6.微弱陣痛(P.2)

私の場合は、妊娠8ヶ月頃に胎児が標準より小さく子宮内発育遅延の疑いがあるという事で、個人病院から総合病院に転院しました。
そこで週1の健診で様子を見ていき、体重が増えているようならそのまま。増えなくなった時点で出す。という事でした。

 

何とか少しづつ子供の体重は増えましたが、やはり2000グラムあるかないか位で、予定日の二週間前位にもう体重が増えていないみたいだから出そう、という事で日にちを決めて入院し、促進剤での経膣分娩ということになりました。
ところが、入院予定日の前々日の深夜からおりものがとても水っぽくなり、破水?とか思いながら 破水なら大量に羊水が出るハズと勝手な思いこみをしていました。
次の日が親戚の結婚式だった為早めに就寝。朝になったら用意でバタバタして考える暇もなく結婚式に出席。
けれど立つ度に水が出てこれはおかしいと思い、結婚式が終わって夕方に病院に電話すると
「入院の準備をして急いで来て下さい」そう言われて病院へ。


着いてすぐに検査するとやはり破水していて羊水はほとんど残っていないそうでしたが、子宮口は2センチしか開いておらず、陣痛も来ない為、一晩お腹にモニターを付けたまま様子を見ることに。
深夜になると、不規則にお腹の強い張りがきてその痛みであまり眠れなかったです。
けれど朝になっても子宮口は2センチのままでした。
色々な検査&点滴をされた後、分娩室へ移動して先生が昨夜から付けているモニターをチェックすると、「赤ちゃんが陣痛に耐えられるか心配」そう言われ促進剤を使う予定だったのですが、「今から他の先生と小児科の先生と話し合いをしてどうするか決めるから。」という事に
なり 微弱陣痛に苦しんでいた私は、どっちでもいいから早くして!と思っていました。


先生が来て「今の微弱陣痛でこれだけ赤ちゃんの心拍が落ちているから、本格的な陣痛が来たときに耐えられそうにないし、赤ちゃんの推定体重が小さいから、小児科の先生も立会いで緊急帝王切開にするね」と言われて急いで旦那を呼んでくれました。

しかし帝王切開と決まったのが午前9時位だったのに、先生は午前中に2件帝王切開が入っていて、立ち会う小児科医は午後から手術が入っていていつになったら私の手術が始まるのか分からないまま微弱陣痛の痛みと戦っていました。
それから、剃毛&尿道をされてお腹の張りを抑える点滴をしました。
尿道の違和感がたまらなくイヤで何回も先生や看護師さんに「取ってもらえませんかね?」と聞きました(笑)
そして、午後になりやっと手術は午後5時に開始します。と連絡が入りました。
5時になり、先生と旦那と一緒に手術室へ移動。その時に「赤ちゃん2000グラムなかったら小児科の先生に
NICUに)連れて行かれるかもしれないから2000グラムあること祈ろうね」と言われました。
最近はベッドごとベルトコンベアーみたいなもので手術室のベッドへ移動するのに驚きました。

 

手術台に寝かされ、ほぼ全裸に近い状態になり麻酔医が来て「今から麻酔を開始します」との事。

手術室へ移動する前に麻酔医(きれいなお姉さん)から細かく説明があったので不安はありませんでした。
背骨の間にすると聞いていたのでかなり痛いかと思っていたのですが、全然痛くなくて結構すぐ麻酔は効いてきました。
その間も麻酔医はずっと横にいて話していてくれたので安心できました。
そして、小児科医も来ていよいよ開始です。

20分位で完全に麻酔が効いたので、先生が「今から開始します。もうすぐ赤ちゃんに会えるよ~」と言われいよいよ手術開始です。
それから5分位してとても元気な「おぎゃ~~~~!」という声が聞こえて自然に涙が流れてきました。
それから赤ちゃんをキレイにしてから連れてきてくれて、小さくて眠そうな我が子に初対面しました。

少しだけ手を握りました。
そして子供は連れて行かれ、お腹を縫っている間に小児科医から手術室に電話がかかり、体重は2536グラムという事でした。

担当医も「うそぉ~~!!よかったね~!」と言ってくれ私もうれしかったです。

 

