35.貴重児

 

私はこの妊娠の2年前に癌が見つかり、抗がん剤の治療を受けた為、恐らく子供は無理という宣告を受けました。

それが原因で結婚秒読みだった彼と別れました。


夫との出逢い、結婚も迷いはありましたが(子供も産めないし)何故か前向きになれて、奇跡も起こるような気持ちになれました。
結婚から半年で本当に妊娠!!

夢なんじゃないかと嬉しさと、変な不安が同時にありました。
妊娠に向けての努力は、自分の人生の中でひとつの事をこんなにもがんばったことは無いかも・・というくらい、ありとあらゆる事をしました。


しかし、私に関わる医師の誰もがおめでとうでは無く 「う~ん、ちょっと状況が厳しいので諦めていただきたい」・・と。

産むということしか頭に無かった私は、必死で私の思いを受け止めてくれる医師を探し続けました。
ですから最初から帝王切開を念頭において、という状況でした。


大きなリスクを抱えての出産、だからこそこの子は本当に誰にとっても貴重な子、一番ベストな方法で産みましょうと担当医師は言って下さいました。
医学的に見ても私の体の状況での妊娠は非常に難しいので、あえて貴重児ということで帝王切開もということでした。
その言葉に涙し、無事生まれてきてくれることだけ考えました。


よく帝王切開は負け犬というような偏見があるようですが、私のようなモノにとっては産む方法はむしろ重要ではなく、わが子をしっかり腕に抱き、一緒に生きてゆける事のほうがずっとずっと大事でした。


実際、ある助産師さんに、私の思いなど関係なく 「出産方法なんてどうでもいいんです!!母子共に健康であれば。だから気にしないでがんばってください!」と言われたのには嫌な気がしましたね。

ああ、現場にいる人間にさえもこんな偏見があるのかと。


担当医師が経過を見て順調だったので、帝王切開と自然分娩の二本立てで行きましょうという事でした。
しかし、いつでも帝王切開に切り替えられるようにという条件付でです。


ところが臨月に入り、血圧に変動が。

尿蛋白とむくみは無いものの140台/100という数値に。
検討の末、予定帝王切開(38w2d)となりました。
ところが予定切開日3日前の最後の定期健診前日の夜陣痛が始まり、のんびり屋の私は「ああ、これは前駆陣痛ってやつだ」とのんきに構えておりました。
痛みは周期的で、夫は私の異変にもしや陣痛??と痛みが治まるとすーすー寝息を立てる私の横で一睡もせずに朝を迎えたそうです。
翌朝、検診前に自宅でトイレに行き、出血(おしるし)を確認。病院に連絡を入れました。

病院11:30着、僅かの時間内に陣痛開始を確認、医師の内診で子宮口5センチ大との事。
ホントにのんびり屋さんですね~と笑われつつも診察室の空気は一変して緊張に包まれました。


間に合いません、今日出しましょう。
医師のその一言から、家族に連絡(それさえも担当医師が院内携帯でじきじきに実家に連絡して下さいました。)

おにぎりを食べてしまっていたのですが、麻酔科に行き検査、食事の件正直に告げる(まれに胃の中にモノがあると吐き気を催すので、正直に申告してくださって良かったですとのこと、緊急帝王切開の場合もしかりかも)


13:00病室に。本日のみ経過観察のためナースステーション脇の部屋に。
13:30剃毛、点滴開始。同時に慌しく複数の書類に目を通しサイン。
冷静な私に反し主人の動揺した様子。母と叔母が到着。


15:00手術室へ。
15:36無事娘の産声を聞く。
陣痛発来の影響で(娘本人は自力で産まれて来る心づもりだったようです)娘は急に外界に取り出されたことによる一過性の呼吸困難とショックから低血糖になり、すぐに小児科医の立会いのもと保育器に入る事に。
しかし私には大きな声で4回も泣いたので、絶対に大丈夫と母の確信がありました。
だから心配はしませんでした。

こんなリスクを背負った私の元に生まれてきてくれた本当に本当に貴重な子供です。


後に小児科医より娘の症状は、帝王切開では起こる可能性があること、陣痛が来ていたので余計に娘にストレスがかかったとの説明を受けました。。

不安を助長するかもしれませんが、こんな事も起こりえる、でも、今の適切な医療のもとでケアすれば普通の赤ちゃんと同じに問題ないことも経験者として書き残そうと思います。


退院が私に遅れて2日となりましたが、後の昼夜無い育児に備えて2日しっかり休ませていただきました。
私の場合術後3日目より母乳が出始め、溢れるように出ていたので母乳でいけますね、と助産師さんからお墨付きを頂きました。

