帝王切開の理由別体験談
お住まい | 愛媛県 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 愛媛県 |
出産年齢 | 20代 |
子の生年月 | 2004.9 |
産院(総合・個人) | 総合 |
妊娠中はひどい悪阻と貧血になったくらいで胎児にはまったく何の問題もありませんでしたが、分娩時の異常で39W3Dで緊急帝王切開になりました。
私が通っていた病院は計画分娩をしていて問題なくても初産婦で39週、経産婦で38週で入院して陣痛促進剤を点滴して出産させていました。
私は初産婦だったので39週に入院することになりました。最後の健診(38週)の内診で「子宮口もいい感じになってるよ」と言われもうすぐだな~と思っていました。
~入院~
1日目。浣腸されました。
できるだけ我慢してと言われたので必死でこらえて1分数えてトイレに直行。
その後お腹が落ち着いてから剃毛・内診があったあと、陣痛室に入り陣痛促進剤を投与されました。
それからほどなくして陣痛らしきものがきました。
1時間毎に投与量を増やされたのですが、それに伴ってだんだん痛みが強くなってきました。
モニターは常につけていて1時間ごとに波形をチェックされました。
「これは今日生まれるかもね」と助産師さんに言われました。
昼から旦那が来てくれていたので背中をさすったり相手をしてもらったりしていました。
夕方になって、結局その日は生まれませんでしたが「いよいよ明日だな」という心構えでした。
夜は点滴もモニターもはずして普通に寝ました。
2日目。また浣腸。
1日目と同じように陣痛室で点滴。
この日が生まれる予定日だったので朝から旦那が来てくれていました。
朝の内診で子宮口は3cmでした。
バルーンをいれられました。
バルーンをいれられたせいか、前日よりも陣痛は強かったです。
昼過ぎにバルーンが抜けて子宮口は5cmになりました。
でもバルーンが抜けると陣痛がスーっとひいていきました。
促進剤は投与されているものの陣痛が弱くなったんです。
同じ日に入院した人が先に出産しました。
分娩室から赤ちゃんの声がきこえてきました。
夕方の内診で「子宮口はいい感じだけど赤ちゃんの頭が下がってきてないね。あなたはきゃしゃだから赤ちゃんが骨盤を通れないのかも。明日の朝レントゲン撮ってみましょう。無理そうなら帝王切開になります」と、約10ヶ月通院していてそのとき初めて”帝王切開”という言葉がでました。
かなり動揺して旦那と助産師さんの前で泣いてしまいました。
心の準備なんてできませんでした。
その日、病室に帰る途中に「あら、生まれなかったの?」と声をかけられ「はぁっ!?」と思いましたが口にも出来ないくらい落ち込んでました。
大部屋だったので他の人の声ももちろん聞こえます。
カーテンで仕切られているだけですからね。
その日出産した人と同じ部屋だったんです。
カーテン越しに「おめでとう!」の声。
赤ちゃんをビデオに撮っていたのか赤ちゃんの声。
その時の私には拷問でした。
その夜はほとんど寝られませんでした。
この日の夜から絶食スタート。
3日目。またまた浣腸。
落ち着いてからレントゲンを撮りに行きました。
いろんな格好で撮りました。
結果なんとか通りそうだけど尾てい骨の形から、6割帝王切開といわれました。
とりあえず昼まで点滴して分娩停止になるようなら帝王切開するということでした。
14時すぎても有効な陣痛はつかず、内診したあと人工破膜をされました。
医師は「まだ頭がプカプカういてる」と言ってました。
破膜の後かなり息苦しくなって鼻に酸素のチューブがつけられました。
その頃になると胎児のモニターがピーピー鳴るようになりました。
医師も助産師も「(心音を)とりにくくなってるね」と言ってました。
それからほどなくして「これはいかん!これはいかん!○○先生呼んで!」と医師があわてだしたかと思ったら、私は目の前が真っ白になって手足がしびれて感覚がなくなりました。
旦那は外で待たされていたのですが、その時私はすごい声を出していたそうです(汗)
へその緒が先に飛び出し、医師はそれを子宮に戻していたようです。
その後すぐに分娩室に行って医師2名がモニター2台を使って心音をとってました。
30とか60とか言ってました。
医師に看護師に助産師と周りにたくさんいました。
そして緊急帝王切開ということになりました。
▽手術まで
「ご家族に同意取れました」という看護師さんの声が聞こえました。
本当に救急だったので麻酔や手術の同意書にサインしてる暇はありませんでした。
私は医師に「麻酔するんですか?」と聞き医師は「するよ」と答えました。
以前に胞状奇胎で2度ほど全身麻酔をした経験があったので手術も麻酔も怖くなかったです。
私は剃毛されてストレッチャーに乗り換えて手術室に向かいました。
みんな走ってました。
手術室に到着するとすぐに麻酔をかけられました。
過去2回のものとは違って息が出来なくて死んでしまうのかと思うほど息苦しかったです。
▽手術後
手術が終わって抜管され病室に戻りました。
今度は個室になってました。
まだ麻酔の影響で頭も耳も目もボケーっとしてました。
何時間たったのかは分かりませんが、産科医、小児科医が来て旦那と母に何か話しをしていました。
覚えてるのは「へその緒が・・」と「じゃぁお父さんが付き添いで・・」だけです。
麻酔がだんだん覚めてきて少しなら会話もできるようになったころ旦那が帰ってきました。
表情がかなり暗くて口数も少なかったので赤ちゃんに何かあったんだと思い、聞きますが「ただの検査入院」としか言いませんでした。
