- 前置胎盤2 -

帝王切開の理由別体験談


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つるさん

お住まい  埼玉県
帝王切開の回数  2回
出産地  東京都
出産年齢  30代
子の生年月

 1996.9

 1999.9

 2002.8

 2009.5

産院(総合・個人)  個人

第1子は37週で普通分娩でした。

第2子を妊娠中、30週の時に前置胎盤で大量出血しました。

病院に電話したところ、“今生まれてもうちでは保育器がないからすぐに大きな病院に行くように”と言われ、すぐに救急車で周産期センターのある市立病院に運ばれました。

出血は止まったもののその2日後に陣痛が始まってしまったので緊急帝王切開となりました。

 

そこの病院では腰から下の麻酔で赤ちゃんを取り出した後、全身麻酔で眠らせてしまうという方法だったため、目覚めても出産したという意識はなく、おなかを触って“あぁ、生まれたんだ、、”という感覚しかありませんでした。

 誕生日は上の子と同じ9月1日でした。(これは運命だったんじゃないかと思います。)

 

その2年後、3人目を妊娠しました。

帝王切開がとっても苦しかったのでどうしても普通に産みたいと思い友人が“帝王切開後に普通分娩できたよ~”と言っていた近所の個人病院に行きました。

その時はVBACという言葉も知らず、知識もなかったので先生の“大丈夫だよ。”という言葉に安心して出産の日を迎えました。

 実際何のトラブルもなく、41週で普通分娩出来ました。

 (早産後の普通分娩、予定日超過など今考えると危なかったです、、)

 

そして先日、第4子を反復帝王切開で出産しました。

3人目を産んだ産院の先生が病気になってしまったため、新しい病院を探しましたが、VBACをさせてくれる病院はなかなか見つかりませんでした。

たまたま都内の個人病院が“状態を見させてもらって普通に産めることもあります。”ということだったのでそこの病院に通うことになりました。(このときもVBACの知識はありませんでした)

 

36週に入って内診をした所、まだ子宮口も開いていなかったので“予定日が近づいても生まれる気配がなかったら帝王切開にしましょう”といきなり言われたのでビックリしてしまいました。とりあえず38週まで様子を見て、ということだったので早く生まれるように犬の散歩で毎日3時間歩き続け、パパの休みに日には往復5時間かけて数キロ先のショッピングセンターまで歩きました。(1人目も3人目もこれで翌日に陣痛がきたので)

 

2日後の37週の検診で子宮口はまだ開いていませんでした。

“超音波で傷を見てみましょう”と見たところ、前回の傷の部分が薄くなっているそうで帝王切開を勧められました。

 

私が渋っていたら“帝王切開ができないなら今から紹介状を書くから他の病院に行ってくれ”と言われ、この時期にきて転院もできるはずもなく、、

3日後に帝王切開での出産を決めました。

その日まで普通に産めるものとばかり思っていた私は、いきなりの展開にどういうわけか涙が止まらなくなってしまい、頭では赤ちゃんのためと思っていても手術の日まで泣いてばかりいました。

 

最初の検診で“うちではやってない”と言ってくれれば他の病院を探したのに、、とか、傷の厚さもはからないでいきなり帝王切開にしたのだから、元からそのつもりだったんじゃないかという思いが頭をぐるぐるして夜も眠れませんでした。

どうしても前回の帝王切開の苦しみが忘れられず また、子宮破裂という1/100の確立に自分が当たるわけがないという気持ちがありました。

VBACの色々なサイトを見て自分を納得させようとしました。

 

予定日の前日、“これだけ歩いてもまったく生まれる気配がなかったんだから、私は赤ちゃんを信じるよ”とパパに言いました。

手術が終わってみたら、前の傷口が薄くなって赤ちゃんの髪の毛が透けていたそうです。

そして臍の緒が2回、首にしっかり巻き付いていたそうです。

パパが“この子は親孝行な子だね。”と言ってくれました。

“臍の緒が巻き付いて下がれなかったんじゃなくて、陣痛が来ないように自分で巻いたのかもしれないね”って。

 