それから1時間位して病室に戻り、旦那は感無量の様子でした。
すぐに足にむくみ防止の為の機械を着けられましたがとても気持ちよかったです。
すぐに看護師さんがほやほやの子供を連れてきてくれて改めてご対面。
小さくてふにゃふにゃでかわいかったです。
尿道の管がとてもイヤだったので、次の日の早朝に先生が来て歩けたらとっていいよと言われたので必死で歩きました(笑)
やっぱり麻酔が切れてからの痛みはたまらなかったですが、入院した7日間手術の次の日からはずっと子供と一緒にいたので、痛いのも忘れて必死でした。

今になって思うとお腹にいる時は小さい小さいと言われて、転院して帝王切開になってと大変でしたが、
生まれてきたら特に小さいわけでもなくて健康で5ヶ月になった今もとても元気に育っています。
入院費用も個人病院よりは安くて個室を使っても26万位でした。
ただ・・・・食事は・・・非常に質素です。
もう一人欲しいと思っていますが、次は経膣分娩で産んでみたいです。
これから帝王切開でご出産されるみなさま、頑張ってください!!
 


私は200212月に帝王切開で、20068月に経膣分娩で男の子二人を出産しました。
一人目が帝王切開になった経緯ですが、予定日翌日だったと思います。
夕方7時ころトイレに行くと、おりものシートが濡れていることに気が付きました。
破水?と思いはしたものの用があったので、外出しました。
11時ころ帰宅しトイレに入ると、やっぱり濡れている・・・。

流れている感覚はないのですが、ちょっと怖くなって産科(総合病院でした)へ電話。
すると、破水かもしれないのですぐに受診してくださいとのこと。
準備していた入院カバンを持って受診し、診てもらったところやっぱり破水でした。
そのまま入院し感染予防の点滴を打ち始めました。

妊娠中何の問題もなかったため、もちろん経膣分娩の予定。
このまま陣痛が来るのを待ちましょうとのこと。
しかし夜が明けても陣痛らしきものは全くなし・・・。
助産師に陣痛を起こすために階段昇降が一番いいよと言われ、5Fの産科から1Fまでエレベーターで降り、5Fまで階段で上ることを繰り返しました(降りるのは羊水が振動で出てしまうのでダメだそうです)
運動のかいあってか、その日の夕方から陣痛が始まりました。

 

しかし初産婦のため子宮はなかなか開かず、微弱陣痛が続きました。
微弱と言っても痛いものは痛い!夜通し痛みに耐えていました。マッサージする主人も母も、もちろん私も疲れ・・・。
そして入院して2回目の朝を迎え、お昼前に先生が「陣痛促進剤を点滴しましょうね。そしたら3時頃には産まれるはずよ」とのこと。

 

私たちは同意し促進剤を投与しました。
それからの陣痛が更にキツイ!!

 

促進剤のおかげか陣痛も12分間隔になり、子宮は9センチまで開きました。
そして夕方6時頃陣痛室から分娩室に移動。
しかし移動してしばらくすると、陣痛の間隔が5分くらいに伸びてしまったのです。
促進剤はずっと投与しているのですが、明らかに陣痛の強さも弱くなりました。
そこへ先生が「陣痛が始まって長いから、促進剤をこれ以上投与しても子宮が疲れてしまって反応してくれないはず。陣痛の前に破水してるし、羊水が混濁してきているから帝王切開を勧める」とのこと。
ただ、もうしばらく頑張ってみるなら様子をみながらそれでもいいよとのこと。
しかし、28時間くらい陣痛に苦しんでいたし、出血が段々ひどくなっているので迷わず帝切をお願いしました。


~1人目~
予定日の1週間前の検診で、軽い妊娠中毒症と診断されて(むくみと蛋白が出ました)、そのまま入院しました。

最初の子供だったせいか、なかなか陣痛が来なくて予定日1週間を過ぎたころ、病院で産気づきました。

当日の朝、夜の仕事をしている主人に連絡を取り、子宮の全開まで待ってから、分娩室に入りましたがなかなか赤ちゃんが降りてきません。
結局原因がわからないまま(微弱陣痛と旋回異常で)、緊急に帝王切開になりました。

