それでトラブルが増えていることも先生は説明してくれましたが、その場で1人で判断できないと思ったので、家で相談してきますといってその日は帰りました。
ダンナと相談してやっぱり母子ともに健康で赤ちゃんが生まれるならどんな方法でもいいという結論に達しました。
その次の検診の時(37週)、先生にも帝王切開する決意を話しました。
子どもは逆子からなおりそうもなく子宮の底をドシドシ蹴りまくっていたし、早く直立歩行したいのか、そうか、と話し掛けていました。

38週と1日。その日は晴天でした。
朝起きてしばらく布団から出れませんでした。
もう2人っきりじゃなくなるね、もうすぐ赤ちゃんに会えるね、ってダンナと2人で最後の胎動を感じていました。
赤ちゃんも元気に早く出たいって言ってるみたいでした。
ダンナは会社を休んで朝からずっと付き合ってくれました。
病院までは歩いて10分ぐらいだったけど、すごい荷物だったので、車で送ってもらいました。(婦長さんにこんなすごい荷物の人はいないって言われた(笑)


前日の夜から絶飲食だったので空腹感はあるものの、手術に対する恐怖のほうが勝っていたのであんまり気にならなかった。
私に待っていたのは心電図・剃毛・浣腸、そしてエコー、赤ちゃんの心音の確認。

このとき最後の心音をテープにとっておいて退院時にプレゼントしてくれました。
病室に戻って血管確保の点滴をしながらぼーっとしてると先生が、手術のことで最後の説明などをしにやってきました。
遅れるはずだった手術は予定時間より少し早く始まりました。
生まれてはじめての麻酔、開腹手術、手術台に乗ってドキドキしてる間に、始まりました。
痛みも何も感じずしばらくしていると、
先生が、「もうすぐ赤ちゃん出ますよー」と。

え、と思っていたら、お腹の辺りで何かが持ち上げられたようなずぼっっとした感覚が。

そのあと、猫が鳴くような声がして、産声だと気付きました。
先生は性別を言わなかったけれど声を聞いたらオンナノコだってすぐわかりました。
その時手術室の時計をちゃんと見た光景は
はっきり覚えてます。

一時間半ぐらいで手術は終わり病室に戻りました。モニターやら機械がいろいろつながれてやっと家族だけになったとき、ダンナが
ぽろぽろ涙を流しながらベットの隣に立って何も言えずに泣いてました。
既に実母も義母もダンナも赤ちゃんを見て抱っこしていたので、その感動をボーっとしてる私に語りかけてました。
術後30分ぐらいで赤ちゃんも連れてきてもらえて寝ている私の横に抱えるようなかんじで抱っこさせてもらいました。
その様子を写真やビデオに収めて私の母と妹は帰っていきました。

最後まで不安はたくさんありましたが、無事に元気に生まれてくれて良かったと思っています。

 

緊急に帝王切開になるより、予定でわかっていたほうが、精神的にも心の準備ができて私は良かったと思います。
昔から骨盤が大きいので安産タイプといわれていたのに本領発揮できなかったのは心残りですが、今後産む時も帝王切開で産もうと思います。


妊娠6ヶ月頃からずっと逆子で、一度も頭位にはなりませんでした。
超音波の時、先生からは「逆子の頭の形をしている」といわれました。
子宮口の方は狭くなってるから頭の形が圧迫されるそうですが、娘の場合はボールのようにまん丸だったんです。
そして今もすごくでこっぱちなんです・・・。
そのまま10ヶ月になり、先生には「羊水が少なめやから赤ちゃんが回りにくいんやね」といわれ、37週と4日の日に帝切が決まりました。