本当に赤ちゃんに助けてもらいました。そして誕生日もお兄ちゃんお姉ちゃんとおなじ1日。

生まれる日も自分で選んだんじゃないかな、と思っています。



カオリチャンさん

お住まい  長野県
帝王切開の回数  2回
出産地  長野県
出産年齢  30代
子の生年月

 2004.4

 2006.9

産院(総合・個人)  総合

2週間程前に帝王切開で二人目を出産した際に卵管結紮術を受けました。

出産前には、まさか自分が卵管結紮術を受けるなんて夢にも思っていなかったので、いろいろ調べることもなく出産に望みました。

卵管結紮術を受けてしまったので、今更どうこう言っても仕方ないのですが、この判断は正しかったのか、気になっています。

 

私達夫妻は、3人は子供が欲しいね、出来れば自宅出産とか助産院で産みたいね、と言っていたのですが、一人目が全前置胎盤だったため2ヶ月の絶対安静入院の末、35週で大出血し、真夜中の緊急帝王切開となりました。

この際、出血量も多く母体の安全のために、全身麻酔で手術が行われました。

(このとき、子宮筋腫が3つ発見されました。)

2582gの男の子が生まれ、低血糖等で2~3日保育器に入りましたが、その後は元気に成長して、もうすぐ2歳半になります。

 

二人目を妊娠し、自然分娩したい気持ちはあったのですが、子宮筋腫の経過も知りたかったし、子宮破裂も怖かったので、前回と同じ総合病院で、同じ先生に予定帝王切開をしてもらうことにしました。

(その総合病院は、基本的にVBACはしない病院でした。)

手術前日に入院して、夫とともに手術の説明を受けました。

そこで、はじめて卵管結紮術についても話があり、開腹してみて、もし子宮がすごーく薄かったら、3人目は諦めて卵管結紮術を行うのが良いでしょう、とのことでした。

一応、その場で、同意書にサインして、手術中は、その同意書を夫が持って待合室で待っていました。

 

実際に開腹してみたら、かなり薄くなっていたらしく先生から「縛ったほうが良さそうですよ。縛っておきますか?」と聞かれ「はい」と答えました。

それから、先生が夫のところへ行き確認を取ってきて卵管結紮術が行われました。

それまで、卵管結紮術って、もう子供いらない、っていう場合に受けるものだと思っていました。

(先生の説明によると、99.7%の確率で避妊できるそうです。)

その後、どうしても、また欲しくなったら、体外受精なども考えられるとのことですが、 それって、子宮が丈夫だったら、ですよね。

帝王切開で3人産んだという人は、まわりに沢山いたので、自分も3人産めると思っていました。

卵管結紮術を受けたから、というより、子宮が薄くなってしまっていたから私の場合、もう3人目は産めないんですよね・・・。

でも、このHPの体験談などを読むと、子宮が薄くても、陣痛が来なくて帝王切開すれば産めそうなことが書いてあったりして少し複雑な気分です。

 

ちなみに、二人目は、37週で3378gと大きかったので、自然分娩を選択していたら、予定日頃には4kgとかだったかもしれないし 

 陣痛がきてたら、本当に子宮破裂していたかも、と思うと、2回目も帝王切開にして本当に本当に良かったと思っています。

今は、とにかく、この2人を大切に育てたいと思います。



まりんさん

お住まい  大阪
帝王切開の回数  1回
出産地  兵庫
出産年齢  30代
子の生年月

 1994.6

 2006.4

産院(総合・個人)  個人・総合

私は12年前に長女を経膣分娩し、今年の4月に長男を帝王切開で出産しました。

24週の時担当のDr.から「前置胎盤なので帝王切開になると思います」と告げられ、超音波のモニターを見ながら前置胎盤の説明を受けました。

私自身12年ぶりの妊娠&出産で喜びと不安がいっぱいでした。

前置胎盤という聞き慣れない言葉と私の周りにも経験者がいる帝王切開。

とくに深く考えることもなく過ごしていました。

34週で出血した為緊急入院。

その時担当Dr.から「最悪の場合死亡します。胎盤の癒着があれば子宮全摘出します。

赤ちゃんも産まれてすぐにNICUに入院しなければならないかも。」と言われました。

初めて聞く「死」という言葉。

不安と恐怖で涙が止まりませんでした。

 