~2人目~
予定日に陣痛が来ました。夜中に医師が呼び出されて、陣痛をこらえながらレントゲン撮影をしました。

よくはわからないのですが、普通の人と違って産道が少し狭いそうです。
しかも産道が狭い人の位置じゃなく、普通の人なら広がっているはずのところが、赤ちゃんの頭ぎりぎりで、一人目の傷もあることだし、危ないので翌日の日中手術することになりました。
そのときの陣痛を止める薬が結構辛かったです。

~3人目~
さすがに前ふたりのことがあり、予定帝王切開ということで通院していました。
三人目の余裕がいけなかったのでしょうか。7ヶ月に入ってから上の子と違う様子に気づきました。

ほとんど中期にはお腹が張らなかったのに、1時間に一度ぐらいの割合で張るようになりました。

おりものも異常に多く、失禁したかと思うほど・・・。
でも、九州から来て、核家族で暮らしているのですぐに応援を頼めず、妊娠は一人一人違うんだから・・・と自分に言い訳していました。

 

さすがに2週間目の検診の日の朝、定期的にお腹が張ってきて、これはやはり異常だと2人目を上の子と一緒に保育園に預けて病院に直行しました。
いつもクールで無口な担当の先生があせるのを始めてみました。
推定1キログラムでもう陣痛が始まっているとのことです。

総合病院でしたがNICUなどあるはずがなく、子宮口を縛る手術を試みるため一日様子をみましたが、陣痛が収まらず救急車で母体ごと子供病院に搬送することに決まりました。
今はわりと冷静に思い出せますが、当時はなぜ?どうして?という考えで頭がいっぱいでした。
子供病院ほど設備が整っている病院なら、たとえ破水してもお腹にとどめておくことができるということでしたが、逆子のため3日しか持たなかったです。

2人目の陣痛を押さえる薬とは比べ物にならないくらい強い薬を使い、絶対安静のまま一分でも長くお腹の中に・・・と頑張りましたが、三日目に破水。(後で聞いたところによりますと逆子のため、破水と同時に片足が出ていたそうです)すぐ帝王切開で出産しました。
麻酔が切れるとき、そばにいた看護婦さんに必死で赤ちゃんの様子と性別を何回も聞いていたのをうっすら覚えています。

3人目を子供病院で出産したことで、いろいろ貴重な体験ができました。
病院が遠く車も運転できない私は、3人目が入院中の2ヶ月の間、3度ほどしか面会にいけませんでした。

それでもほかの2人とあまり変わりなく成長しているように思います。
ましてや、帝王切開だけでしたら、うまくいけば産後の何日かでずーっと赤ちゃんと一緒にすごせるはず。

母性が育たないとかはほとんど考えられないと思うのですが・・・。
産後のナイーブな時期にいろいろ言われるのは、本当に辛いでしょう。
でもきっと乗り越えられます。
辛いときはいっぱい泣いてみるのも一つの方法です。(いい年していても・・・)

夏、4人目の赤ちゃんを抱ける予定です。

今回は無理をせず最後の妊婦生活を楽しむつもりです。

(さすがに1人目生んだときに、自分が4児の母になるとは夢にも思わなかったですが・・・。)

 

~4人め~

今回4回目の帝王切開を受けました。

妊娠中引越し、引越し先の事情で出産する病院には7ヶ月の終わりごろ初診でした。
母子ともに異常は見られず、過去三回いろんな理由で切っているので確実に帝王切開で出産する事に。
予定日を7月22日に決めて前日から入院しました。
今回は初めての予定での帝王切開。
少しは覚悟を決められるかと思いましたが、まったくの逆。
怖くって最後までため息をついてました。