前日から入院し、絶食、絶飲、剃毛。
当日は朝一番に手術だったので、8時に導尿(これが痛かった!)最後の確認の超音波。
もし戻っていたら自然分娩にすることになっていたので。
でもそのままだったので、手術室へ。導尿されたことでブルーになっていたので、くらーい気持ちのままでした。
そして硬膜外麻酔&腰椎麻酔を行って、1010分に誕生。
顔の横に連れてきてもらいましたが、コンタクトを外していた私は娘の顔があまり見えませんでした。
そして娘は新生児室へ。抱っことかしたかったな・・・。
横に切開してもらったので縫うのに時間がかかって、その間背中がすごく痛かった!手術台って硬いですからね。
その後は部屋に戻りましたが、麻酔が切れるまでがしんどかった!
ずっと痛み止めを背中から入れてもらっていたので、私の場合は産後の痛みが全くなかったんです。
すごく楽で、次の日には少し歩き、その次の日にはすたすたと歩けてました。

 

人によっては痛む人もいるみたいで、そんな場合には座薬を入れてもらっていました。

2子はまだですが、次は是非自然分娩にも挑戦してみて、どちらが辛いのか、判断してみたいです。
妊娠中の友人に一言、「楽に生んだんやなー」なんて言われたんで。
産後の痛みが少ないのは楽でしたが、出産は命がけなのに!なんて腹が立ちました。
子供が無事に生まれることが大事だから、私はひとつも引け目には感じてません。


7ヶ月から逆子、体操、外回転、お灸などしてみましたが戻る気配が無く9ヶ月で無理はしないということになり帝王切開にほぼ決定
33
週のときに夫と帝王切開になる理由の説明をあらためて受ける
「逆子の場合、出産時にトラブルが起きやすい、早期破水・切迫早産が起こりやすい、経産婦ならば無理もできるが私の場合は4度の目の妊娠でやっと出産できるところまできているので赤ちゃん優先の方がいい」
とのこと、二人で納得する。
筋腫は、妊娠時の子宮は出血しやすいため除去はしないと言われる。

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週で、オペ前検査(心電図・出血時間・肺活量など)
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週で、輸血用に自己血採取・帝切でもバースプランを提出(できるだけ希望は聞いてもらえるため)

オペ2日前より入院、アレルギーテスト・オペ室見学・バースプランの確認・NST。 

 

前日は血液検査,腎機能検査・NST・悌毛、もう一度オペ室ナースとの再確認・夕食後9時より絶食。
当日は、朝早くから準備。浣腸など済ませたあとオペ着に着替える
(オペ用のブラジャーというのがあったため、術中も素っ裸になることはありませんでした)
1
時半より、オペ準備・消毒・導尿・麻酔用の注射など
2
時よりオペ室へ 何麻酔か聞き忘れましたが麻酔準備中に
夫も緊張しながら白衣を着て首からカメラとビデオをぶら下げてやってくる
麻酔をかけ始める時点でビデオのスイッチを入れ、いつうまれても産声が録音できるようにして私の顔の真横のでそのときを待ちました。
数分後無事生まれてきて、しばらくして産声も聞こえてきて、ほっとして泣けてきました

が、すぐに先生から予想以上に筋腫が大きくなってるので急きょ、除去すると言われ、希望でもあったのでそのまま夫と供に承諾する。

きれいにしてもらった赤ちゃんと対面し、親子3人写真を撮ってもらいそのまま赤ちゃんは新生児室へ夫も一緒に手術室の外へ行く
私は笑気麻酔でしょうか眠りに入り、目が覚めたときは手術台から移動ベッドに移るところでした。

病室に戻り眠るには入りもう一度目がさめたときに夫や家族と対面。
赤ちゃんも保育器に入って(帝王切開の子は元気で体重もOKでもその日だけは保育器に)
病室までやってきてあらためての対面をしました

次の日の朝の回診で導尿もはずされ自力でポータブルでトイレへ行くことに
お昼から流動食も始まり徐々に固形に変わっていくとのこと。
2日目には背中からの痛み止めもはずされ、ベッド上で初授乳
3日目から授乳室まで行く。トイレへも歩いていく