助産師さんが「先生は一番悪いことから言うのよ。大丈夫、大丈夫って言って何かあるといけないからね。」と励ましてくれました。

幸い出血は止まりましたが、37週で帝王切開するまでは24時間点滴生活で始めの1週間は起き上がることも許されず、慣れない入院でストレスMAXでした。

手術は開始後28分で長男が生まれ、37週ながら3390g(!)もあり用意されていた保育器のお世話になることもなく、握手した後運ばれていきました。

私の方は2800mlもの大量出血で入院中に貯めていた自己血を輸血しましたが、血圧が下がったままでなかなか手術室から出ることが出来ませんでした。

その後、傷口が化膿したり、長男の黄疸が強く光線治療を受けたりしましたが11日後無事に退院できました。

前置胎盤の事や、帝王切開について知らなかったことが多くて早速ダメ母ぶりを発揮してしまいました。

実際経験したあとでもこの部屋に辿り着くまで知らなかったことが結構ありました。

 

いろんな人の体験談を読んで楽しくて、面白くてそして悲しくて、いろいろな思いがこみ上げてきて涙が出てきました。

もし、妊娠中にこの部屋に出会っていたら…

いろんな知識を身につけて自信を持って出産に臨めたかもしれないし、もっと不安を感じたかもしれません。

実際「もう一人欲しいなぁ」と簡単に考えていたけど、とても慎重になっています。

人として母として成長させてくれた、そしてかわいい息子に会わせてくれた帝王切開に感謝しています。



葵 るかさん

お住まい  茨城県
帝王切開の回数  1回
出産地  茨城県
出産年齢  20代
子の生年月  2004.11
産院(総合・個人)  個人

昨年11月、前置胎盤による帝王切開で出産しました。

22週の健診で胎盤が低めにあると言われ、1ヶ月を待たず次の健診に来るようにと指示されました。

25週の健診で前置胎盤と言われ、色々な本を探しましたが詳しくはわからず、ネットで見つけたのがこちらのホームページでした。

体験談を読んでいくうちに初めて、帝王切開が大変なものだと知りました。

27週の健診では低置胎盤と診断名が変わり、もしかしたら胎盤が上がるかも...との期待もありました。

しかし、29週の健診で再び前置胎盤と診断され、帝切の予定を組まれました。(37週以降だと子宮がもたないだろうということで)

8ヶ月まで立ち仕事をしていたので、このままいけば大丈夫と、安心していたのですが、33週の時張りがおさまらない状態に。

家事で5分立っていると痛みが出るようになってしまい、次の日夫に付き添ってもらい病院へ。

出血はなかったのですが、即入院。24時間ウテメリンの点滴生活がはじまりました。

大好きな散歩もやめ、仕事も産休前から休み、体重も+3キロと体調には注意していたにもかかわらずの入院にヘコミました。

でも先生の出血したら取り返しがつかないという言葉もあり、ただ我慢の日々でした。

10日間ほどの入院で、一時退院。37週で帝切。退院後もウテメリンは1回2錠、1日3回飲んでいました。

 

帝切2日前に再度入院し前日夜から絶食。しかし薬を飲まないと張ってしまうため、一口分の水で薬を飲んでいました。

当日は午後手術だったので朝から点滴。自己輸血は準備していませんでした。

手術室に運ばれましたが、脊髄麻酔が寝たまま入らず、座って針を入れました。

切っている時は痛みを感じませんでしたが、取り出したとたんに激痛が始まりました。

後陣痛だったらしいのですが、これがまた強烈に痛い!!先生方が話しながら縫っているのが腹が立つくらい痛い。

早く痛み止めを!と思っていたのですが、いい痛みだから、我慢してと言われました。

 