手術日、浣腸を済ませ手術の準備に。
今回の病院は新しく器具も最新式らしく、普通のベットからオぺ台に移動するのも機械式でした。
腰椎麻酔と硬膜外麻酔の併用で、麻酔をかけて剃毛。
麻酔が効いたところで手術となりました。でもなぜか痛い気がするんです。
少し麻酔の追加をしてもらいましたが、強くかけられないんですよと言われ、剃刀で切られているような痛みを感じながら、ひたすら産声を待ちました。
30分ほど経ったでしょうか。
元気な声。
何度も・・・何度も・・・。
綺麗にしてもらった赤ん坊は思ったより大きく、男の子でした。

で、私の試練()はいつもこれからです。
あの恐怖の後腹・・・。
当日は麻酔を多くかけたことで、かなり意識がぼんやりして、遠いけど確実な痛みに唸ってました。
硬膜外麻酔を入れて、肩に痛み止めの注射。でも、痛い・・・。

翌日、本格的に痛みだししかもその日から歩行開始のスケジュールでした。
今回の病院は、血栓予防のためストッキングと機械の併用プラス、翌日歩行になっていたみたいです。

 

(癒着を防ぐためでもあるらしいです。)
意外なことに、生まれた赤ちゃんに少し問題がありNICUに入っていると、看護師さんから聞かされました(主人は知っていたらしいのですが、当日は話を聞けるような状況ではありませんでした)。
でも赤ちゃんの状態は安定していて、一時的に呼吸が乱れたとの事。
問題(??)は、頑張って歩かないと彼に会えない事でした。
痛みは限界まで緩和しているはずなのに、その辛かった事。
私の最後の赤ん坊は髪の毛がふさふさで、思いっきりブサイク(^^)でした。
この歩行で自信がつき、背中の麻酔も午後には抜いていただきました。
予想通り痛みが増し、この段階で初めて麻酔が後腹だけでなく、傷の痛みも緩和してくれていたのだと文字通り痛感しました。
それからは、座薬を使いながら少しずつ元気になっていき、息子も4日目に退院。
帰ったらすぐ、4人の子供の世話が待ってましたので13日入院して、かえって来ました。

4回目の正直な感想として、9年前にはほとんどされてなかった、血栓や癒着の対策が進んでいた事に感心しました。
ケロイド対策も(産後半年ほど傷の上にテープを張ってすごすと言う事で)されているようで、こちらは結果待ちですが、ケロイドには今までなったことが無くむしろ張りっぱなしのテープのおかげで、ひどくかぶれてきてこっちが辛いかな。

将来、帝王切開する皆さんが体や心の負担が少しでも少なくなるような、医療・周りの人の理解度・本当に今後も進歩しますように。
手術だからと言って受身のお産ではなく、自分に出来る限りの積極的なお産を次の方には是非体験して欲しいです。
結果的に(自分の態度には不満が残りましたが)、満足度は80パーセントです☆


一人目は体重が20キロ増で予定日の次の日の朝5時に破水し入院しました。
微弱陣痛 前期破水 遷延分娩 胎児心音低下で帝王切開になりました。
臍の緒が2重に首に巻いていました。

二人目はVBACを望み病院を探しました。
やっと見つけたのに1ヶ月早い陣痛が…なかなか赤ちゃんが降りてこず 緊急帝王切開でした。足首に2重臍の緒が巻いてました。

三人目も同じ個人病院で出産予定でしたが、エコーを見ない先生でしたので 予定切開の当日入院でしたが その時にエコーを見て推定体重が小さすぎるのと陣痛が始まってましたので 大きいNICUのある病院に移され陣痛が止まらず帝王切開しました。
IUGR
だった為1900㌘しかなく保育器に2ヶ月半入りました。

出産予定の個人病院でエコーも見ないで切開されてたかもと思うと助からなかった命だったのかも…と恐ろしくなりました。
呼吸窮迫症候群でしたから息が出来ず亡くなってたのは間違いないと思います()

四人目は予定切開で三人目の子と同じ病院でした。

3
人目まで陣痛を経験したので、4人目は陣痛がくる前にオペできたので 満足でした。
病院によって術後が全然違うのには びっくりでした。今回は術後痛み止めを まったく打たないらしく、丸一日痛みに耐えてくださいと言われました。皆 横切りです♪

五人目は24日入院し252時半にオペ室に入り3時半にオペ開始予定でしたが、遅れて3時すぎにオペ室に入り45分オペ開始し416分に誕生しました!
今までは横切りでしたが、5回目だし筋肉もぼろぼろだし傷のつきも悪いから縦に切りました。

術後も経過いいです。

出生届けを病院で書いてもらったら、出生時間を間違って書かれてて 妹が提出に行ったのですが提出ぎりぎりでした!