予定外の筋腫除去により出血量も多く自己血だけではぜんぜん足りなかったということ
他人の血液は入れたくなかったのでそこでやめていてまだ小さな筋腫が残ってるとのことでしたが、そのこともあって10日で退院できたけれども
14日間にしてもらい、ゆっくりさせてもらったおかげで帰ってからの育児もちょっとは楽だったのかも。
だって普通分娩の人って、おっぱいがまだ完全に出ないところで退院でしょう
私は授乳後のミルクを足さなくってもすむぐらいになって退院でしたから。
長く入院してたおかげで看護婦さんともゆっくり話す機会も多くよかったです

今でも帝王切開でよかったと思ってます。
普通分娩だったら絶対に立ち会う気の無かった夫もそばにいてくれたし
長年、持ってた不安の種の筋腫も無くなったし、
何よりも元気な我が子に対面できたんですもの。
体重は2864グラム、身長50センチ、頭囲が36センチもあったため無理をしてたらひっかかっていたかもしれなかったから。

先日私自身の半年後の検診に行ってきました
大きな筋腫が無くなってるので子宮の形もほぼ普通になってるし残っていた筋腫も大きくなってないと言われてきました。

ここの病院では半年経ってれば妊娠してもかまわないと言われました。
そして近々、帝切の場合でも家族で立ち会えるようになるとのことで、もしかしたら今度は息子と夫もそばにいてくれるのかな


一人目は吸引ながらも普通分娩で出産。

二人目は逆子のため37週で帝王切開しました。
個人病院で産むつもりでしたが、8ヶ月検診から逆子といわれ総合病院での出産となりました。
池田の小学校殺人事件の時によくテレビで放送されてた病院です。
あの事件のすぐあとで入院しました。
逆子になったのは、私が運動だといいながら寝転んで足をあげたりしていたのが悪かったのだと思います。
逆子と判明してからは逆子体操に、お灸、逆立ち、指圧、といろいろ試しましたがどれも駄目でした。

入院は11日間。始めの3日間は検査に、陣痛止めの点滴。
麻酔は腰椎麻酔でした。
手術中には途中から、胃のあたりの痛みが起こり息も荒くなってしまい、
先生いわく「後陣痛だろう」という事で、直接子宮の中に痛み止めの薬を入れました。
手術の翌日には歩き回ってました。痛かったけど・・・。
そうそう、尾てい骨がでてるからか、麻酔が効いて動けないうちに、なんと床ずれができてました。(丸く赤くなりしびれているような、いたいような感じ)
痛みが薄いと思われたのか痛み止めの飲み薬や点滴はありませんでした。でも眠るには痛すぎて座薬を2日しました。

傷ですが、ホッチキスみたいなやつで15ケ所くらいとめてありました。
消毒の際には担当以外のの先生から「とめかたが少ないね。

まあ、人によっても間隔が違うからね・・・。下の方はちゃんととまってないからテープはっとこうね。」といわれました。
どうりで下の方が痛いわけだ・・・と納得。
傷跡は本当に痛々しく、今でも思いっきり残っています。
お臍の下3cmくらいのところからたてに10㎝くらい、幅が今1㎝程あります。ミミズバレ状態が続いています。

 

~2回目~

上に二人いて一人目は幼稚園に通っているため、自宅近くの総合病院(と言っても
産婦人科はあるものの呼吸器・アレルギーが専門で普通の小児科、外科、内科は無い)を選択。

初診から前回のケロイドのひどさを指摘される。
ちょうど妊娠がわかる頃に子供がインフルエンザ・水疱瘡にかかる。私は水疱瘡をしていなかったが何とかかからずセーフ。
【まめ情報】
【インフルエンザは妊娠初期に感染してもおなかの子供には影響はあまり無いらしいです。
水疱瘡は大人がかかると重症になりやすいのでかかってしまうと入院することになるそうです】
諸事情により、担当医が三度替わり最終的には外来担当医は部長さんに。
どの先生にもケロイドのひどさを指摘され、精神的に落ち込んだ時期があると告げると、
今回は出来るだけ綺麗になるように考えるとのお話が。
【まめ情報】
【切る位置(縦)は恥骨の指一本から二本の場所からお臍の下数センチまでの位置で
切るのが普通。それより下はケロイドのなりやすいそうです】
(私の場合恥骨より随分と下にあるため今回も下はケロイドになるかもしれないらしいと
言われるが努力してくださる先生の気持ちに感謝。)
なるべくおなか中にいさせてあげたいとのことで38週に切ることが決まる。