その日は深夜に痛み止めを注射。座薬は次の日の朝でした。

導尿の管が入っていたのでその日は病室に連れてきてもらい、初めて抱っこしました。

傷口はホッチキスで止められていました。

わが子は37週1日で3056gあり、(もう1週先だったらどんな大きさになっていたか)2ヶ月半の現在6kgにまで成長しました。

 

下から産む事の重要性より無事生まれてくれた事に意義があると思います。

そんなふうに誰にでも胸を張って言えるのはこのホームページに出会えたからです。皆さん本当にありがとうございます。



すがぬんさん

お住まい  千葉
帝王切開の回数  1回
出産地  千葉
出産年齢  20代
子の生年月  2003.8
産院(総合・個人)  総合

妊娠21週に先生から、「前置胎盤ですね~。でもこれから上に上がるかもしれないのでまだ何とも言えない状態です。」といわれました。

初めての妊娠で前置胎盤って??と、なにも知らない私は家に帰って本を読んでびっくり!!

帝王切開、大量出血・・・など書いてあり急に出産が怖くなりました。

胎盤が上がっていることを祈りながら数週間過ごし、検診・・・。 

2ヶ月半たっても胎盤は上がらず、全前置胎盤になりました。

初めて出血したのはちょうど妊娠9ヶ月入った頃でした。おふろから出てタオルで体を拭いていたら、タオルに茶色いものが・・・

もしかして、、と思いもう1度ティッシュで拭いてみるとやっぱり血が!病院に電話すると「すぐきて」とのことでした。

 

幸い、病院についた頃には出血もなかったのでそのまま帰宅。

しかし次の日、トイレに行くとまた出血・・・ 今度は入院の準備をしてきてと言われ診察の結果即入院。

でもすぐ出血は止まり1週間後退院。

退院して2日後、また出血。そしてまた1週間後退院。

入院中はずっと張り止めの点滴と貧血だったので鉄剤をうつ毎日でした。

退院して1週間。

 

早朝、 『子宮からなんか出た!!』と思いトイレに行くと、血が!

今までの出血とは違い、ダラダラ流れていてその場から動けない状態ですぐ母をトイレから呼び、救急車を呼び病院に電話しました。

救急車で病院に着くと即手術とのこと。そして先生の話を聞いたり、手術の準備をしている間も血は止まらずダラダラ・・・ 

予定帝王切開までまだ1週間日にちがあったから心の準備ができていなく、不安と恐怖でいっぱい・・・。

 

いざ、手術。麻酔の注射が痛いと聞いていましたが、最初さすときチクッとしただけで、思ったより痛くありませんでした。

麻酔は左側から効いていき、とくにしびれもなくいつのまにかお腹を切られていました。

赤ちゃんを出すため、お腹を押されたときは痛苦しく、唇もカタカタ震えだすしどうなるかと思いました。

途中意識がもうろうとしている中、赤ちゃんと対面!!とても小さかったけどとってもかわいかった。

そのあと、手術にどのくらい時間がかかったかわからないけど、結構出血していたらしく、先生が「ガーゼ持ってきて!」とか「クーパ」とか言ってたのを覚えています。

術後、先生から話を聞くと「出血は1000ccくらいと思ってたんだけど、実際は3500ccくらい出血したので輸血を1000ccします。一時、血圧も下がっちゃって大変な手術でしたよ。」と言われびっくり。

そんなに出血しちゃったんだ~、輸血もしたんだ~・・・といろいろ考えちゃいました。

本当は輸血したくなかったんですが貧血と緊急帝王切開のため自己血とることができませんでした。

体は麻酔が左側からきれてきたので体重を右にかけていたせいか右尻が痛く、また仰向けに寝ているのがつらく、右や左に体を向けたいけど、その体制にするのに傷口が痛み、その日は寝れませんでした。

 