同時期に2人自然分娩で出産されていましたが、母乳が出ていなくて、これは帝王切開、普通分娩に関係なく個人差ということなんだなと思いました。
痛いといわれていた後陣痛も、私の場合は背中に入れた麻酔を継続する事でだいぶ苦痛は和らいだ感じです。
それでも押し出されるような痛みに2日はよく眠れませんでしたが。

二度目になる来年は迷わず帝王切開です。
方法はどうであれ、母になれた喜びは誰にとっても変わりはありませんよね。

むしろそんな事さえ忘れるくらい産後は毎日がめまぐるしく過ぎていってしまいます。


夫は傷を見ると、母の勲章だといってくれます。
そういう考え方もあると思います。
勲章ですよっ。見えないより見えたほうがありがたみがあるって。
いつか娘に話してくれるそうです。
母がどんなに大変な思いをして君を産んだかを。


出産は一つ一つがみんなそれぞれのドラマではないでしょうか。

私は今回もリスクを背負ってしかも年子で2度目に臨みます。

この手に再びわが子をしっかり抱けることを信じて。

 


 

一人目の子は別の病院で経膣分娩だったのですが、分娩外傷により脳障害を負っています。
今回の出産は慎重に病院と担当医を選び、妊婦検診中も担当医との意志疎通に心を砕きました。

担当医もよく理解してくれて、安全第一の方針で臨んでくれました。

妊娠期間は順調だったのですが、臨月になっても児頭が下がって来ませんでした。
骨盤のレントゲンを撮っても、CPDの疑いもありませんでした。
予定日の診察で、未だに分娩の兆候が見られず、今後は胎盤機能が悪化すること、胎児も大きくなって経膣分娩のリスクが上がること、私が前回分娩で陣痛促進剤を使用して結果が悪かったので、今回は分娩の誘発・促進はしたくないことから、3日後に予定帝王切開をすることになりました。(普通は胎盤機能を見ながら陣痛を待ち、機能悪化の時点で陣痛誘発して経膣分娩を目指すようです。)

翌日(入院予定日前日)の夕方、「やけにおりものが多いなー」と思っていたら前期破水で羊水が少しずつ漏れている状態で、救急外来を受診してそのまま入院になりました。
翌日午前中には段々と陣痛がついてきて、「このまま経膣分娩出来るかも?!」と抗生剤を点滴しながら昼まで様子を見ましたが、羊水が少なくなっていてこのまま本格的な陣痛がついたら臍帯を圧迫するなど胎児へのストレスが大きくなること、この期に及んでもまだ児頭が骨盤内に進入していなくて「なんか変」なこと、破水してから24時間経って感染のリスクが上がってきていることを説明されて、安全第一の方針に沿って、その日の午後に帝王切開してもらいました。

手術室に入ってからは、「上の子だって帝王切開にしてもらえていれば障害を負わずに済んだのに」、と涙が止まりませんでした。

硬膜外麻酔を打つのに腰が引けてしまい看護師に叱られてしまいました。
針が入ると骨盤内に痛みが走り、適当な箇所を探すために何度か打ち直す羽目になって、硬膜外麻酔をして半身麻痺になった人の話を思い出して怖くなってしまいました。


執刀が始まっても緊張と恐怖と、前回分娩の色んな思いとで体の震えが止まらず、横にいる看護婦さんの手を握りしめていました。
頭の上に立っている麻酔科の先生が両肩に手を置いてくれると少し安心出来ました。


執刀開始から10分程で助手の先生が「今から赤ちゃん引っ張り出しますよー。」と実況中継してくれて、私の体ごと引っ張られる感じの後すぐに赤ちゃんの産声が聞こえ、「開けてる最中から泣く子は初めてだ。なんか大っきくないか?(推定体重をだいぶ上回っていました)」と担当医の声。

赤ちゃんは私の横を通って新生児科医師の元へ連れて行かれました。

私は泣き続ける赤ちゃんの声を聞きながら30分程処置をして手術が終わり、経過観察室に移されました。
観察室の看護師は、上の子をNICUで見てくれた方で、上の子の時は大変だったものね、と労ってくれて嬉しかったです。

主人は担当医から、「赤ちゃんが予想以上に大きかった。児頭が下がらなかったのはそのせいかもしれない。臍帯を首に1重巻いていたし(これは事前のエコーで分かっていた)、経膣だったら大変だったと思う。切って正解でしょう。」と言われたそうです。