術日前日
麻酔科の先生、薬剤師による細かい説明
剃毛・シャワー(夕食まで普通に摂った)
寝る前にプルゼニドという便通をよくする薬を飲んだ
手術当日
・朝:モニター30分・浣腸・膣内消毒・内診・抗生物質のアレルギー検査・点滴開始
 主治医による手術説明(ものすごく細かく説明してくれた。質問にも丁寧に答えてくれた。)
・昼:手術(ケロイドをましにするためにホッチキスみたいなものは使わず形成外科で使う
 細い糸を使用)
 三人の産婦人科医と麻酔科の先生、助産婦さんと数人の看護師がいました。
 麻酔科の先生がかなり上手な人らしく二時間近く経っても腰椎麻酔だけで気分も良く苦しく も無く快適に手術を終えた。
 前回は引っ張られているのとかも殆ど感じないほど効きすぎていたが、今回はしんどくは無 いけれど感触はかなり感じた。
 かなり細かく縫って下さったので時間がかかり手術室を出たのは二時間後。
・夕:麻酔をしてから二時間が経つ頃、痛みが出始める。外側はチクチク、内側はキリキリと いった具合。
 五時間後我慢が出来ないくらいにまで痛みがひどくなる。痛み止めの注射を打つが全く効かない。
 座薬を入れてもらう。三十分後何とかましになる。ちょうど其の頃先生方全員で様子を診に来てくれた。
 夜中にももう一度座薬使う。(今回は痛みはきつかった。)
 ガスは出なくても夕方からお茶を飲んでも良かった。
術後一日目
朝:重湯、葛湯、トマトジュース、牛乳が用意されたが、傷や後陣痛の痛みに加え、
  胃のあたりやおなか全体が苦しく鈍痛が続いているため、殆どを残した。
昼:三分粥、サツマイモの甘露煮、やわらかく煮込まれた野菜、ヨーグルト
  殆ど食べたが、やはりおなかの張りがあり痛みが続く。
  【後で聞いたらガスがよく出るまでは苦しかったら無理して食べないほうがいいらしい】 
夕:痛みがとれず三度目の座薬を使う
  五分粥、味噌汁など
夜:ずっとつけていた点滴と導尿をはずす、歩行開始するも痛くてなかなか動けず。
  大げさでなく、起き上がるのに十分程かかった。
術後二日目
  初めて三時間ほどまともに寝れた。
  この日から四日目まで朝晩点滴
朝:全粥、お漬物類、授乳に行くかと聞かれるが辛くて自信が無く断ってしまう。
昼:普通食(おなかが張って苦しく半分を無理やり食べた)
  ベビー術後初対面、初授乳。
  ここから三時間おきの授乳。(夜中も)
夜:看護師さんにおなかを暖めるとガスが出やすいと聞き実行したところ
  ガスが随分出るようになった。すると今までの苦しさが嘘の様にとれて、傷と後
陣痛の痛みだけになり
  動くのも楽になった。
その後
三日後には自分でシャンプー台で髪を洗ったりできた。
痛みは徐々にひき、四日目に抜糸してからは弛めにニッパーも使い傷を押さえていると動きやすくかなり楽な状態に。ちなみに抜糸は全然痛くなかった。(前回のばっこうはすごく痛かった)
ケロイドを防ぐため、テープでとめる。八日目初シャワー。九日目退院。
退院後傷に毎日 リンデロンV軟膏0,12とヒルドイドソフトを塗りその上からドレニゾンテープを張る。
二週間後、テープ負けして水ぶくれが出来ているためテープを中止。
塗り薬を使いガーゼで押さえる。