病院も間違う事があるんだな~とびっくりしました 一時間遅く書かれてました(>_<)

婦長やら看護婦が沢山きて頭をさげにきてくれました(*^_^*)今回は一番良いお産でした。

・一人目の時 先生が笑いながら私のおなかを切ってたので怖かったです!
 おまけに私の後に陣痛室で待機中の方がいたため オペが終わり縫いおわったら麻酔で
 意識がボーッとしてる中 「ほら起きて下さい病室まで歩いてください」とむちゃ言われ
 看護婦さんに肩を抱かれ病室まで歩きました(^^;)
 子宮はとける糸で おなかは端は普通の糸で 真ん中はホッチキスでした。

・二人目は麻酔をかけると赤ちゃんに負担がかかると言われ 麻酔を通常の半分にされ
 手術台で暴れまくりでした 。あまりの痛さに気がおかしくなるほどでした。
 私だけではなく病院の方針みたいで その病院で帝王切開した人皆死ぬ思いをしたと
 言ってました。今 思えばすごいヤブだったのかもなんてと思います(o)
 エコーを見ないでオペ日を決める。麻酔を効かさない 。黄疸を見つけることが出来なかったみたいで

 私が気がついた…そのおかげで子供だけ入院長引いた…。
・三人目は1900㌘だったのと呼吸が下手な子で よく呼吸を止めチアノーゼになり
 退院は2500㌘になったらと聞いてましたが  ミルクも飲めないし 呼吸出来ないから

 2ヶ月半も長い入院で退院時は3800㌘でした。
・四人目は本当に何事もなくでした。後腹が痛かったのは三人目のみでした。
 四人目の時は術後足が動かない事がイライラしベッドで暴れてました。
 癒着は毎回ひどいと言われました。4人目で終わりにするはずでしたが 子宮が分厚い()し 

 後2人は生めるよと言っていただいたこともあり  5人目を2回 流産(単体児)と 流産と外妊
 (一卵双生児)で亡くしましたので ほしいな…と思いました♪
・五人目は不育症と習慣性流産を 体質で持ってましたので 流産したらどうしようと不安
 ばかりでした。流産11回外妊2回で 今回のおなかの子は6ヶ月の時「成長が悪すぎて
 ダウン症かトリソミーの可能性がありますので  このまま 可哀想ですが お腹の中で
 亡くなる処置をします」と言われ、納得出来ない私は担当医を変えてもらい(大学病院は
 担当医を変えられないらしい)粘りに粘り その大学病院にたどり着くまでに あちこちで
 5回目のオペはしたことないからと断られ続け 、たどり着いた事情など話し変わってもらい検査の嵐でした。
 私は障害があっても絶対生むつもりだったので検査を拒んだのですが 検査されまして
 外見の異常は見られないけど 生まれてみてわかる病気もあると言われました。

 


上の子は破水した後に微弱陣痛のため帝切になりました。
出産前夜に3分おきまでの陣痛だったのにもおさまってしまい翌朝破水。。。
慌てて診察してもらって子宮口は4センチ開。陣痛はこなくて促進剤のお世話に。。。
微弱陣痛&出産前にレントゲンを撮ったときに下からは難しいかもと言われてた通り赤ちゃんが降りてくる気配はないままお昼になりました。
「破水したら早めに出産しなきゃ危ない」との事で急遽、帝切になりました。
夕方に行いました。

下半身麻酔から全身麻酔に切り替えての手術で手術中は全然つらくなく術後もひたすら眠くて、痛み止めも使用しなくてもいいくらい爆睡でした(笑)
翌日からは寝すぎたためかつらかったです(涙)