切って正解というのは、私達の選択を尊重してくれた担当医の思いやりから出た言葉かもしれないけれど、「これで良かったんだ。」と心強い言葉でした。

私は帝王切開の医学適応があった一人目の子を、当時の担当医の言うまま経膣分娩で産み、そのために障害を負わせてしまったことを悔やんでいます。

そして、矛盾するかもしれませんが、二人目の子を決定的な医学的適応もないのに貴重児扱いで予定帝切にしてしまうことに抵抗を感じていました。

上の子に申し訳ない気がして…。

 

帝切で生んでしまったら、「あなたは生まれて来る時楽をした。」と、可愛がれなくなるのではないかとさえ思い悩んでいました。
実際には二人目をトラブルなく産めたことで、前回分娩のトラウマから解放され、上の子の分娩のことを思い出すことも少なくなりました。
二人の子供達も同じように可愛く思え、あの不安は杞憂に過ぎませんでした。

 

今後妊娠したとしても予定帝切での出産になるので、分娩法で悩むこともなく、もう二度と「分娩中に何か悪いことが起きるのでは?」と不安を抱えながら陣痛に耐えることもなく、安全確実に赤ちゃんが産めると思うと本当に嬉しいです。

ちなみに私は経膣分娩と帝切の両方を体験しましたが、どちらも苦痛の総和はちょうど同じくらいだと思いました。

そして、側に信頼出来る人(医療スタッフと立ち会いの家族)が常に付いていてくれると、不思議と苦痛は和らぐと実感しました。


 

帝王切開の理由は「貴重児」です。

私は、4年前に1人目の女の子を死産しています。


妊娠経過はすこぶる順調で、39週4日目に、待ちに待った陣痛がきて、妊婦最後の記念撮影までして、産む気満々で行ったら、お腹の中で、すでに亡くなっていたのです。


何の兆候もなかったので、全く信じられず、訳がわからないまま経膣分娩しました。
産まれてきたのは、3200g、50.5cmの今にも産声をあげそうなきれいな赤ちゃんでした。


結局、解剖しても原因はわからないだろうということで、医師のほうから断られたので、解剖はしていません。
考えられる原因は、臍の緒が肩からたすきに掛かっていて、それをさらに、手か足で引っ掛けたんじゃないかということでした。

 

それから、4年、2度の流産を経験し、やっと授かった我が子。
今回の妊娠も、経過は順調で、特に問題はなかったのですが、予定日が、前回と3日しか変わらず、予定日間近になって冷静でいられるか不安だったので、早めに入院したいという希望は伝えていました。

医師も、今回はすごく慎重で、37週0日で入院しましょうといわれ、38週0日に院長の「嫌な予感がする、明日切ろう」という一言で、医学的な根拠がない長年の感だけで、帝王切開が決まりました。


院長は、超経膣分娩派で、私が帝王切開を薦められたのを周りはとても驚いていました。
(後で聞いたら、院長の若い時に2度続けて死産した人がいたらしくって)


ちょうど1週間後が、前の子の誕生日だったので、できればその日に産みたいっていう気持ちもあって迷ったのですが、とにかく医師もいう通り、私たちにとってはお腹の子は「貴重児」だったので無事私は産まれてくれれば、それが一番。
帝王切開に対するコンプレックスは全くありません。(まさか自分が体験するとは思ってませんでしたが)
結局、今回無事産まれた子も、臍の緒が巻いていたらしくて、帝王切開して本当によかったと思ってます。

苦労して産んだと実父に言ったときに、「おまえが産んだんちゃうやろ」って言われて、
「帝王切開ってこんな風に思ってる人もいるんや」ってびっくりしたけど、私は、帝王切開は立派なお産だと思ってるので、全然平気でした。
「何言うてんの、むっちゃ痛いねんで~」と言い返しときましたけど。

確かに、術後3日間はむっちゃ痛かった。
安易に切ってしまったことを後悔しました。
4日目からは、痛みも和らいだので、「早く会えてよかったわ」って思ってましたけど。

一人目の子の時、赤ちゃんがなかなか下りてこないので、レントゲンで、骨盤を通れるか調べてもらって、立派な骨盤と太鼓判を押されたのですが、私の骨盤が狭ければ帝王切開で無事産まれたのにって、我が骨盤の立派さを恨んだものです。

産み方なんて、関係ないのです。
無事我が子を腕に抱けるのが一番。
帝王切開をしたことに、罪悪感や引け目を感じてる人に、是非、自信を持ってもらいたいです。
私は立派なことをやり遂げたんだって。