翌日から歩きましたが、傷口と子宮収縮が痛く、トイレにいくのもやっとで痛み止めの注射をしてもらったりしました。

授乳がちゃんとできるようになったのは3日目あたりからです。

今では帝王切開だったけど、この子が無事生まれてきてくれたので満足してます。

けれど2人目の妊娠がまた前置胎盤だったら・・・と思うとちょっと考えちゃいます。



ポコタ。さん

お住まい  大阪府
帝王切開の回数

 1回

 (1人目は経膣分娩)

出産地  大阪府
出産年齢  20代
子の生年月

 2002.2

 2003.8

産院(総合・個人)  総合

6ヶ月(20週)検診時に胎盤が下に有り大量出血を起こすことも有るので出血が有れば直ぐに受診することを伝えられる。

23週に少量の出血有り。検診してもらい止まっているので帰宅。

この時に仕事も休み自宅安静に。

30週と3日。朝にトイレに行くと少しの塊と流れる出血が有り、急いで病院へ電話して救急車で病院へ。

病院に着いてからは尿管と張り止めの24時間点滴をつけてベット上安静に。

翌日、止まっているとの事でポータブルトイレに変更。

その翌日には室内にトイレが有った為にトイレに変更。

31週と4日。張りがあまり無い為に24時間点滴も取れ、内服薬に。

そして2日後にはシャワーを許可される。

 

しかし、翌日32週と1日に座っていたら出血。翌日止まり、少し歩くことを許可されていたが怖く、病室以外出なくなる。

この時にはトイレに行くことも怖かったです。

34週と1日に再び出血ガーゼで圧迫止血。これより24時間点滴再開。

帝王切開予定日が8/20に決定。

35週と1日に出血、圧迫止血をした時に緊急になってもよいように剃毛と輸血剤の予約。

その後少し出血が外に付くので確認してもらうと少量の破水が確認され。

48時間以内に出産決定で8/14に手術変更。

破水している為に尿管をつけ、菌を抑えるために点滴を入れる。

翌日の夕方に再び出血を起こし先生が確認後。1時間後に緊急帝王切開が決まる。

そのまま手術の内容説明(出血が多ければ輸血しなければならない事、もっとひどければ子宮もとってしまう事等)同意書説明も有りました。

1時間の間に母に上の子を連れてきてもらう事が出来、一度抱っこをさせてもらいその後、ベットのまま手術室入り口に。

 

手術室に入れば背中に麻酔を打ち先生や看護婦さんが何度も声をかけて下さるので安心して産まれてくるのを待てました。

12分後、大きな産声と共に出てきた我が子です。

点滴、血圧の機械をつけているので抱けませんが握手だけはさせて頂きました。

助産婦さんが我が子を迎えに来てくださり、病棟、分娩室の有る階へ。

体重等を電話で連絡頂き、直ぐに教えて下さいました。

助産婦さんも先生も私自身も体重には驚きました。

4日前の推定体重が2002gだったことや、一ヶ月前の出産なので2000gを越すか越さないかと思っていたのに、しっかりと成長していたようで2415gも有り本当に感謝しました。

産まれた後は眠らせていただく事をお願いしていたのですが、途中先生に聞かれ最終的に「もういらないです。」と言い、最後までボーとしながら先生たちの話しを聞いていました。

その分、手術室から出て上の子や主人、両親の顔が見れてとてもほっとしました。

 

胎盤は背中側に有った為、上手にとれ輸血も無く子宮もとらなくてすみました。

翌日の点滴がすべて終了したときに尿管もとれ少しずつ動くように言われトイレに行きました。

2日目には病室のななめ前が新生児室だったので窓越しに見に行きました。

3日目にはシャワーが許可され一ヶ月ぶりに。4.5日目には半分ずつ抜糸をして7日目には退院でした。

我が子は保育器に3日目の夕方まで、でもその間も点滴だけだったのでミルクを飲ませ行っていました。

4日目より授乳開始。母子同室も可能で10時から22時まではベットの横に来ていました。

7日目の朝の黄疸検査で数値が低ければ一緒に退院と言われクリアしていたので一緒に退院出来ました。



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