下の子は予定で帝切でした。
入院は貧血などがあったため1週間前からで手術は午後1番下半身麻酔のみでした。
上の子の時と違い出すときもグイグイ押されたり引かれたりですごい時間がかかってました。
途中眠くなる薬は入れられたものの寝れなくて気持ち悪くなりました。
術後はとにかく暑かったのに暖房入れられ寝れなく痛み止めの座薬を1使いました。
寝れなかったため夜中には寝返りなどをはじめ翌朝には自分で歩きました。
段階が早かったため上の子の時より回復は早かったです。


私の場合は、産まれる直前まで経膣分娩で産むだろうと思ってました。
予定日は1230日でした。
まずおしるしが1228日午前5時頃あって、それからだんだん痛みがきました。
おしるしがあったすぐあとに病院へ電話したところ「9時まで様子を見ましょう」ということだったので、9時まで痛みを我慢しつつ待ちました。
9
時になって病院へ電話した時は、陣痛が強くなっていました。
10
時頃病院へ行き、子宮口がどのくらい開いているのか見てもらった所2cmでした。

陣痛の間隔も短くならず、しかし痛みは増すばかり・・・。
「家でまた様子を見てください」との事でしたので、また家に帰されました。
家に帰ってすぐに陣痛の間隔が5分間隔程になり、痛みもとても強くなり でも今病院に行ってもまた帰されると・・と思い16時頃まで我慢しました。
16
時を過ぎるとすぐに病院に行きました。
ついてすぐ子宮口を見てもらった所、さっきとかわらず2cm・・・。
この日は病院に泊まることにしました。

夜陣痛がまたひどくなり2度分娩室に足を運びましたが、子宮口の開きが昼からまったく変化なしでした。
我慢できないくらい陣痛が痛くて、何度もナースコールを押しました。
その日の看護師さんは一晩中腰をさすってくれました。とっても心強かったです。
朝になってもまったく進行せず、いつまでこの痛みを我慢すればこの子は出てきてくれるのだろう・・・・

みんなはこんなに長い間陣痛があるのかなぁ・・・・といろんな思いが頭をよぎりました。

29
日の朝9時・・・母と主人が来てくれてずっと腰をさすってくれました。
主人は立会い出産を希望してくれていました。
もし今産まれてくれたら立ち会えるのに・・・
この日主人は夜勤で夕方から出社しなくてはいけないのです。
夜勤の準備のため一時主人は家に帰りました。
しかし思いとは裏腹にまったくお産が進みませんでした。
14
30分、もう一度子宮口の開きを見ました。このときは4cm。
その時初めて先生から『帝王切開』という言葉が出ました。
頭の中は早く痛みが止まるのなら何でもいい!!!という事しかありません。
もうかれこれこの陣痛も1日半以上続いているので、体力も気力もあまり残っていませんでした。
(食欲もないし水分くらいしか口にしていないので)

 

15時頃主人に説明するため病院に呼び先生から説明がありました。
「陣痛の間隔も短くならないし、子宮も4cmしか開いていない。朝から全く変化がありません。しかもおなかの赤ちゃんが逆回転で出ようとしているため、陣痛が強くなる一方です。このまま体位を変えて促進剤をうって様子を見てもいいですが、ちゃんと向きが変わればいいですが、変わらないことも予測されます。お母さんと赤ちゃんの体力も限界にきています。どうされますか?」と言われました。

私は「どうでもいいから早くだして!」と主人に言いました。
主人も「切ってください」と言ってくれました。

帝王切開すると決まるとすぐに準備が始まりました。
手術台に乗るとたくさん注射を打っていろんな機械を体中にとりつけました。
それでも陣痛はある・・・だんだんおしりの方がむずむずしてきて いきみたいと感じだしました。
手術台の上で全裸でたくさん機械をつけて陣痛で意識がもうろうとしながら手術承諾書にサインしている姿は、今となってはすごいことをしたなぁと思います。


