- 羊水汚濁 -

帝王切開の理由別体験談

れいママさん

お住まい  東京都
帝王切開の回数  1回
出産地  東京都 
出産年齢  20代
子の生年月  2008.2 
産院(総合・個人)  都立病院

私は予定日が1月28日の初産婦でした。

妊娠中は順調で何も問題はありませんでした。

でも、私と旦那の身長差が30センチもあったので、念の為レントゲン撮影しましたが、問題なく自然分娩できるとの結果でした。

でも、分娩中何かしら異常があったら緊急帝王切開になりますとの説明はありました。

 

そして、予定日前の最後の健診の朝、おしるしがあり、そのまま健診の為、病院へ向かい、診察を受けましたが2~3日中に陣痛が来る人もいれば1週間経ってもこない人もいるし様々だから、気長に待ってちょうだい先生に言われ、その日は帰ってきました。

そして、2月1日の夜、その日は今までになくお腹の張りがあったんですが、あまり気にならない張りだったのでそのまま就寝したんですが、

明け方(5時くらい)、激しいお腹の張りで目覚め、時計を見ると15分間隔の陣痛でした。

そこから10分間隔になるまでひたすら耐えて、病院に連絡したら「6~8分間隔になったら

再度連絡下さい」と言われたのでまたひたすら耐えてました。

 

そしてお昼頃7分間隔になったので、病院に連絡すると「入院の支度して来て下さい」旦那に車を出してもらい病院へ。

すぐに診察して「子宮口2センチだね!そのまま入院して!」内心、ドキドキでした。

病棟にあがり、NSTを装置し、担当の先生が内診にきて、「早ければ今夜だね!」と明るく励ますように言ってくれました。

今思えば、その時は嵐の前の静けさって感じでした。

 

陣痛室に入り、助産婦さんが1時間間隔で様子を見に来てくれて、その度に心音を聞いて「赤ちゃんも頑張ってるからお母さんもがんばって!」とずっと励ましてくれてました。

そして、夜の11時頃、5分間隔の陣痛。子宮口は3センチ。

これまで味わったことのない痛みが押し寄せてきてました。

日付がかわり、0:45分に破水。陣痛は3分間隔。

破水をしたので助産婦さんを呼んで確認してもらったら、助産婦さんの様子がおかしくて、「破水じゃなかったんですか??」と私が聞いたら「羊水がちょっと汚れてるから先生を呼んでくるね」

と言って先生を呼びに行きました。

そしてすぐに当直の先生が来て内診。先生が「もう少しがんばってみよう!赤ちゃん頑張ってるから!」と。

先生は分娩中だったらしくすぐに戻っていきました。

 

3:10頃、とうとう陣痛1分間隔。

助産婦さんが内診。「子宮口が4センチだね。ちょっと先生を呼んでくるね」と。

すぐに先生がきて「赤ちゃんを優先しましょう。これから緊急帝王切開になります。

ご主人は外で待ってて下さい。手術の準備が出来たら手術室へ向かいます」と説明され、なすがままでした。

分娩着を脱がされ、心電図を付けられ、点滴されて、手術室へ。

3:45分手術開始。4:17に無事女の子を出産しました。

 

薄れ行く意識の中で産声を聞いたときには感無量でした。

あとから先生の説明があり、「子宮口が開かず、赤ちゃんがお腹の中でう○ちをしてしまい、羊水が汚れてしまっていた。

あのまま自然分娩だったら子供の命が危なかった。今回は帝王切開だったけど、次回は自然分娩でも大丈夫です。」と説明がありました。

手術では主治医の先生が執刀して頂きました。

主治医からは、「れいママさん。よくがんばったね!えらいよ。れいママさんも赤ちゃんも助けるからね!私が絶対二人を助けるから!」

と言ってくれた時には号泣してました。

先生に「先生、ごめんね。下から産めなくて。ごめんね」と泣きながら謝っていたら、「謝ることないよ。れいママは陣痛に絶えたんだもん。自然分娩と同じだよ。」と言ってくれた言葉は今でも頭の中に残ってます。

 

周りの人からは、「帝王切開だと産む苦しみが分からないでしょ。」「お腹切ってかわいそうね」と色々な事を言われました。

産後はマタニティーブルーにもなりました。

自分が下から産めなかった事。周りの人からの言葉などですごく落ち込みました。

でも私は、「この子を産めた事。信頼している主治医の先生にこの子を取り上げて貰ったこと。

帝王切開で何が悪い!ちゃんとしたお産なんだ!」と胸を張れるようになりました。

 

今では、「帝王切開だったんだって?かわいそうね」と言われても、「はい!帝王切開ですよ!かわいそう??なにがですか?

ちゃんと立派にこの子を産んだんだからかわいそうって事はないとおもいます。」と言えるようになりました。

雨のときや寒い時に傷口が傷みますが、勲章!って思ってます!



えりえりさん

お住まい  長野県上田市
帝王切開の回数  1回 2人目はVBAC
出産地  長野県上田市 
出産年齢  20代
子の生年月  2006.4/2008.1 
産院(総合・個人)  上田市産院

一人目の出産はすごく陣痛がくるのがすごく楽しみでした。

でもなかなかこなくて予定日の一週間後、夜中からジワジワと。

これからどれくらい痛くなるのかドキドキワクワクしながら朝、産院に電話して朝食を食べてから来てくれとのことで、またワクワクしていたら突然の破水。

 

朝食は後回しですぐ産院へ。もうじき生まれるんだーと期待しながら内診や着替えを済ませ

病院の朝食を食べ、少しづつ強くなる陣痛を楽しんでいたら突然、先生が「これから帝王切開の説明をします」 

そこから私の頭は真っ白・パニック。帝切なんて私の頭には片隅にもなかったし、なんで?なんで?

説明を聞いてもわけわからずボーっとしていたら助産師さんがきて、

私の顔を見て「どうしたの?」という言葉に「切らないといけないのかな?」と半分泣きながら聞いていました。

助産師さんはやさしく説明してくれて「赤ちゃんを優先させた先生の判断だから、今回切っても次 下から産む事もリスクは高いけどできるよ」と聞いて、少しホッとして手術を受け無事出産。

 

手術はとにかく怖かったです。裸で台に乗った時、実験のマウスの気持ちでした。

術中はとにかく喉は渇くし、腰から下が重く感じ横向きたいしで、産声を聞いたら疲れて目を開けるのも大変で赤ちゃんを見れずにいたら先生から「赤ちゃんの顔くらい見てあげてよ」と言われ、何とか目を開けて見たら、ちっちゃいサルのような子が。

はぁ~生まれたんだ~と眠りました。

その時、寂しかったのは私のお腹から出てきた赤ちゃんを抱っこしたのは次の日。

私が一番最後という事でした。

私の両親・旦那の両親は産まれたその日に抱いて、ニコニコの写真があります。

術後、私の体を気づかってくれたのは私の母と旦那だけ。

そんなもんだろうと思っていても苦しい思いして、おまけに義母には「帝切じゃあ出産の痛さ知らないんだね」と言われ最悪な気分でした。

 

次はどんなに危険でも絶対に下から産んでやる!と決心しました。