あとで知らされたんですが、赤ちゃんは生まれたときに呼吸してなくて心臓もかなり弱っていたんです。
アプガースコア3点という重症の仮死でした。
新生児痙攣と新生児仮死でNICUのある別の病院に搬送され入院しました。
産後1日目。
足につけられていた血栓予防のエアバッグと尿道カテーテルを外してもらって歩く練習をし始めました。
後陣痛がひどくて2回くらい痛み止めの注射をしてもらいました。
起き上がるだけで何分もかかっていたのでトイレにいくのも一苦労でした。
まだ絶食で水もだめでした。1日中点滴してました。
産後2日目。
絶食&点滴は変わらず。起き上がる練習と歩く練習をしてました。
おっぱいが張り始めるも赤ちゃんにあげられないので搾っては泣きながら捨ててました。
産後3日目。
おかゆメインの食事。
点滴は朝と夜の2回だけになる。この日やっと赤ちゃんに面会に行けました。
泣くまいと思っていたのにやっぱり泣いちゃいました。
思っていたよりも小さかったです。
超音波では推定体重が3000g超えていたのに生まれたのは2800gでした。
ちなみに私の身長は148cmです。
産後4日目~退院まで。
2日くらいおかゆが続いてその後は授乳食になりました。
冷凍母乳を作って毎日NICUに運んでいました。
冷凍母乳は授乳室で作っていたので、他のお母さんが授乳しているのが嫌でも目に入るので毎回とてもつらかったです。
「今できることは母乳を搾って持っていくことくらいだ」とがんばって搾乳しましたが、ストレスのせいかあまり出ないし「初乳は冷凍したら意味ないけど出るうちは持って行ったら?」と、本当に医療従事者!?と思えるようなことも言われ とにかく早く家に帰りたかったので5日早く退院しました。
退院してからも毎日NICUに面会に行きました。
赤ちゃんは2週間で退院することができましたが経過を見守っていく必要があるそうです。
2月で5カ月になりましたが今はとっても元気にしてます。
後で産科医に聞いたのですが、あの状況で命が助かったのは奇跡的であと何分か遅かったら死産だったかもと言われました。
私が経膣分娩を強行したわけではありませんが、できるだけがんばってみたいという気持ちはありました。
今回のことは誰のせいでもないでしょうが、自分を責める気持ちは今でもあります。
ある助産師さんに「一番大事なのは赤ちゃんを安全に出してあげることだから」と言われました。
その通りだと思います。
経膣分娩でも帝王切開でも子どもにしたらどうでもいいことかも知れませんよ?
ママはママですよね。
お住まい | 神奈川 |
帝王切開の回数 | 1回 |
出産地 | 神奈川県 |
出産年齢 | 30代 |
子の生年月 | 2003.10 |
産院(総合・個人) | 総合 |
私は去年の秋 二人目(次男)を家の近くの市立病院で帝王切開で出産しましました。
これがなんと妊娠中から3度の入院、喘息が2回、切迫早産が1回(2ヶ月)と無事出産できるか不安な中の出産で・・・。
40週(予定日)に産気づいて、分娩室で陣痛に耐えて4時間位経過した子宮口7cm開大したころに、担当の先生が「内診しましょう」「破水しましたね」とそこまでは順調だったはずでした。
なかなか先生の内診が終わらないのです!
痛いので、早く終わらないかなぁ~なんて呑気に思っていたら、気が付くと私のベットの周りには産婦人科の先生がフルメンバー(5人)がいるではありませんか!
何事がおきたのかとビビッていたら、担当医「○○さん 落ち着いて聞いてください」
「臍帯脱出と言って、赤ちゃんの頭より先に臍帯が先に出てしまって、戻そうとしたのですが、無理なので帝王切開します」
「緊急の緊急なので全身麻酔でしますから・・・。」
「赤ちゃんの頭が下がって来ないように圧迫をしないといけないから、内診したままの状態で手術室に移動するから、がんばってね」と言われ、看護婦さんは「手術のサインここにして」なんて言ってるし、他の看護婦さんはサインしている私に剃毛していて、先生がベットの上に乗ったまま違う階の手術室まで移動したのです。
もちろん 一般の人にも見られました。
本当に悲惨な状態でした。
手術室に待機していた麻酔科の先生「喘息持ってない?」
担当医「喘息あります」
「食事はしてない」 「しました」
「水分は」 「15分前にとったばかりです」
私はこのまま全身麻酔で窒息死してしまうのではと心配の中、麻酔をかけられました。
(全身麻酔って苦しいのですね)
無事 3292gの男の子を出産しました。
出産の時にやはりかなりのストレスが赤ちゃんにかかったそうで、そのまま小児科に入院で会えませんでした。
あとから看護婦さんに聞いたところによると「臍帯脱出」なんてそうそうないトラブルと言われ、無事に産まれてきてくれただけでも、良かったと思っています。
術後は普通の人の使う鎮痛剤が喘息の私には使えないらしく、かなり痛い状態が3日ばかり続き、産まれてから4日目にようやく、わが子と対面しました。
帝王切開の傷はケロイドになっていて非常に痒くてたまりません!
今のところ3人目が欲しいという気持ちになっていないのですが、しばらくしたらこの傷をきれいに治したいと考えています。
今私がよく考える事は 本当に無事に出産が出来た事に感謝しています。
正直に、帝王切開で出産なんて運がわるいなぁ~なんて思った事もありましたが、子供の元気でかわいい笑顔を見たら、ぶっ飛びます。
切迫早産で入院していたときに色々な出産を見てきました。
出産とは本当に命がけなんだとも思いました。
なので、帝王切開でも無事に出産できたら、私にはそれだけでOKなんです。
現在は次男は、とても元気で毎日部屋の隅々に転がっています(笑)