手術が始まったのが1630分。意識ははっきりしていました。
意外と冷静になって時計を見ていました。
少したった時おなかのあたりをギューッと引っ張られ、気持ち悪くなりうめいていました。
16
41分「オギャー!」体重2852g、身長49cm。
この声を聞いたとたん涙がボロボロあふれていました。
すると看護師さんが赤ちゃんと私を並んで写真をとってくれました。
産んですぐ先生から「羊水が少し濁ってたよ。いい判断をしたね。」と言われました。

2
日目から少しずつ動くように言われました。3日目にやっと赤ちゃんに会えました。
そのときに初めておっぱいをあげました。
母乳の出が良すぎて看護師さんはびっくりされてました。
よく飲んでくれる子で飲みすぎて怒られた事もありました。

無事に生まれてくれてほんとによかったです。
産んで23日は(後産と傷がすごく痛かった)もう絶対子供はいらない!
こんな痛みはもう味わいたくない!と思っていました。
でも今は子供がすごくかわいくて、今度は男の子が欲しいな・・・と思っています。
子は宝・・・・・ホントにそうだと思います。
 


1人目・・・破水から24時間待っても陣痛が起こらず誘発。
それでも、微弱陣痛で3日間経過して、やっと子宮口7cm開く。
でも子供の心音が落ちてきて緊急帝切。
(でも3日目には万が一のため、帝切の準備も整えてくれてあった)


2人目・・・陣痛誘発は出来ないが、自然に陣痛が来れば下から産めますよ、と言われていて、妊娠後期に入ってからは健診の度に子宮口を柔らかくする注射もして産道も柔らかく子宮口も開いてきてたらしい・・・が予定日を10日過ぎても陣痛が来ないので帝切。
毎日、一万歩、ウォーキングもがんばってたのに・・・。
後から先生に陣痛の来ない体質じゃないかな?と言われました。
3人目&4人目・・・予定帝王切開(選ぶ余地なしでした)
        
4人、帝王切開で出産して・・・1人目の時、3日間陣痛室にこもっていて、微弱陣痛とはいえやはり肉体的にも精神的にも限界でした。
陣痛室に一緒にいた人たちはどんどん産まれていくし「私の子供はずっと出てこないのかな?」なんて思ったり。
先生に「もう限界だから切ろう」と言われた時もはっきり言って「もうどーにでもしてー」という気持ちでした。
思い描いていた出産とは全然違うものになってしまったけど、子供が無事だったのであまりウダウダと悩みませんでした。
でも職場復帰してから、職場のおばちゃんに「本当の産みの苦しみを知らない」と言われ悲しい思いもしました。
今の私なら「そう思うなら てめーが腹切ってみろ」と言ってしまうかも・・・。
二人目の時は「今度こそは絶対自然に・・・」と決意していましたが結局駄目で・・。

この時点で自然分娩は私にとって永遠に夢でしかなくなってしまったんです。
やはり一度位自然に産んでみたかった、というのが正直な気持ちです。
でも後悔は全然してないです。

帝王切開た゜ろーがなんだろーが、四人の元気な子供に恵まれてとても幸せです。
1人目を産んだ後、2回続けて流産しました。
二人目の子も妊娠してすぐに出血、一ヶ月ほぼ寝たきりで危機を脱出し無事会えたんです。
一時は子供は1人であきらめなくちゃいけないのかな?と思った事もあったのに。

 

なので、どんな産まれ方であろうと子供に会えた事、感謝しています。
帝王切開も4人ともなれば、もう開き直り、人から何言われようと怖いもの無しですよ~。
ただ4人目がお腹にいる時、めったに無い事とはいえ、子宮破裂の恐怖が付きまといました。
正直言ってもう、こんな怖い思いはこりごりです。(こんな事書いていいかわからないけど)
それとやはり経済的な事もあるので4人目出産の際、卵管を縛ってもらいました。
やはり避妊手術をしてもらうというのは、なんか複雑な思いでしたが・・・。
なんだか長くなってしまいましたが、四人とも帝切でなにも後ろめたいことないです!
他の帝切で出産された方も堂々としてていいと思います。
元気な子供を産めれば、それだけでとても幸せだと思います。